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2018/09/23

反古のうらがき 卷之三 はかせのぬす人

 

   ○はかせのぬす人

 

[やぶちゃん注:やはり改行を施した。]

 何がしといふ人、いとけなきより、物よむことを學びて、詩つくり、文作ることさへ、くらからず。

 其性も、もの靜(しづか)に、かたち、けだかくおひ立(たち)ぬれば、

「末々は、ゆゝしきはかせにもなるべし。」

と、人々、いゝ[やぶちゃん注:ママ。]あへりける。

 此人、家のまづしきにもあらず、ことのたらわぬ[やぶちゃん注:ママ。「足らはぬ」。物に不自由している状態。]にもあらねど、いかなる故にや、人のものを奪ふことをこのみて、いくたびとなく、人にあやしめらるゝことありけるが、それにても、なを[やぶちゃん注:ママ。]やまで、折々に此事、ありけり。

 果(はて)には、人人(ひとびと)、皆、しり侍りて、交りをする人もすくなくなり行(ゆく)にぞ、後には、しらぬ人の家に行(ゆき)て、もの奪ふことをぞなしける。

 いかなる道ありて奪ふやといふに、何方(いづかた)にても、ふみよむ聲の聞ゆる家には、必(かならず)、心覺へ[やぶちゃん注:ママ。]をして、其あたりの人々に其姓名を問ひ置き、其後(そののち)、玄關(おもてむき[やぶちゃん注:底本のルビ。])より、あないをこひて、おとなふなり。

 それも聲をひきく[やぶちゃん注:低く。]して、よくも聞へぬよふ[やぶちゃん注:孰れもママ。]に、一聲(ひとこゑ)二聲にして、こたへもなく、出來る人もなければ、

「そろそろ」

と障子おしひらきて内にいりて、しばし待合(まちあは)せて、人、出(いで)くるさまもなければ、又、座敷に入(いり)て待合(まちあは)す。

 かくしても人の出くるさまなければ、其あたりにある物、何となく奪ひ、出(いづ)るなり。

 もし、人の出來(いでく)ることあれば、

「先程より、あなひを乞ひ侍れども、取次(とりつぐ)人のなければ、きも太くも、これまで入來(いりき)にけり。ゆるし玉へ。」

といゝて[やぶちゃん注:ママ。]、

「扨。其(その)訪ひ來(こ)しゆへは、吾、文(ふみ)よむ事をこのみて、同じ友のほしさに訪(おとな)ひこしたれば、おしへ玉ふことも聞(きか)まほしく、又、これよりも、きこへたきことども、多し。」

など、いひて、かたらふに、もとより、其道にはくらからねば、いつはりともみへず、たゞ、

「文よむ人のくせとして、ものごとにおろそかにして、人の家に入るにも、おとない[やぶちゃん注:ママ。]もなく入來(いりきた)ることなどあるは、常のことよ。」

などいひて、ことすむなり。

 かくある後(のち)は、名をもきこへて、しる人になりて、怪しまれざるよふ[やぶちゃん注:ママ。]にして、又、他(よそ)の家に行(ゆく)なりけり。

[やぶちゃん注:こうなった場合は、相手にそれを信じ込ませて、怪しまれぬようにするのである。計算高く、巧妙である。]

 或る日、さるはかせがり行(ゆき)て見しに、折節、文學(ふみまな)ぶ童子どもがみなさりて、玄關におとなへども、こたへもなし、立入(たちいり)て見しに、人もなし。あたりに、文ばこ、つみかさねたるがありければ、ふたおしあけて、手にあたる文ども、引出(ひきいだ)して、ものにおしつゝみて、直(ただち)に持(もち)て出(いで)けり。

 あるじのはかせは、おくまりたる所にて、ひる飯給(た)ふべて有(あり)けるが、たうべ果(はて)たれば、又、座敷にいでゝ見れば、文箱の蓋、取(とり)ちらして有けるに、怪しくて、

「誰(だれ)ぞ來(き)てけるか。」

ととへども、しるもの、なし。

 おさなきものゝおもてに遊びゐたるにとへば、

「今、しらぬまろう人[やぶちゃん注:ママ。]【客ど。】[やぶちゃん注:「客ど」は「まろう人」の右傍注。]の來(き)玉ひて、何にかあらん、持(もち)て、去り玉ひぬ。」

