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2018/09/22

反古のうらがき 卷之三 幽靈のはなし

 

    ○幽靈のはなし

[やぶちゃん注:前半部はシークエンスをとり易くするために改行を施し、読解の便を考えて注をその段落末に添えた。]

 予がしれる方にて、いと有德なる家より妻をめとりけるが、半年斗りもあるに、兎角にものゝたらわぬよふにいふがにくさに、去りてけり。

[やぶちゃん注:「ものゝたらわぬよふにいふ」「物の足らはぬ樣(やう)に言ふ」が正しい表記。裕福な家の出であるから、つい、いろいろな家内のことで、あれが足りない、これが不十分といった感じのことを何気に言うのである。]

 有德人のことなれば、程もなく、又、さる方に、よめらせけり。此家も予がしれる人なりけり。

 こゝをも、半年斗りにて去られてけり。

 それより幾月もあらで、病(やみ)て死にけり。

 余(われ)、後(あと)の夫(をつ)とがり、行(ゆき)て、酒のみたる時に、打戲(うちたはぶ)れて、

「獨り寐の凄(さび)しからん。」

などいふにぞ、

「いや。此程、暑氣のたへがたくて、『竹夫人(すゞしめ)』てふ物を抱(いだ)きて眠れば、さまでに凄(さび)しからず。先(さ)きの夫(をつ)とが、交(まぢは)りの道さへいまだ得(え)しらざる女を、半年餘り抱きて寐たるは、竹夫人(すずしめ)を抱きて眠ると、おゝくも、たがい、あらじ。」

といふに、

「こは、ふしぎのことをきく物かな。それは、いかに。」

ととふに、

「去りし妻がわれによめりしは、十七のとしなり。先(さき)の夫(をつ)とによめりしは、十五、六の時なり。半年の契りあれど、いまだ交りの道をしらず。われによめりてより、月をへて初て其道をしれり。左(さ)すれば、二度のよめりするといへども、われによめりたるが初ての如くおもふらめ。さるをもて、先の夫は竹夫人(すずしめ)に近きものを抱きて、半年餘り、眠れりとはいふぞ。」

と、かたりけり。

[やぶちゃん注:「竹夫人(すゞしめ)」ルビは底本のもので、「涼し女(め)」の当て読みであろう。通常は「ちくふじん」と読む。竹や籐で編んだ円筒状の抱き枕で、英語では“Dutch wife”(「オランダ人の妻」の意。ウィキの「ダッチワイフ」の「語源」(このリンクのクリックは自己責任で)によれば、語の起源は一八七五年から一八八〇年頃とされ、『本国に妻を残してオランダ領インドネシアで取引していたオランダ人商人の境遇に由来すると想像される』。『英米では、日本でいう』性欲処理の性具としての人形(ひとがた)の「ダッチワイフ」は『sex doll と呼び、これを Dutch wife と呼ぶことはまずない』とある)と呼ぶ。ウィキの「竹夫人」によれば、『暑い日に、片腕や片足をこれに乗せて寝ることで、涼をとれる。アジアに広く見られるもので、かつては日本でも使われていた。竹だけではなく、籐や綿製のものや、近年では人工樹脂でできたものも売られている』。『俳句では夏の季語』である。

「おゝくも、たがい」孰れもママ。「多(おほ)くも、違(たが)ひ」。

「よめり」「嫁-入(よめ)る」(ラ行四段動詞)。「嫁入(よめい)る」の転訛。方言としてもあるが、一般表現としても諸本に認められる。]

