反古のうらがき 卷之一 賊
○賊
予が友一峯子は、其さが、滑稽にして、又、わざおぎの眞似にすぐれたり。繪事(ゑごと)は雲峯老人に久しく從ひて、又、ざれ繪に長ぜり。
或年、
「上毛の邊に游歷せん。」
とて立出(たちいで)けるが、
「其地は長脇指(ながどす)といふわる者出で、旅人をなやますことあり。」
と聞(きき)つれば、心おそろしく、一人旅の心細さに、一つのはかりことを思ひ出(いで)けり。
「常に眞似けるわざおぎがわる者のいで立(たち)を學びて、吾こそわる者よと人におそれられたらんには、其友とこころ得て、なやますこともなかるべし。」
と、月代(さかやき)をさへ幾日もそらで、そら樣(ざま)に生(おひ)しげらし、衣服の樣も大じまに黑きゑりかけて、袖は廣くあけたり。長き脇差の、朱の漆もてぬりたるさやに、太きひものふさ下りたるを橫たへ、菅(すげ)の笠に面(おもて)をかくし、繪の具入(いり)たる箱と柳ごふり[やぶちゃん注:ママ。]とを兩がけにして出たれば、おさおさ[やぶちゃん注:ママ。]わる者にもおとるまじ、とこそ見へける。
「吾ながら、よくしつるもの。」
と、ひとり笑(ゑみ)て行(ゆき)けるに、こゝは名にしおふ熊ケ谷の土手とて、晝さへもわる者出で、人を切害(せつがい)することあるなど聞ける所なれば、いとゞ心細く行(ゆく)に、後(あと[やぶちゃん注:底本のルビ。])べより來(きた)る人ありて、聲をかけたり。
「君は一人の御旅とこそ見請(みうけ)奉る。やつがれも一人旅にて心細く侍るなり。あわれ[やぶちゃん注:ママ。]、召(めし)つれ玉はらば、御荷物も、やつがれ、かわり[やぶちゃん注:ママ。]てもち申(まうし)べし。御侍の御供になりてあらんには、いかなるわる者にあふとも、何んのおそれかあるべき。」
と、せちに乞ひける樣(さま)、いとあわれ[やぶちゃん注:ママ。]にみへて、其身なりも町人の旅人に疑(うたがひ)なければ、
「そは易き程のこと也。さあらんには、荷物もてるあたひを定めて、扨こそもたすべけれ。」
といへば、
「それにも及ばぬことなれども、いさゝかのあたひを乞ひて、君がこゝろを安んずべし。」
といふにぞ、其價ひを定めて、兩がけを渡しければ、あとべに從ひ、四方山(よもやま)の物がたりして來(きた)る樣(さま)、
『吾をおそるゝにや。』
と思ふ物から、猶も心おちゐて、
『よき友をこそ得たり。』
と思ひて、伴ひ行ける。壹里斗りも行たる頃、いづち行けん、見へざれば、
「後れやしつらん。」
と立留(たちど)るに、かひくれに[やぶちゃん注:ママ。]見へず。
「扨は、かれもわる者よ。」
と悔(くひ)けれども、せんなし。
着がへの小袖、其外の要用(いりよう)の品も、こりの内に置(おき)たれば、如何ともせんかたなく、ひたすらに道を急ぎて、とある葦(よし)ず圍ひの茶をひさぐ翁がもとを過(すぐ)るとき、ふと見れば、先の男、吾が小袖を着て、其外の荷物は側に置(おき)て居(ゐ)にけり。
いかれる儘に身もふるはれて、
「盜人よ。」
と呼(よば)はる聲とともにかけ入(いり)て取らへたり。
其人も驚きて、
「ゆるさせ玉へ。」
と、いゝ樣(ざま)、遁(のが)れんとするを、かたくおさへて動かさず、
「よくも謀(はか)りけるよ。」
とのゝしりて、先(まづ)、吾(わが)小袖を奪ひ取(とり)、荷物を開きて見るに、その者の衣服あり。
「これは、おのれ、着よ。」
とて投與(なげあた)ふ。
其外、失ひし物もなし。
扨、如何せん、とためらひける内に、「盜人盜人」と呼(よば)わり[やぶちゃん注:ママ。]ける時に、往來の人、聞付(ききつけ)けん、だんだんと人多く集り、村のおさなども聞付てかけ來りて、圍みの外(そと)にてもんちやくするを、よく聞(きか)ば、
「あの長脇差(ながどす)は定めて上州のわる者ならん。早く打倒(うちたふ)して旅人をすくへ。」
