反古のうらがき 卷之二 胡麻の灰といふ賊 / 反古のうらがき 卷之二~了
○胡麻の灰といふ賊
いづこにや、町家に年季奉公せし者、年季明ければ、
「本國に歸らん。」
とて、いとまを乞ひける。
幼年なるに、金子三兩を持(もち)けり。
「いかにして行(ゆく)ぞ。」
ととへば、
「伊勢參宮となりて行なり。」
「金子は如何にするぞ。」
と問へば、
「いや。氣遣(きづかひ)なし。」
といゝ[やぶちゃん注:ママ。]て立出(たちいで)ける。
「胡麻灰(ごまのはひ)」といふ賊ありて、これを見付(みつけ)、
「年季明けのでつちは、必(かならず)、金子を持たる者也。」
とて、一宿、二宿、付(つけ)たれども、いづくに隱しけん、しれがたかりければ、おめおめと、三日路、四日路、付行けり。
「かくして、手を空しくせんには本意(ほい)なし。是非に奪はざることを得ず。さりとて、金子を持(もち)たるには相違なし。」
と、心を困(こう)じめけるが、身に付(つけ)たる物は、宿にて、皆、ひそかに改(あらため)たれども、物、なし。
髮の毛の内・かさの内より、行李(こり)・鞋(わらぢ)・わらづと・足袋(たび)・脚半(きやはん)・帶・衣服等迄、湯に入(いる)每(ごと)に、ひそかに改ける。
これにてこうじ果(はて)けるが、或夜、あたりの戶を打(うち)たゝき、
「盜人あり。」
と呼(よば)はりければ、丁子(でつち)、起上り、先(まづ)、柱にかけたるひさくを見やり、又、打伏(うちふし)て寐(いね)けり。
『扨は、ひさくこそ曲物(くせもの)よ。』
と思ひ、奪ひとりて打破りければ、二重底にして、金三兩、入(いれ)ありける。
これは賊が語りしこととて、いひ傳へ侍る。
[やぶちゃん注:以下は、底本でも改行がなされてある。]
されば、人の家に入(いり)ても、金の置所は忽ちにしらるゝことと見へたり。
「常に大切と思ふ人程、置所(おきどころ)しるゝ道理なれば、吾もしらぬ程になし置(おき)て、『家の内には、必、あるべし』と所も定めず差置(さしおく)がよし。」
といふ人、ありける。
但し、持(もた)ざるが第一なるべし。
[やぶちゃん注:以下は、底本では最後まで全体が二字下げ。改行は底本のママ。]
嘉永二年己酉(つちのととり)三月十日、下二條をしるす。
古きふみ讀めば、昔しの人に逢(あひ)たるこゝちするとは、みな人のいふことなるが、これにも倦果(うみはて)たる時は、自(みづ)から物語して人に告(きかす[やぶちゃん注:底本のルビ。])るこそ樂しけれ。これも人なき時は、壁に向ひて獨り言(ごと)いふもならぬものぞかし。詩作り、歌よむも、興、來らざれば能はず。この「反古のうらがき」は、かゝる時こそ、よけれ。世の人する業(わざ)さし置(おき)、おしき隙(ひま)、費して、かゝる業、なし玉ひそ。
◎桃野ハ白藤(はくとう)翁ノ子。鈴木孫兵衞トイフ。昌平黌ノ講官タリ。詩ヲヨクシ、最(もつとも)書法ニ通ジ、旁寫肖ヲ善クス。此「反古裏書」ハ一時ノ發興(はつきやう)ノミ。
[やぶちゃん注:臨場感を出すために本文部分に改行を施した。
「胡麻の灰」「護摩の灰」「胡麻の蠅」等とも表記する。昔、旅人の成りをして、道中で旅客の持ち物を盗み取った泥坊。高野聖の風体(ふうてい)をして、「弘法大師の護摩の灰だ」と称して押し売りして歩いた者があったところからの名とされる。
「三兩」江戸後期で現在の九~十五万円相当。
「伊勢參宮となりて行なり」「お伊勢参りの恰好をし、その触れ込みで故郷へ帰ります」。江戸時代、伊勢参詣をする人や動物(犬や豚の参詣記録が残る)は各宿場で丁重に扱われ、何くれとなく保護も受けた。
「でつち」「丁子」丁稚。