 其後に、又、先の夫が家に行(ゆき)て酒のみたることありけるに、これは、今は後妻をむかへて、はなしの折々には、先の去りし妻が事を、あしざまにのゝしりけり。

『皆、後妻へのへつらひなり。』

と思へば、心にくく覺へける[やぶちゃん注:ママ。]。

 因りて、一つの計りごとを思ひ出(いで)て、いふよふ[やぶちゃん注:ママ。]、

「今日、態々(わざわざ)訪ひ來ぬること、よの事(こと)に侍らず。君に聞(きこ)へたきことの侍りて來ぬる也。しばし、左右の人を遠ざけ玉へ。」

といへば、

「さらば。」

とて。しりぞけけり。さて、いふやふ、

「ふしぎのことあり。けふより四、五日以前の夜、夢ともなくうつゝともなく、一人の女、枕のかみに座せり。

『何もの。』

ととへば、これは君にも見しり玉へる、二人の夫(をつ)とに去られ侍る女なり。

『一度も子を産まで死に侍れば、いとど罪業の深くて、今に浮(うか)びもやらず侍るなり。二世のゑにし[やぶちゃん注:ママ。以下、同じ。]といへるは、いとふかきことにて、此世にて去らるゝとも、又、先の世にて再び結ぶことなり。さあるからに、もし二人の夫(つま)が一度に來(きた)らんとき、何れへか從ふべき。前の夫とは始めてのゑにしなれば、これになん隨ふべけれども、われは其時は、としのいとけなかりければ、男・おふな[やぶちゃん注:ママ。]の交りの道さへわきまへず、うつゝなくふしをともにするのみなれば、夫婦の契りありといへども、よそごとのよふに覺へて、情(なさけ)深からず。後の夫は、これにことなり、としとりてのちのことなれば、交りの道もよくしり侍れば、夜ごと夜ごとにふしにいれば、ひるのうさをも打忘るゝよふ[やぶちゃん注:ママ。]に、情け深く覺へて侍りしにぞ。此方(こなた)にか隨ふべき、いづれをいづれともわきかねたれば、いづれにまれ、これよりのち、香花(かうげ)の一つだも、そなへ玉へる方(かた)こそ、あの世にての夫となれ。其時に「『見限りたり』とて、うらみ玉ひそよ」と、二人の夫とに告(つげ)てたべ。』

といゝて[やぶちゃん注:ママ。]、消失せぬるよふにて[やぶちゃん注:ママ。]、夢のさめたるなりけり。

 あまりにふしぎなることなれば、君に告げ侍りて、跡なき夢なるか、又は正夢(まさゆめ)なりけるか、君が心に覺へ[やぶちゃん注:ママ。]もあなることなるべし。これを問ひ侍る。」

と、まことしやかに聞へければ、しばしことばもなくてありけるが、さめざめと泣きていふ。

[やぶちゃん注:「跡なき夢」後(ここは後世(ごせ)という迂遠な未来)になっても意味を持たない(何ものをも予兆するものでもない)ただの馬鹿げた夢。]

「これ、正夢なるべし。跡なきことにはあらざりけり。われ、こゝろに思ひ當ること、あり。香花のことは安き程のことなり。佛事供養も當りの年月は忘るまじ。此事、後の夫(をつ)とに、ゆめゆめ、語り玉ひそ。」

とて、其後は、あしぎまにいふことも、なかりけり。

[やぶちゃん注:「佛事供養も當りの年月は忘るまじ」「まじ」は打消意志。一般の仏事としての回忌供養の規定の年忌は忘れることなく、万事、必ず執り行おう。]

 ねやのうちの事などは、他人(よそびと)にしらるゝことはなきことはり[やぶちゃん注:ママ。]なれども、かく、もるゝこともあることなれば、唐の玄宗皇帝が、

 七月七日長生殿

 夜半無ㇾ人私語時

 天に在りては比翼の鳥

 地に在りては連理の枝

と誓ひし言葉を言送(いひおく)りたれば、

「楊貴妃がなきたまに疑ひあらじ。」

と、道師にあざむかれしも、これとおなじ道より、思ひ迷ひしなるべし。

 

