芥川龍之介の――私(わたくし)小説――論三篇 / 『「わたくし」小説に就いて』・「藤澤淸造君に答ふ」・『「私」小説論小見──藤澤淸造君に──』
芥川龍之介 「わたくし」小説に就いて
[やぶちゃん注:大正十四(一九二五)年七月一日発行の『不同調』(第一年第一号)に発表された。
底本は一九七八年岩波書店刊「芥川龍之介全集」第七巻を用いたが、秘密結社「じめじめ団」のインターネット図書館「梅雨空文庫」内の「TEXT文書(UTF-8)」のベタ・テクスト、ファイル・ナンバー ARZ0759.txt を加工用に利用させて貰った。ここに記して謝意を表する。
底本の傍点「・」は太字で示した。]
「わたくし」小説に就いて
わたしは久米正雄君の「わたくし」小説論に若干の興味を持つてゐる。今その議論を分析して見れば──
(一)「わたくし」小説は小説になつてゐなければならぬ。
(二)「わたくし」小説は「わたくし」を主人公にしなければならぬ。(この「わたくし」は必しも一人稱の意味でないことは勿論である。)
(一)は單なる人生記錄は小説ではないことを力説するものである。が、この立ち場は何びとにも異議のない立ち場ではないであらう。實際又小説と非小説との境を如何なる一線に求めるかは好箇の論爭點と言はなければならぬ。わたしの所見に從へば、散文藝術に關する諸問題はいづれも多少この立ち場に關係を持つてゐるやうである。
(二)は「わたくし」を主人公にする藝術的必要を力説するものである。これも亦恐らくは何びとにも異議のない立ち場ではないであらう。しかし今日の短歌や俳諧は大抵「わたくし」短歌であり、同時に又「わたくし」俳諧である。若しこの事實を何等かの藝術的必要によつたとすれば、何ゆゑにひとり小説だけは「わたくし」小説に終始しないか、その點も十分に考へなければならぬ。
この短い文章の目的は必しも「わたくし」小説論に贊否の説を表することではない。唯「わたくし」小説論の如何に特色のある議論かと言ふことに匆匆たる一瞥を加へることである。わたしの所見に從へば、久米君の「わたくし」小説論は更に論爭の的になつても好い。又論爭の的になることは確かに我等文藝の士の批評的精神を深める上にも少からぬ利益を與へるであらう。卽ち上記の二點を擧げ、久米君を始め大方の君子の高論を聽かんとする所以である。
芥川龍之介 藤澤淸造君に答ふ
[やぶちゃん注:大正十四(一九二五)年九月一日発行の『不同調』(第一年第三号)に発表された。
底本は一九七八年岩波書店刊「芥川龍之介全集」第七巻を用いたが、秘密結社「じめじめ団」のインターネット図書館「梅雨空文庫」内の「TEXT文書(UTF-8)」のベタ・テクスト、ファイル・ナンバーARZ0768.txt
を加工用に利用させて貰った。ここに記して謝意を表する。
底本の傍点「・」は太字で、傍点「ヽ」は太字下線で示した。]
藤澤淸造君に答ふ
僕は「不同調」第一號に「わたくし小説に就いて」と言ふものを書いた。「わたくし小説に就いて」は久米正雄君の「わたくし小説論」の特色を指摘せんと試みた文章である。然るに藤澤淸造君は「不同調」第二號に「何ゆゑに汝は汝自身わたくし小説論を試みないか? 汝の「わたくし小説に就いて」はわづか一二個所へ少しばかり解剖のメスをいれただけである」と書いた。(ヽ印を施したのは藤津君の文章である。)藤澤君の所謂解剖のメスは果して久米正雄君の議論の特色に觸れたかどうか、その是非を檢するのは文藝批評上の問題である。しかし所謂解剖のメスを入れるだけに止めて置いたものかどうか、その曲直を檢することは文藝批評上の問題ではない。では何の問題かと言へば、勿論實踐倫理上の問題である。從つて僕は藤澤君に答へるにも、多言を費す必要を見ない。僕は唯「わたくし小説に就いて」の中に僕の所期を果たした以上、毫も更にわたくし小説是非の論をもしなければならぬ義務のないことを告げるだけである。若し又不幸にも藤澤君にしてかかる義務のないことを認めないならば、紙上たると口頭たるとを問はず、更に何囘でも論戰しよう。但しその時は醉つてゐてはいけない。 (八月五日)