「是非に奪はざることを得ず」「子どもじゃけんど、少々、手荒なことをしてでも、強引に奪わないわけには、もう、いかねえわな」。無為に時間を費やしてしまっていることから、焦りの色が濃いのである。それはこの後で「心を困(こう)じめけるが」「こうじ果(はて)けるが」(「困(こう)ず」(サ変動詞)とは「精神的に困る・辛く感じる・弱る」の意で、「めける」は「そのような状態になる・それに似たようすを示す」の意の動詞を作る接尾語(四段型活用)「めく」の已然形に、完了・存続の助動詞「り」(四段活用の已然形に接続)の連体形がついたもの)という表現からも窺える。
「かさ」笠。
「鞋(わらぢ)」底本では『わらし』のルビであるが、訂した。
「わらづと」「藁苞」藁を束ねて中へ物を包むようにしたもの。また、その苞で包んだ土産物。ここは少年の心尽くしの郷里への土産であろうに……。
「脚半」「脚絆」とも書、「はばき」とも言った。旅行・作業などの際に脛(すね)に巻きつけて足を保護した紺木綿などの布。
「あたりの戶を打(うち)たゝき」「盜人あり」「と呼(よば)はりければ」表現から見て、この「胡麻の灰」が誰かに頼んで(彼自身は少年の動きをごく近くで観察して居なくてならぬから)ヤラセとして行ったもののように見受けられる。
「されば、人の家に入(いり)ても」主語は一般的な押し込み強盗である。
「常に大切と思ふ人程、置所(おきどころ)しるゝ道理なれば」やや捩じれの在る表現に思われる。ややくどい言い換えをすると、「常に大切なものだからと気にかかっている人は、その大切なものの置き所をあれこれと考え、格別に通常の人の目に触れぬような場所に隠し置くものであるが、そうした場所ほど、押し込み強盗のような者には、一発で判ってしまうのが、その道の者の『蛇の道は蛇』の道理なので」の謂いであろう。
「吾もしらぬ程になし置(おき)て、『家の内には、必、あるべし』と所も定めず差置(さしおく)がよし」「自分でも、もうどこへ置いたか判らなくなるくらい、気にせずに置いておいて、『まあ、家の中には必ずあるからいいわい』ぐらいな気持ちで、特別な箇所を定めることなく、日常の品々と全く同様に、ぽんと放って置くのが、却ってよい」の謂いであろう。
「但し、持(もた)ざるが第一なるべし」ご説御尤も!
「嘉永二年己酉(つちのととり)」一八四九年。本「反古のうらがき」の成立が嘉永元(一八四八)年から嘉永三(一八五〇)年頃とされる一つの根拠。「己酉」は音で「キユウ」でもよい。
「下二條」「反古のうらがき」きはこの後、「卷之三」「卷之四」の二巻で終わるが、附記位置と「條」という表現から見ても、本「反古のうらがき 卷之二」の前の「僞金」と本末条を指している。
「告(きかす)る」「聽かする」。
「世の人する業(わざ)さし置(おき)」世間の人々が大切な生計(たつき)のための生業(なりわい)を誠実に成すのをよそにして。
「おしき隙(ひま)」貴重な僅かな暇。
「なし玉ひそ」(このような好事は)くれぐれもおやりなさるるなかれ。謙遜自戒。
「孫兵衞」桃野(号)の通称。名は成虁(「せいき」か)。
「昌平黌ノ講官タリ」天保一〇(一八三九)年に部屋住みから昌平坂学問所教授方出役となった。
「最(もつとも)書法ニ通ジ」特に書道に優れたとはデータにないが、以下に出るように画に優れていたし、漢詩もよくしたから、書もそうであったのであろう。
「旁寫肖」不詳だが、これで一語の名詞で、「ぼうしやしやう(ぼうしゃしょう)」と読むか。所謂、「旁」(かたわら)に素材を置いて、その形を似せて(「肖」の意に有る)、「寫」(うつ)すこと、ではあるまいか?
「一時ノ發興(はつきやう)ノミ」ちょっとした興味から始めたものに過ぎない。これは「天曉翁」浅野長祚の「評閲」で、優れた学者で文人であった桃野の余技に過ぎない、と搦め手から褒めた評言である。]