[やぶちゃん注:引用は言わずもがな、私の大好きな、中唐の名詩人白居易の「長恨歌」のコーダの一節。但し、御存じの通り、正確には、

七月七日長生殿

夜半無人私語時

在天願作比翼鳥

在地願爲連理枝

天長地久有時盡

此恨綿綿無絶期

 七月七日 長生殿(ちやうせいでん)

 夜半 人(ひと)無く 私語の時

 「天に在りては 願はくは 比翼の鳥と作(な)り

  地に在りては 願はくは 連理の枝と爲(な)らん」と

 天 長く 地 久しきも 時 有りてか盡(つ)く

 此の恨みは 綿綿として 盡くる期(とき)無からん

と終わる。全詩は信頼漢詩サイト「碇豊長の詩詞「長恨歌」をリンクさせておく。

 以下、底本では最後のクレジットの一行前まで、全体が二字下げとなっている。ここは前のようには改行を施さなかった。二箇所の改行は底本のママ。]

予がいつはりの出で所(どころ)は、もろこしの何某が作れる小説に、地獄にて先の夫と後の夫と、一人の女を爭ひたることをのせたるより、思ひ付たるなりけり。男女の交りは、相感ずる所あるをもてこそ情も深かり、かく半年に餘る迄、交りの道をもしらぬ女とそひたらんには、みどりのとばり、くれないのねやに在りても、おのれ獨り、ものにくるふよふ[やぶちゃん注:ママ。]なるさまして、海に誓ひ、山に誓ひて、睦言(むつごと)などするに、かなたは幼子(おさなご)に乳など含まするこゝ地して、燈火の影のうつばりにうつりて丸く明らかなるに、はらひのこれる塵のひらめくをながめやりて、たる木の數(かず)いくつありけん、よべかぞへしより、一つおおくおぼゆるとて、幾度もかぞへかへしなどするぞ、又なく、わびしかりつらん。扨も、後の妻をむかへて其わびしさは免(まぬ)がれつらんが、後の夫と睦(むつま)じくありしを聞くときは、又、ねたく、くやしかりつるにや、先の世にては、かれにはあたへじと思ふこそ、おろかにも、ことはり[やぶちゃん注:ママ。]なりけれ。かゝれば、かく、おめおめと、あざむかれけるなり。

[やぶちゃん注:以上の話は標題の「幽靈のはなし」で惹かれて読んだ読者を、美事に裏切って余りある。しかも怪奇現象を信じない現実主義者の桃野が、自分自身が見たとする幽霊話を中国の志怪小説を元にデッチアゲて、友人をまんまと騙す、という意外な展開に吃驚する。この友人は確かに人格的に問題があるようだから、同情はしないけれど、にしても、この一話は実は、桃野が当時としてはかなり先進的な科学的現実主義者であったにも拘わらず、周囲は勿論、親しい友人に対しても、用心に用心を重ねて、そうした思考の持ち主であることを知られぬようにしていたという意外な事実が明らかとなっているのである。

「もろこしの何某が作れる小説に、地獄にて先の夫と後の夫と、一人の女を爭ひたることをのせたる」思い出せそうで、思い出せない。思い出したら、示す。悪しからず。

 以下は、本章の内容とは関係がない、桃野のインターミッションである。]

