反古のうらがき 卷之三 二人のくすし
〇二人のくすし
[やぶちゃん注:如何にも物語風なれば、改行を施し、注を入れ込んだ。]
たとき御方につかへまつるくすしなんありけり。おひたるとわかきと、二人、むつみ深かりけり。たがひにざえ【才】[やぶちゃん注:「才」は「ざえ」の右傍注。]の世にすぐれたるをほこりて、はては
「智慧くらべして、かけ物せん。」
といひけり。
「扨、いかにせん。」
といふに、
「北の御方にもの奉りて、其御こたへとて、物たびてんとき、よき物得たらんものこそ、智慧まさりたりとは定むべし。」
といへば、
「いみじく計りけり。」
とて、其事には定めける。
家にかへりて、
「何をか奉らん。」
と案じわづらふに、わかき藥師がおもふに、
「先に、北の御方御なやみありしとき、つきづきの女づかさが、ひそかに、とひし事あり。『琉球芋[やぶちゃん注:薩摩芋のことであろう。]の能毒(のうどく)はいかに。北の御方の御なやみにさわりはあらじ』などいへり。思ふに常にこのみ玉ひてめすにてあらん。これは女のこのむ物なれば、貴きいやしきの隔てはあらじ。さらずともつきづきの女づかさどもは、これをこのむ人もおほかるべし。さあれば、奉り物は、これにしかじ。」
と、琉球芋のよくこへふとりたるをゑらびて、米だわらに入(いれ)て貮つ迄ぞ奉りける。
取つぎの女づかさにいゝ入るよふ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]、
「北の御方にきこへ上(あげ)んよふは、琉球國より、さつの國に渡りて、いま、吾朝にもてはやす、味よき芋にて侍れば、御藥にかへ玉ひても、くるしからず。御つきづきの女郞にあたへ玉へば、色を白くし、みめをよくし、膚につやをせうず。」
など、口がるにのべければ、みな人、
「にくきゑせくすしがいひてふ哉(かな)。」
[やぶちゃん注:「憎き似非藥師が言ひてふかな」で、「いひてふ」は恐らく「言ひ言ひて」(「繰り返し言って・あれこれ言って」の意)の後半が「といふ」の約「てふ」に変じたものであろう。]
とて、よくも聞果(ききは)てゞ、三人四人(みたりよたり)づゝ立出(たちいで)ては、さしになひ、いとおもげに、もて入(いり)にけり。
「よくもしつるものかな。」
と、吾ながらにたゝへてかへりぬ。
扨、老たるくすしも、
「何をがな。」
と思ひつゞくるに、これも、同じことをぞ案じいでけり。
「先に北の御方の御くすりめすとき、御忌みものを聞へ上げしに、女づかさがおどろきていふよふは、『餘(よ)の品々はさわりなし、「わりな」は常にめす物なり。穴賢(あなかしこ)、あやまりて、ぐこに、なそなへそ』と、其つかさつかさへふれたるを思へば、常に好みて、「わりな」をめすとこそ覺へ侍る。さあらんには、よふこそあれ。」
[やぶちゃん注:「わりな」割菜。乾燥させた里芋(八頭)や蓮芋などの葉柄。「随喜(ずいき)」「芋茎(いもがら)」(皮を剝いて干したもの)とも称する。戦国時代から保存食として食されてきた伝統的な保存食。水やぬるま湯などで戻し、酢を入れたお湯で茹でてあく抜きをした後、酢の物・和え物・味噌汁・煮物・きんぴらなどに用いられる。
「ぐこ」「供御」。女房詞で「御飯」のこと。「くご」とも。]
とて、唐のいも[やぶちゃん注:「とうのいも」で、ここはサトイモを指すと考えてよかろう。]の莖立(くきだち)て葉をさへひらきたるが、たけ、六尺斗りもあらんと思ふを、瓦の鉢に植(うゑ)て、一もと奉りける。きこへ奉るよふは、
