反古のうらがき 卷之二 僞金
○僞金
輕罪の囚(めしうど)一等をゆるして、他賊の巢穴(かくれが)を探らしむる者を「岡引(をかつぴき)」といふ。もろこしにもあること也。役人より是を「手先」といふ。常に平人(へいじん)の如く、人出入多き所に入込(いりこみ)て事を探り出し、是を手柄として己が罪を減ずるにてぞありける。
或日、餘りに賊の手がかりもなきまゝに、目黑不動に詣でけるに、ある茶店に入(いり)て、酒、打飮(うちのみ)、居(ゐ)ける。次の間に客ありて、主(ある)じをののしるよふ[やぶちゃん注:ママ。]、
「吾を『似せ金遣ひ』とするや。」
といゝ[やぶちゃん注:ママ。後も同じ。]しが、やゝありて去りけり。
『「似せ金」とは、賊の手懸りなり。』
と思ふにぞ、あるじに、
「今去りし人は何人(いかなるひと)。」
ととふに、
「始ての御客なるが、御拂(おはらひ)の金子、少し見にくかりし故に、引替(ひきかへ)を願ひたれば、大(おほい)に腹立(はらたて)玉ひて、かく、のゝしり玉ひしなり。外に子細なし。」
といゝけり。
手懸りにもならぬことなれば、
「さりけり。」
とて、立出て歸りぬ。
其後、二た月・三月立(たち)て、四ツ谷邊にて其人に逢ひけるが、俄に思ひ出(いだ)さで、
『見覺へ[やぶちゃん注:ママ。]ある人。』
とのみ思ひて、わかれけり。
其後、又、一と月斗(ばかり)へて、同じあたりにて逢(あひ)けるが、ふと思ひ出(い)で、
『先きの日、目黑にて「『僞金(にせがね)遣ひ』とするや」と、のゝしりし人よ。』
と思ひて、其宿(やど)はいづこ、と付(つき)てゆくに、鹽町(しほちやう)という[やぶちゃん注:ママ。]所に格子戶立(たて)たる家なりけり。
又、壹と月斗(ばかり)して、四ツ谷邊に僞金を受取(うけとり)たるといふ質やありて、彼(かの)岡引を賴みけり。
俄に心當りもあらねど、先(まづ)鹽町の人が心懸りなれば、探りてみけるに、
「此人は靑貝(あをがひ)を作るが商賣にて、多分の利ある人。」
といふ。
うり先を探るに、實(まこと)に青貝の粉(こ)を作るなり。他に怪敷(あやしき)ことなし。但し、其(その)うること、他人より、やすし、といふ。
家には、あわび貝、山の如く積(つみ)ありて、日夜、
「こちこち。」
と、たゝく音するよし。
「手堅き人なり。」
といふ。
岡引、いかんともすること能はで歸りけるが、外に手懸りもあらねば、又、よりより、心を付(つけ)て此人を探りけり。
二た月斗りが間、此人の遣ふ金を、其先、其先と探りけるに、僞金、一つありけり。
これは常の人にてもしらで遣ふことなれば、「僞金遣ひ」と定(さだめ)がたかりしが、また壹と月斗りにて、一つ遣ひけり。
それより、
「靑貝を作る弟子とならん。」
といひ寄(より)て、度々出入せしに、實(まこと)に靑貝を作るより、外、なし。
或時、こなたより、
「吾、僞金を作らんと思ふが、如何に。」
といゝければ、大に驚(おどろき)ける色ありしが、
「其方の細工にては、作ること、能はず。」
といひけり。
是より、手懸りと成(なる)よし、ひたもの、僞金の物語りをするに、數日ありて、
「其方、僞金を作らんと思はゞ、外に一細工ありて、人幷(ひとなみ)に衣食の料を取る事を覺へ[やぶちゃん注:ママ。]、不自由なく暮す上(う)へならでは、忽ち、人の怪(あやし)みを受(うく)る者也。世の中の僞金師、皆、困窮の餘り、俄に富をなさん、とて僞金を作る、いく日もあらで召取らるゝ、拙(つたな)しといふべし。」
といへり。
こゝにおひて[やぶちゃん注:ママ。]、いよいよ僞金師たること、極(きはま)りたり。
或日、僞金、二つ三つを持行(もちゆき)て、
「吾、これを作れり。如何(いかが)あらん。」
といひて見せければ、
「これは拙し。これを見よ。」
とて、自(みづ)から作りし僞金、三つ、四つ、出(いだ)してみせけり。
岡引、笑ひて、
「是は眞金(しんきん)なる物を。何ぞ、僞金といわん。」
といひて、信ぜざりければ、初(はじめ)て鑄形(いがた)を出(いだ)し、
「ひそかに、ひそかに。」
といゝけり。
其夜、召捉(めしとら)へて、段々吟味せしに、
