譚海 卷之三 禁中失火等の事
禁中失火等の事
○禁中失火有(ある)歟(か)、又は霹靂(へきれき)宮内へ落(おつ)る事などあるときは、其日の御番(ごばん)の神社へ勅使をたてられ、其社を御封(ごふう)じ有(ある)也。靑竹にて神社の戸をとぢ、神主の者縛(ばく)につく事也。扨(さて)日限(にちげん)有(あり)て閉門をゆるさるゝとき、又勅使來りて神主の縛をとき、勅使と同前に神前に行向(ゆきむか)て神社の門ひらくに、内陣の際(きは)の空地(あきち)悉く春草(しゆんさう)を生じて有(あり)。わずかに一七日(ひとなぬか)斗(ばか)りの間をへし事なれども、草の高き事一二寸に及べる事とぞ。勅使此草を三莖(みくき)切取(きりとり)て箱におさめ、持參して歸らるゝ也、神國の不測奇特成(きどくなる)事なりといへり。
[やぶちゃん注:「御番(ごばん)の神社」京都御所には、こうした輪番制の守護担当神社があったとは知らなかった。然し、後半の草のひこばえ云々というのは、私は読んでいて、不審。毎度、そういうことがあるという書き方にしか読めないが、それでは、宮中の火災や落雷は初春にしか起こらんのかい?! それとも真夏や秋や真冬に火災や落雷があっても、そうした「春草」が生えるとんでもない奇瑞があるちゅうんかい?! 後者としか思えないのだが、だったら一年を通じてその季節を違えた奇瑞が出来することをこそ、緻密に細かく綴るべきであろう。どうもこの話、杜撰で眉唾臭い。或いは、そんなことが初春の季節の回禄や落雷が遠い昔にあって、そんなことがあって(それはちっとも奇妙なことではない)より、閉門繩縛された神主の家族に勅使がこっそり言い伝えの奇瑞を囁き、家族の者が、こっそり境内に入っては空き地に草(春でないときは、春の草らしいものを取り寄せて)を植え込んでいたのではないか? それなら、この話、私は頗る腑に落ちるのである。]
« 譚海 卷之三 節分内侍所の大豆 御修法の護摩 | トップページ | 甲子夜話卷之五 13 水戸黃門卿、髑髏盃の事 »