芥川龍之介 「私」小説論小見 ──藤澤淸造君に──
[やぶちゃん注:大正十四(一九二五)年十一月一日発行の『新潮』に発表され、後、単行本「梅・馬・鶯」(同年十二月新潮社刊)に収録された。底本は基本、後者を親本(底本の底本)としている。
底本は一九七八年岩波書店刊「芥川龍之介全集」第七巻を用いたが、秘密結社「じめじめ団」のインターネット図書館「梅雨空文庫」内の「TEXT文書(UTF-8)」のベタ・テクスト、ファイル・ナンバーARZ0810.txt
を加工用に利用させて貰った。ここに記して謝意を表する。
底本の傍点「ヽ」は前二篇に合わせて太字下線で示した。]
「私」小説論小見
──藤澤淸造君に──
文藝上の作品はいろいろの種類に分たれてゐます。詩と散文と、叙事詩と抒情詩と、「本格」小説と「私」小説と、──その他まだ數へ立てれば、いくらでもあるのに違ひありません。しかしそれ等は必しも本質的に存在する差別ではない、唯量的な標準に從つた貼り札に近いものばかりであります。たとへば詩と言ふものを考へて見ても、若し或形式に從つたものだけに詩と言ふ名前を與へようとすれば、あらゆる自由詩や散文詩は除外しなければなりません。若し又自由詩や散文詩にも詩と言ふ名前を與へるとすれば、それ等の作品に共通した特色は廣い意味の「詩的な」こと、──畢竟文藝的なことになるだけであります。韻文藝術と散文藝術との差別もやはりこの詩と散文との差別の複雜になつただけでありませう。成程散文藝術は、――たとへば小説は一見した所、何か詩とは異つてゐます。が、その差別はどこにありませう? 小説は屢々詩に比べると、もつと僕等の實生活に卽した感銘を與へると言はれてゐます。又かう言ふ感銘は小説以外にあるとしても、唯韻文を用ひた小説、──叙事詩にあるばかりだと言はれてゐます。しかし叙事詩と抒情詩との差別も、──客觀的文藝と主觀的文藝との差別もやはり本質的には存在しません。例を西洋に求めないにしても、「アララギ」派の短歌の連作は抒情詩であると共に叙事詩であります。既に叙事詩と抒情詩との差別も消え失せてしまふものとすれば、あらゆる詩は忽ち春のやうにあらゆる散文の埒の中へも流れこんで來るでありませう。
これだけのことを述べた後、僕はまづ久米正雄君によつて主張され、近頃又宇野浩二君によつて多少の聲援を與へられた「散文藝術の本道は『私』小説である」と言ふ議論を考へて見たいと思ひます。が、この議論を考へて見るには「私」小説とは何であるかを明らかにしなければなりません。本家本元の久米君によれば、「私」小説とは西洋人のイツヒ・ロマンと言ふものではない、二人稱でも三人稱でも作家自身の實生活を描いた、しかも單なる自叙傳に了らぬ小説であると言ふことであります。けれども、自叙傳或は告白と自叙傳的或は告白的小説との差別も、やはり本質的には存在しません。これもやはり久米君によれば、たとへばルツソオの懺悔錄は單なる自叙傳に過ぎないものであり、ストリントベルグの「痴人の懺悔」は自叙傳的小説であると言ふことであります。しかし兩者を讀み比べて見れば、僕等は偶々「懺悔錄」の中に「痴人の懺悔」のプロト・タイプを感じることはあるにもしろ、決して本質的に異つたものを感じることはありません。成程兩者は描寫の上とか或は又叙述の上とかには、いろいろ異つてゐるでありませう。(その最も外面的に異つてゐる點を擧げて見れば、ルツソオの「懺悔錄」はストリントベルグの「痴人の懺悔」のやうに會話を別行に印刷してゐません!)