「吾、天運盡(つき)て彼に欺(あざむ)かれぬれば、言(いふ)に解く術(すべ)なし。此業(このわざ)を作(な)す事、十餘年、金を作ること、千兩に近し。人の疑ひしこと、なし。近頃、僞金し、多く、他人の作りたる中にも、大抵よく出來(でき)たるは取交(とりまぜ)て用ひしに、それより疑ひを受けたるなるべし。年のよるに從ひ、氣根(きこん)薄く、自(みづ)から作るも物(もの)うくて、他人の手をかりたる報ひなれば、是非なし。」
といひけり。
「同類あるべし。」
ととへば、
「かゝることをするに、同類あるよふ[やぶちゃん注:ママ。]なることにては、なし難し。萬事(ばんじ)、皆、吾手(わがて)一つにてする程の業(わざ)ならねば、忽ち、あらはるゝ。」
といひけり。
「これは通用金より少し位(あたひ)を下げたるなれば、利分も薄し。但し、通用するとも、通用金と多くも違ひなし。直段(ねだん)は半分にて出來る也。」
といゝけり。
「半分の直段にて『利、薄し』とは如何(いかに)。」
ととへば、
「三つ、二つ、かくれば、通用金より遙に上品に出來る。」
よし、申(まうし)けると也。
[やぶちゃん注:臨場感を出すために、改行を施した。岡っ引きの潜入捜査もさることながら、この老螺鈿細工師の〈贋金(にせがね)造り〉の美学と、寄る年波に勝てぬペーソスをも添えられていて、上質の犯罪者実録譚に仕上がっている。
「岡引」ウィキの「岡っ引」より引く。『岡っ引(おかっぴき)は、江戸時代の町奉行所や火付盗賊改方などの警察機能の末端を担った非公認の協力者』。『正式には江戸では御用聞き(ごようきき)、関八州』(相模・武蔵・上野・下野・安房・上総・下総・常陸。その中でも狭義の江戸御府内では別に「御用聞き」と称しもしたということであろう)『では目明かし(めあかし)』、『関西では手先(てさき)あるいは口問い(くちとい)と呼び、各地方で呼び方は異なっていた。岡とは脇の立場の人間であることを表』わ『し、公儀の役人(同心)ではない脇の人間が拘引することから』、『岡っ引と呼ばれた。また、岡っ引は配下に下っ引と呼ばれる手下を持つことも多かった』。『本来』、『「岡っ引」という呼び方は蔑称で、公の場所では呼ばれたり』、『名乗ったりする呼び方ではないが』、『時代小説や時代劇でこのように呼ばれたり』、『表現されたりすることが多い』。『起源は軽犯罪者の罪を許し』、『手先として使った「放免」である』(日本の令外官である検非違使の下部(しもべ)で、正式には「放免囚人」の義。検非違使庁の下級刑吏として、実際に犯罪者を探索・捕縛したり、拷問や獄の看守等を担当した。遅くとも、中古末期、十一世紀前半には放免が確実にいたことが文献から確認されている。ここはウィキの「放免」に拠った)。『武士は市中の落伍者・渡世人の生活環境・犯罪実態について不分明なため、捜査の必要上、犯罪者の一部を体制側に取り込み』、『情報収集のため』に『使役する必要があった。江戸時代の刑罰は共同体からの追放刑が基本であったため、町や村といった公認された共同体の外部に、そこからの追放を受けた落伍者・犯罪者の共同体が形成され、その内部社会に通じた者を使わなければ捜査自体が困難だったのである。必然的に博徒』・穢多・『的屋などのやくざ者や、親分と呼ばれる地域の顔役が岡っ引になることが多く、両立しえない仕事を兼ねる「二足のわらじ」の語源となった。奉行所の威光を笠に着て威張る者や、恐喝まがいの行為で金を強請る者も多く、たびたび岡っ引の使用を禁止する御触れが出た』。以下、「江戸の場合」の項。『南町・北町奉行所には与力が各』二十五騎、同心が各百人『配置されていたが、警察業務を執行する廻り方同心は南北合わせて』三十『人にも満たず、人口』百『万人にも達した江戸の治安を維持することは困難であったため、同心は私的に岡っ引を雇っていた。岡っ引が約』五百『人、下っ引を含めて』三千『人ぐらいいたという』。『奉行所の正規の構成員ではなく、俸給も任命もなかったが、同心から手札(小遣い)を得ていた。同心の屋敷には岡っ引のための食事や間食の用意が常に整えてあり、いつでもそこで食事ができたようである。ただし、岡っ引を専業として生計を立てた事例は無く』、『女房に小間物屋や汁粉屋をやらせるなど』、『家業を持っ』ていた。岡本綺堂の「半七捕物帳」や野村胡堂の「銭形平次捕物控」などを元にした『時代劇において、岡っ引は常に十手を預かっているかのように描かれているが、実際は奉行所からの要請に基づき事件のたびに奉行所に十手を取りに行ったとされている。