などいふ樣(さま)、吾を盜人と思ふに似たり。
『こわ[やぶちゃん注:ママ。]、大なる誤り。』
とおもへども、衆人、みな、かく思ひたれば、とみに言(いひ)とくによしなく、
『如何せん。』
とおもふに、盜人も圍みの外に出(いで)たらんには、打倒されんことをおそれて、かゞみ居て、にげもやらず、茶を賣る翁は、耳のつぶれたる人にや、初より、たゞあやしみたる顏色のみにして、辭(ことば)も出(いだ)さず、ほとほと、もてあつかひたることになり行(ゆき)ぬ。
吾も人にあやしまれたれば、おもてに出たらんに、いか樣(さま)の禍(わざはひ)も斗(はか)りがたく、今にして其(その)出立(いでたち)のあやしげに、月代の舒(の)びたると、衣服のわる物作りなるを悔みけり。
又、かの盜人はそれに殊(こと)なり、小男にして、衣服・物ごし、殊勝なり。初(はじめ)より、盜人とは誰(たれ)も思ふ者なきものから、扨も、吾を盜人よと思ひあやまるも道理(ことわり)にこそありける。
かくて、あるべきならねば、盜人に向ひて、いふよふ[やぶちゃん注:ママ。]、
「吾は物(もの)取歸(とりかへ)したれば、ゆるすべけれども、おもての人は見誤りて、吾を盜人と思ふとみへたり。なんじ[やぶちゃん注:ママ。]、衆人に向ひ、『吾こそ盜人にて候なれ、あれに在(います)は御侍の旅人なれば、聊爾(りようじ)なせそ』と、ことわりて、いづく江なりとも行け。」
といい[やぶちゃん注:ママ。]ければ、
「こわ[やぶちゃん注:ママ。]、有(あり)がたし。」
とて、おもてに出(いで)て、
「やよ、人々よ、あれにおわすは旅の御侍にて候ぞや、聊爾なせそ。」
といゝて[やぶちゃん注:ママ。]、人の中、おし分(わけ)て出(いで)けるが、
「盜人は、吾よ。」
と、いふと均しく、逸足出(はやあしいだ)して逃去りけり。
「扨は。さりけり。」
とて、人々も散んじければ、其所を出(いで)て上州に趣きけるとなん。
[やぶちゃん注:臨場感を出すために、改行を施した。
「一峯子」不詳。
「さが」性質。
「わざおぎの眞似」「俳優(わざおぎ)」で、ここは歌舞伎役者の仕草のそれを、素人がまた物真似することを指している。
「雲峯老人」不詳。
「ざれ繪」「戲(ざ)れ繪」。戯(たわむ)れ画(が)きの絵。滑稽・風刺を主とした戯画のこと。
「上毛」上野国の別称。現在の群馬県。上州任侠はよく知られる。次注参照。
「長脇指(ながどす)」既出既注であるが、再掲しておく。長脇指(長脇差)は本来は一尺八寸(約五十四・五センチ)以上の脇差を言う語であるが、これは幕令によって町人が差すことが禁止されていた。ここは、それを不法に差していた、不良浪人・博徒・渡世人或いは盗賊(団)を指す。小学館の「日本大百科全書」の「博徒」によれば、こうしたアウトローらは、賭け事が庶民階級に浸透していった平安初期には既に発生していたが、組織化して本格的武装をし始めたのは江戸時代で、幕府は文化二(一八〇五)年に関八州取締所を設置、彼らの取締りを強化した。それを避け、江戸及び近郊の博徒らは、このまさに上州付近に集まって、幕府に抵抗した。その後、幕府の取締りも効果がなく、二十年後の、まさに本話柄内時制に近い文政一〇(一八二七)年頃には鉄砲・槍などまで装備し、『ますます手のつけられない状態となった。博徒のことを長脇差(ながどす)というが、戦国時代に榛名(はるな)山の中腹にあった箕輪(みのわ)城の武士たちが好んで長い脇差(わきざし)を用いたところから、上州に集まった博徒たちが自然に長脇差で武装し、その別名となった』のであった。『博徒の集団は一家をなし、統率者を親分といい、子分、孫分、兄弟分、叔父分、隠居という身分階級が定められていて堅い団結を信条としている。博徒の子分になるには、仲人(なこうど)をたて』た『厳粛な儀式』を経て、『「一家のため身命を捨てても尽くすことと、親分の顔に泥を塗るような行為はけっしてしないこと」を誓』ったとある。本「反古のうらがき」の成立は嘉永元(一八四八)年から嘉永三(一八五〇)年頃である。