反古紙のうらにかひしるすこと、すでに五つ卷をなせり[やぶちゃん注:ママ。]。先の卷のすへ[やぶちゃん注:ママ。]にもいへるごとく[やぶちゃん注:。]、夏の日の永く、雨さへそぼふりて、友がき[やぶちゃん注:「友垣」。友人。]もとひこぬとき、うさのやる方なく、机に向ひては、しるすなりけり。もとより、後の世に傳ふべきと思へるにもあらず、ただ、ふみかくことのならはせ[やぶちゃん注:ルーティンの習慣。]に、思ひ出(いづ)ることども、つゞくりて、隔てなき友の來ませる時とり出(いで)て、ふみぶりのよしあしなど、語り合(あひ)て、聞(きき)もし聞(きこ)へもして、筆とる業(わざ)の助けにもせんとのかまへなれば、正しきことのみをば、しるさで、まこと、そらごと、取(とり)まぜて、人のよみて、うみ果(はて)ざらんをのみ、ねがふものから、かりにも心に樂しくあらんよふ[やぶちゃん注:ママ。]にこそは、ものしつるなりけり。こと葉(ば)のあとさきになりしと、おなじことをくりかへし、くだくしくしるせしことなどは、文(ふみ)ぶりに、いとよからぬといふは、筆とりながらも、自(おのづ)からしり侍れども、あまりにかひあらためたらんには、いとゞさへ反古紙(ほごがみ)なるに、又も、かひ添へ、かひへらして、文字(もじ)讀分(よみわく)るに、いぶせき迄になるべければ、先づ、こたびは此儘にさし置(おき)て、後にぞ、かいあらたむべきと思ふになん。

[やぶちゃん注:「かひしるす」の「かひ」は「書き」「書きて」、現代の「書い(て)」の「い」の転訛の縮約の誤表記ようである。]

「夜讀隨錄」・「聊齋志異」なんどは、近淸の小説の董狐(とうこ)にてはありし。されど此二書、多く狐怪に託して、空に架するのこと、多し。此書は、事は多くは實踪(じつさう)にして、只、文華を騁(はせ)ること、妙なると□とす。「虞初新志(ぐしよしんし)」を一筆にて書(かき)たるものなり。

 嘉永三年庚戌(かのえいぬ)三月の六日といふに此卷を終る。

[やぶちゃん注:「夜讀隨錄」清の乾隆帝の時に刊行された、和邦額(か ほうがく)の小説集。

「聊齋志異」既出既注。私が小学生高学年より実に五十年も偏愛し続けている清初の蒲松齢(一六四〇年~一七一五年)が書いた文語怪奇短編小説集「聊齋志異」。全約五百話。一六七九年頃に成立し、著者の死後、一七六六年に刊行された。

「董狐」春秋時代の晋の史官。生没年未詳。霊公が趙穿(ちょうせん)に攻め殺された時、正卿である趙盾(ちょうとん)が穿を討たなかったことから、董狐は「盾、その君を弑(しい)す」と、趙盾に罪があることを記録した(「春秋左氏伝」の宣公二年に記載されてある)。後世、理非を明らかにしたこの態度が、孔子に大いに讃えられたことから、「権勢を恐れることなく、現実の真実を毅然として記すこと」を「董狐の筆(ふで)」と言うから、ここはそれ。

 

「空に架する」事実に基づかない「架空」の勝手な想像をする。

 

「實踪」事実実在の実記録。

 

「騁(はせ)る」思いのまま、恣(ほしいまま)に筆を滑らせてしまうの意か。「文華」は「詩文の華麗なこと・その作品」の意であるから以下で意味がとれない。脱字と思われる「□」(国立国会図書館版も同じ)がそうしたこと、即ち、調子に乗って文飾の妙に走るあまり、事実に則さないことを書くような誤りは厳に謹んで書いたことを意味するのでなくてはなるまい。

 

「虞初新志」明末清初の張潮撰になる文語小説集。但し(次注参照)、志怪短編も多い。

 

「一筆にて書(かき)たるものなり」『この私の「反古のうらがき」は、かの「虞初新志」のような(それには無論及ばないが)ものを、ちょいと僅かばかり書き散らしたようなものである』の意か? よく判らぬ。

 

「嘉永三年庚戌三月の六日といふに此卷を終る」とあるのだが、実は「反古のうらがき」の「卷之三」はここで終わっておらず、まだ十一章も続くので注意されたい。ここで終わらせるつもりが、新しい巻を起こす前に、興が乗ってしまって結局書き継いだか、或いは単なる後に装本する際の錯文となっただけかも知れない。「嘉永三年」は一八五〇年。]

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