十手を携帯する際も見えるように帯に差すのではなく、懐などに隠し持っていた。また、時代劇で十手に房が付いていることがあるが、房は同心以上に許されるものであって』、『岡っ引の十手には付かない。ましてや』、『紫色の房は要職の者が付けるものであり、岡っ引が付けることは』、『まずあり得ない』。「半七捕物帳」を『嚆矢とする捕物帳の探偵役としても有名であるが、実態とはかなり異なる。推理小説研究家によっては私立探偵と同種と見る人もいる』。以下、「大坂の場合」の項。『一般の町民が内密に役人から命じられて犯罪の密告に当たった。江戸とは異なり、犯人の捕縛に携わらず、密告専門であった』。以下、「地方の場合」の項。『江戸では非公認な存在であったが、それ以外の地域では地方領主により』、『公認されたケースも存在している。例えば』、『奥州守山藩では、目明しに対し』、『十手の代わりに帯刀することを公式に許可し、かつ、必要経費代わりの現物支給として食い捨て(無銭飲食)の特権を付与している。また、関東取締出役配下の目明し(道案内)は』、『地元町村からの推薦により任命されたため、公的な性格も有していた』とある。
「もろこしにもあること也」どのように呼称していたかは、今すぐには思い出せないが、中国の古い随筆集や伝奇小説には、しばしばそうした元犯罪者で、最下級の警吏・刑吏として使役されている人物が登場する(一般に悪心はそのままで、最下級とは言え、役人であることをいいことに、より悪辣な行為をなす設定が多い)。
「平人」一般庶民。
『「似せ金」とは、賊の手懸りなり』前で「餘りに賊の手がかりもなきまゝに」とあるから、この時、江戸市中に於いて、広範囲な偽造貨幣絡みの事件が発生しており、この岡っ引きは支配の同心から探索を命ぜられていたことが判る。
「さりけり。」「そうかい。」。軽くいなしたのである。この時点では、特に気に留めなかっただけで、さしたる意味(意識的な気のない芝居をして探索方であることを主人に知られぬようにするといった)はない。
「鹽町」底本は「塩町」であるが、国立国会図書館デジタルコレクションの「鼠璞十種 第一」に所収するものに正字化した。現在の新宿区四谷本塩町附近(グーグル・マップ・データ)。
「彼(かの)岡引を賴みけり」主語は同心であるが、彼の使われている同心は本篇では実際の姿は殆んど登場しない。最後の捕えられて後の尋問の主導はその同心であろうが(その場には当然いるものとして映像化すべきではある)、老人に直接、語りかけて自白を引き出しているのは、やはり、この岡っ引きである。老人が一度は螺鈿細工の弟子しようと認めたところで、この老人がこの岡っ引きに対し、今も奇妙な親近感を覚えたままでいるという設定で、心内に映像化した方が遙かにドラマとして面白いからである。
「靑貝(あをがひ)を作るが商賣にて、多分の利ある人」直後に「青貝の粉(こ)を作るなり」とするが、単に螺鈿細工用の虹光沢の片々をのみ加工する職人(現在は老いてそれを主としているのではあろうが)ではなく、やはり螺鈿細工師と考えるべきである。でなくて、どうして贋金の鋳型を作ることが出来ようか。
「手堅き人なり。」「といふ」ここまでの聴き込みのシークエンスがなかなかにいいではないか。敢えて会話記号でそれらを細かく改行したのも、その雰囲気をカット・バック風に出すためである。
「ひたもの」副詞。「いちずに・ひたすら・やたらと」。
「外に一細工ありて」贋金造りの技術以外に、他に、世間に示して恥ずかしくない、人並み(「人幷」)の、ちゃんとした手技(てわざ)・生業(なりわい)を持って。
「僞金、二つ三つを持行(もちゆき)て」奉行所に保管されている使用された贋金を、与力・同心を介して、特別に借り受けたものであろう。
「言(いふ)に解く術(すべ)なし」最早、言い逃れする余地はない。
「氣根(きこん)薄く、自(みづ)から作るも物(もの)うくて」根気を入れて贋金を造るだけの気力も失せ、自分で一からするのも面倒になってしまい。
「位(あたひ)を下げたるなれば」品質を下げて作ったものなので。
「三つ、二つ、かくれば、通用金より遙に上品に出來る」さらに精緻に、二つか三つほどの高度な技術行程を加えれば、より高額の貨幣を偽造することが出来る、という意味であろう。]
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