しかしそれは自叙傳と自叙傳的小説との差別ではない、時代や地理をも勘定に入れたルツソオとストリントベルグとの差別であります。すると「私」小説の「私」小説たる所以は自叙傳ではないことに存在するのではない、唯その「作家自身の實生活を描いた」こと──卽ち逆に自叙傳であることに存在すると言はなければなりますまい。しかし又自叙傳であることは抒情詩よりも複雜した主觀的文藝であると言ふことであります。僕は前に抒情詩と叙事詩との差別は──主觀的文藝と客觀的文藝との差別は本質的には存在しない、唯量的な標準に從つた貼り札であると言ひました。既に叙事詩は抒情詩と本質的に異つてゐないとすれば、「私」小説も同じやうに本質的には「本格」小説と少しも異つてゐない筈であります。從つて「私」小説の「私」小説たる所以は本質的には全然存在しない、若しどこかに存在するとすれば、それは「私」小説中の或事件は作家の實生活中の或事件と同一視することの出來ると言ふ或實際的事實の中に存在すると言はなければなりません。卽ち「私」小説は久米君の定義の如何に關らず、かう言ふものになる訣であります。──「私」小説は譃ではないと言ふ保證のついた小説である。
もう一度念の爲に繰り返せば、「私」小説の「私」小説たる所以は「譃ではない」と言ふことであります。これは何も僕一人の誇張による言葉ではありません。現に「どんなに巧妙でも、『私』小説以外の小説は信用する訣に行かない」とは久米君自身も一度ならず力説してゐる所であります。しかし「譃でではない」と言ふことは實際上の問題は兎に角、藝術上の問題には何の權威をも持つてゐません。これは文藝以外の藝術、──たとへば繪畫を考へて見れば、誰も高野の赤不動の前にかう言ふ火を背負つた怪物は實際ゐるかどうかなどと考へて見ないのでも明らかであります。けれどもこれだけの理由により、「譃ではない」と言ふことを一笑に附してしまふのは餘りに簡單でありませう。實際又「譃ではない」と言ふことは何か特に文藝の上には意味ありげに見えるのに違ひありません。ではなぜ意味ありげに見えるかと言へば、それは文藝は他の藝術よりも道德や功利の考へなどと深い關係のあるやうに考へられてゐるからでありませう。が、文藝もかう言ふものと全然緣のないことはやはり他の藝術と異りません。成程僕等は實際的には、――何をいつ誰に公にするか等の問題には道德や功利の考へをも顧慮することになるでありませう。しかしそこを通り越した文藝それ自身としての文藝は何の拘束も持つてゐない、風のやうに自由を極めたものであります。若し又自由を極めてゐないとすれば、僕等は文藝の内在的價値などを云々することは出來ますまい。從つて文藝はおのづから上は「文藝化せられたる人生觀」より下は社會主義の宣傳機關に至る奴隷的地位に立つ訣であります。既に文藝を風のやうに自由を極めたものとすれば、「譃ではない」と言ふことも勿論一片の落葉のやうに吹き飛ばされてしまはなければなりません。いや、「譃ではない」と言ふことばかりではない。「私」小説の問題に多少緣のある謬見を擧げれば、「作家はいつも作品の中では正直にならなければならぬ」と言ふことも、やはり吹き飛ばされてしまふ筈であります。元來「正直になる」或は「他人を欺かぬ」と言ふことは道德上の法律ではあるにしても、文藝上の法律ではありません。のみならず作家と言ふものは既に彼自身の心の中にちやんと存在してゐるものの外は何も表現出來ぬ訣であります。たとへば或「私」小説の作家はその小説の主人公に彼自身の持つてゐない孝行の美德を與へたとして見ませう。成程その小説の主人公は彼と異つてゐる以上、道德的に彼を譃つきと言ふのは當つてゐるかも知れません。が、かう言ふ主人公を具へた或「私」小説はまだ表現されない前に既に彼の心の中に存在してゐたのでありますから、彼は譃つきどころではない、唯内部にあつたものを外部へ出して見せただけであります。若し又譃をついたとすれば、それは彼が何かの爲に彼の天才を賣淫し、彼の内部的「私」小説を十分に外部化することを(或は表現することを)怠つた場合だけでありませう。