「これは常に『ぐこ』にもそなへ侍る『わりな』の、いけるまゝをとり得て侍れば、餘りに珍らかなるによりて奉り上る也。『ぐこ』に備へ侍るは、きたなげにほしからして侍れば、いくたびかせんじてものにつくるにてさむらへ[やぶちゃん注:ママ。]ば、味ひ、さりはてゝ、ものにも似ず侍る也。これは其まゝにて、見そなわす如く、いみじく淸らに侍れば、葉まれ、莖まれ、そがまゝにせんじてめすとも、おのづからなる味ひありて、殊に人の身にますこと、多く侍るかし。女郞のうへには、更にめでたきことありて、いかなる『うまづめ』【石女】[やぶちゃん注:「石女」は「うまづめ」の右傍注。]なりとも、これをふくせんには、必(かならず)、近きに、はらめること、あるべし。これ、いものこの多きにても、しらるゝ道理にて侍る。」
など、聞へ上げたり。
「さても、にくきくすしどもが計ひや。」
と、女づかさ共がのゝしるをばしらで、
『計(はか)りおゝせぬ。』
とおもいて[やぶちゃん注:ママ。]歸りてけり。
かゝるくせ者どもが奉り物も、そがまゝに捨置(すておく)べきにあらぬならひにて、聞へ上げしよふも[やぶちゃん注:献上した際の各薬師が述べ上げた能書きも。]、のこりなく取次(とりつぎ)て、みまへにぞ出(いだ)しけり。
日をへて、
「御こたへの賜物あり。」
とて召すにぞ、うれしくみまへに出(いで)にけり。
黑漆のからひつ[やぶちゃん注:「唐櫃」。]に、山なす斗り、もの取入(とりいれ)てみまへにすへたり。
北の御方、御手づから、ゑりとらせ玉ひてたぶ、といふが、ふるきためしなれば、其日も、さるかまへしつるにてぞありける。
「此くせ者どもが、何れか智慧まさりて、案じ出(いだ)しことの、其(その)づに當りたるや。」
といふに、老たる方は、殊に久しく見もし、聞もしたること多ければ、これが勝(かち)たるにて、北の御方は常に「わりな」をすかせ玉ひけるにてぞありける。琉球芋はさまでにすかせもし玉はず。
みまへにすへ侍る時も、きたなげにみへ[やぶちゃん注:ママ。]侍れば、さまでにめでもし玉はず、ひたすら唐の芋を、
『めづらし。』
とぞ思(おぼ)し玉ひけり。
よりて、これにこたへ給はんとき、
「よき物とらせん。」
とて、から櫃のうち、ゑり[やぶちゃん注:「選り」。]求め玉ひて、
『これぞ、よきもの。』
とや思しけん、油紙の烟草入(たばこいれ)に、金の箔、おきつめたる[やぶちゃん注:「置き詰めたる」であろう。]を、取出(とりいで)て、たぶ。
今一人には手に當る物を取りて、たびけり。
これは和蘭陀(おらんだ)の羅紗(らしや)にて作りたる紙入に、白銀(しろがね)の金物(かなもの)打(うち)たるにてぞありけり。
みなみな、みまへをしぞきて、いふよふ、
「芋の莖を奉りしは、北の御方の御心にかなひしに疑ひなけれども、餘りに『よき物たばん』とて求め玉へば、元より物のよしあしもしろしめさぬものから、金の光りのめでたく見へしを、『上(うへ)なきよきもの』とおぼし誤りて、たびけるなり。然れば、智慧は、右[やぶちゃん注:対になる一方。ここは我(われ:話者である老薬師)の意。]、勝(まさ)りたるなれども、手に當る物をたびたる方(かた)、かへりて、よきもの得てければ、物は、そこ、勝(まさ)りたり。『奉りし物がかろければ、たまものもかろき』ぞことはり[やぶちゃん注:ママ。]にあたりて侍るなれば、『みな、大ぞらよりさづけ玉ふものぞ』と思ひて、かまへて智慧をば、たのむまじきもの。」
とて、互に笑ひ侍るとなん。