といふに、文箱の内を見れば、品々の文ども、見へずなりぬ。

「何人なるか。遠くは行(ゆく)まじ。おひかけてみるべし。」

とて、其衣服・かたちをとひしりて、おもての方へおひ行(ゆき)けり。

 其日は、雨のはれたる後(あと)なりければ、ちまたのみちの、どろ、ふかくて、とくも[やぶちゃん注:速やかには。]おひ得で、走りなやみけるが、さる城主が門の前にて、あやしき人をぞ見付ける、と見れば、おさなきものがいふに違(たが)はず、雨のころもの、身だけ[やぶちゃん注:後の表記から「身丈(みたけ)」で、成人男子が直立した際、首の首の中央部の骨の突起(頸椎点)から踵の中央部分までの高さを言う。]なるに、高きあしだをはきて、手に文(ふみ)めける物の、大づゝみにしたるをもてり。

「しばし待ち玉へ。」

と聲かけたれば、高き下駄をば、ぬぎすてゝ、泥の中をひた走りに走るにぞ、

「扨は、まごふ方なし。」

と、おなじよふ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]に走りて、やがておひ付(つき)て、

「手にもてる包み、見せ玉へ。」

とて、手をかくるに、少し爭ふよふなりしが、ゆきゝの人の、多く立(たち)よりて見る間(あいだ)に、かきゆひ𢌞(めぐら)したるよふ[やぶちゃん注:「垣結ひ𢌞らしたる樣(やう)。]なれば、

『かなわじ[やぶちゃん注:ママ。]。』

 

とや思ひけん、其儘に、わたしてけり。

 其中は、みな、見覺へ[やぶちゃん注:ママ。]の文なれば、打(うち)も、くゝり[やぶちゃん注:「括(くく)り」。引っ括る。捕縛する。]もすべかりけれども、餘りに盜人めかぬ人が仕業(しわざ)なれば、

『よふこそあらめ。』[やぶちゃん注:何かわけがあるのであろう。]

とて、まづ、其名をとふに、少し爭ひて、とみにはいわざりけれども[やぶちゃん注:ママ。]、はては、

『何某が家の子。』[やぶちゃん注:「家の子」は家臣。]

と答ふ。

「しからんには、幸ひに其主(あるじ)と相(あひ)しる人、あり。よびて來(き)て、いかにもすべし。」

とて、人して、よびて來てければ、一目見るとひとしく、

「あな、いたまし、家の子にては、あらずかし。其(その)主が第二のわか[やぶちゃん注:「若」。次男の若様。]にて侍るは。」

といゝて[やぶちゃん注:ママ。]、身をかくして、にげて去りけり[やぶちゃん注:その呼ばれて来た人物が、である。主人の子息であり、その人物はとても引き取って対応出来るような身分の者ではなかったのであろう。]。

「扨は。とらへて、せん、なし。もの取返へしたれば、此儘、はなちやるぞ。」

とて、はかせは、さりてけり。

 さらぬだに、身丈(みだ)けの雨衣着たる人は、手に物持つだに似合(にあは)しからぬが、今は、高足駄は、はるかのみちのべにぬぎ捨(すて)ぬ。

 手にもてる物は幸(さいはひ)に取(とり)かへされたれば、かへりてよけれども、多くの人が追々立(たち)まさりて、

「いかなる人なるや。」

「二腰の刀さして、見ぐるしからぬ人がらなるが。かかる淺ましき樣(さま)は如何に。」

といふもあれば、

「いや、みしりたる人なり。怪しきわざする人と常々きくなるが、果して、人のいふに違(たが)はで、かゝる恥辱をとるなりけり。」

などいふが、みな、其人の耳にいりて、其くるしさ、如何(いかが)なりけん。

 扨も、かくてあるべきにもあらねば、人立(ひとだち)の内(うち)をおし分(わけ)て、泥道、ふみ分(わけ)て去りける、ときゝしが、程もなくて、家の内にとぢこめられけり。

 今は如何になりしや。

[やぶちゃん注:所謂、今も多い、「病的窃盗」「窃盗症」(Kleptomania:クレプトマニア)である。経済的利得を得るなどの目的性が全く認められない(窃盗理由が一般の他者には理解不能である)、窃盗自体の衝動のままに反復的に窃盗行為を実行してしまう衝動制御障害に包括される精神障害の一種である。才能が有意にあること・次男であること・座敷牢処理されたところ等から見ると、父か母、或いは両方の愛情欠損を、本疾患発症の一つの大きな起因の一つと考えることは可能であろう。桃野は描写力が半端ない。イタリアン・ネオリアリズモの映画を見るような感じが実に凄い。]

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