「私」小説と言ふものは上に述べた通りの小説であります。かう言ふ「私」小説を散文藝術の本道であると言ふのは勿論謬見でありませう。しかしこの議論の誤つてゐるのは必しもそれだけではありません。一體散文藝術の本道とは何のことでありませう? 僕は前に散文藝術と韻文藝術との差別は本質的に存在する差別ではない、唯量的な標準に從つた貼り札であると言ひました。すると散文藝術の本道と言ふことも「最も文藝的な散文藝術」などと解釋することは出來ません。若しかう解釋することは出來ないとすれば、それは唯「最も散文藝術的な散文藝術」と言ふことに落ちて來なければなりますまい。けれども「最も散文藝術的な散文藝術」と言ふことは畢竟散文藝術と言ふことだけであります。たとへば散文藝術の代りに紙卷煙草を置いて見ても、紙卷は煙草と言ふ本質の上では少しも葉卷と異りません。從つて紙卷の本道と言ふことを「最も煙草的な紙卷」とするのはおのづから滑稽になるでありませう。そこで「最も紙卷的な紙卷」とする外はないとなると、[やぶちゃん注:底本の「後記」によれば、単行本「梅・馬・鶯」ではここは「外はないとすると、」であり、底本はここのみ初出に従っている。]──僕は常識の名前により、諸君に問ひたいと思ひます、──「最も紙卷的な紙卷」とは當り前の紙卷以外に何を指してゐるのでありませう? 散文藝術の本道と言ふのはこの「最も紙卷的な紙卷」と言ふのと同じことであります。かう言ふ例の示す通り、「散文藝術の本道は『私』小説である」と言ふ議論は單に散文藝術の本道を「私」小説に置いた所に破綻を生じたのではありません。散文藝術の本道と言ふ空中樓閣を築いた所に抑々の破綻を生じてゐるのであります。では散文藝術の本道などと言ふものは全然存在しないかと言へば、それは或意味では必しも存在しないとは言はれません。あらゆる藝術の本道は唯傑作の中にだけ橫はつてゐます。散文藝術の本道も若しどこかにあるとすれば、恐らくはこの傑作と言ふ山上にあるのかも知れません。
僕は久米君によつて主張された「散文藝術の本道は『私』小説である」と言ふ議論を略々批評し了りました。僕の立ち場は久米君の立ち場と生憎兩立出來ぬものであります。しかし僕は久米君の議論に少しも敬意のない訣ではありません。たとへば久米君は「私」小説から截然と自叙傳を分ちました。この差別それ自身に僕の賛成出來ないことは既に述べた通りであります。しかしこの差別を立てたことは或意味では最も文壇の時弊に當つてゐると言はなければなりません。僕も亦多少の暇さへ得れば、この差別から出發した小論文を書きたいと思つてゐます。なほ又僕は徹頭徹尾宇野君の議論を閑却しました。それは宇野君は久米君のやうに「散文藝術の本道は『私』小説である」と言ふことを斷々乎と言つてゐない爲であります。尤も宇野君の議論の中にも「僕等日本人の文藝的素質は『本格』小説よりも『私』小説に適してゐる」と言ふことだけは力説されてゐるのに違ひありません。しかしそれは宇野君の常談と見なければなりますまい。なぜ又常談と見るかと言へば、僕は僕等日本人の生んだ「本格」小説的作品の中に源氏物語は暫く問はず、近松の戲曲、西鶴の小説、芭蕉の連句等を數へることを、──いや、それよりも宇野君自身の二三の小説を數へることを大慶に思つてゐるからであります。
最後につけ加へておきたいことには僕の異議を唱へるのは決して「私」小説ではない、「私」小説論であると言ふことであります。若し僕を目するのに「本格」小説だけに禮拜する小乘甞糞の徒とするならば、それは僕の冤ばかりではない、同時に又日本の文壇に多い「私」小説の諸名篇に泥を塗ることにもなるでありませう。