「常に眞似けるわざおぎがわる者のいで立(たち)を學びて」いつも人を喜ばせるのにやっている、舞台の歌舞伎役者の悪人の恰好や仕草を学んで。
「其友とこころ得て」真の悪者どもも、拙者をその同じ悪人仲間と勘違いして。
「そら樣(ざま)」「空樣」。上の方に。
「大じまに黑きゑりかけて、袖は廣くあけたり」太い縞模様に黒い襟を懸け、袖を広く開けたド派手な風体(ふうてい)で。傾奇者(かぶきもの)の好んで着た異装である。
「橫たへ」体の左右に出す形で挿すこと。同前。
「柳ごふり」「柳行李」(やなぎごうり)。歴史的仮名遣は「やなぎがうり」が正しい。コリヤナギ(キントラノオ目ヤナギ科ヤナギ属コリヤナギ(行李柳)Salix
koriyanagi。朝鮮半島に自生し、古く日本に渡来したとされ、江戸時代には行李材として広く用いられていた)の枝の皮を除いて乾かしたものを麻糸で編んで作った行李。
「おさおさ」ここは呼応の副詞で、後に打消の語を伴って、「ほとんど(~ない)・全く(~ない)」の意。
「熊ケ谷の土手」既出既注であるが、再掲しておく。現在の熊谷は埼玉県であるが、北で利根川を挟んで群馬県と接しているから、この附近であろう(グーグル・マップ・データ)。
「後(あと)べ」「後邊」。後ろの方。
「やつがれ」「僕(やつがれ)」。男性の一人称謙称。
「荷物もてるあたひ」荷物を持つに当たっての手間料・駄賃。
「物から」接続助詞「ものから」(形式名詞「もの」+名詞「から(故)」。上代から見られる語法であるが、上代には未だ二語としての意識が強く、中古に至って、一語の接続助詞としての用法が成立した)。ここは順接の確定条件の原因・理由の用法。「~なので・~だから」。
「かひくれに」呼応の副詞「搔い暮れ」で「かいくれ」が正しい。動詞「搔き暮れる」の連用形が転じたもの。下に打ち消しの語を伴って、「全く、まるで、皆目(~ない)」の意。
「こり」「行李」。かくも読んだ。
「いかれる儘に身もふるはれて」「怒れる儘(まま)に身も震はれて」。
「村のおさ」「村の長」。
「もんちやくする」「悶着する」。
「とみに言(いひ)とくによしなく」急にここで縷々(るる)事実を話して説得する余裕もないので。場の雰囲気が完全に主人公に不利であるから、弁解を即座に信て呉れそうもないからである。
『如何せん。』
「圍み」人垣。
「もてあつかひたること」「持て扱ひたる事」は、ここでは「取り扱いに苦しむ・もて余す」の意。
「舒(の)びたる」「舒」は音「ジョ・ショ」で、訓は「のべる・のばす・ゆるやか」。
「殊勝」(見た目や今の態度が主人公よりも遙かに)健気(けなげ)で感心に見えることを指す。
「ものから」先と同じ順接の確定条件の原因・理由の用法。
「吾こそ盜人にて候なれ、あれに在(います)は御侍の旅人なれば」「こそ~(已然形)、……」の逆接用法。
「聊爾(りようじ)」ぶしつけで失礼なこと。これはもともとは「かりそめ」・「ちょっと」・「暫く」といったかなりフラットな意味であるが、「かりそめ」(仮初め)に「軽々しい・こと(さま)。おろそか。ゆるがせ」の意があるから、そこから「沮喪・しくじり」となり、このような意味を表わすようになったものであろう。
「なせそ」するな。呼応の副詞で禁止の意の「な」+サ変動詞「す」の未然形+禁止の終助詞「そ」。
「こわ」「こは」(代名詞「こ」+係助詞「は」)。「これは! まあ!」の感動表現を示す連語。
「さりけり」「然(さ)りけり」。そうだったのか。]