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2018/09/06

反古のうらがき 卷之二 鶯

 

 反古のうらがき 卷之二

    ○鶯

 いつの頃にや、四ツ谷信濃町永井飛驒守屋敷に廣き竹藪あり。その頃は籬(かき)もまばらにて、人の出入もなるよふ[やぶちゃん注:ママ。以下も同じ。]なる樣(さま)にてぞありける。

 ある人、夜更て其あたり過るに、折節、夏の初なるに、鶯の巢立せしにや、

「ヒイヒイ。」

といふこへ[やぶちゃん注:ママ。]聞へけり。

「こは、よき物あり。入て取て歸らん。」

と、疎(ま)ばら籬、踏越へて、聲する方に尋行しに、月は雲がくれて、殊に竹深ければ、いとくらし。

「此あたりよ。」

と立よりて探り見れば、人の足あり。

「扨は、吾より先に入たる人にや。」

と、よくよく見れば、さはあらずして、首縊(くびくゝ)りのかゝりたるにて、

「ヒイヒイ。」

といふは、いまだ少し、息の通ふにてぞありける。

 此人、

「あなや。」

といゝ[やぶちゃん注:ママ。]て逃出けるが、幸に人も聞付(ききつけ)ず、近きあたりの人なりければ、急ぎ、家に歸りけり。

「おそろしと思ふ時は、かゝるひそやかなることしながらも、吾を忘れて、聲立(たつ)るもの。」

とて、笑ひけるとなん。

[やぶちゃん注:底本でも以下は改行が施されてある。]

 又、牛込御徒町に明(あき)屋敷ありて、秋の末、箒草(はゝきぐさ)のよく生へ繁りけるを、西の木守る人は東に讓り、東の木守る人は西に讓りて、敢てこれを取ることなし。

 ある時、月暗き夜、西の木守り、惡心起りて、鎌をこしにして行けり。

 ひそやかに入てかる程に、一人にては負(おひ)がたき程、かりけり。

 細引の麻繩もて、よくからげ、常に駕籠(つゞら)負ふ樣に背に負ひて、またひそやかに出んとしけるに、思はずも、古き井に落けり。

 箒草を餘りに多く負ひたれば、落もやらず、中途にして止まりけり。

『こは如何せん。』

と思ふに甲斐なし。

 しばしば思案して、ひそやかに出(いで)んとしけれども、出(いづ)べき手立(てだて)なくて、おめおめと聲を立(たて)て呼けり。井の中程なるに、箒草、塞がりたれば、外へは聞へで、聲のかるゝ迄呼(よび)けれども、誰(たれ)助(たすく)る者もなし。

 かくて夜も明けれども、井の中はくらく、いつといふもしらでありけるが、東の木守る人、其あたり、行かよひて、箒草の少し減じたるよふに覺へければ、試(こころみ)に入て見てければ、大(おほい)にかりとりたる跡あり。

「こは、口惜し。何物か入て盜みけるよ。かくとしらば、吾、先に入てからん物を。」

と、思ひつゝ立(たち)めぐるに、古井のへんに、かすかに呼(よば)わる[やぶちゃん注:ママ。]聲の聞ゆるにぞ、立よりて見れば、箒草一ぱいに滿ち塞がりて、その下なり。

「扨は盜(ぬすびと)の落けるよ。」

とて、人々に告て、からくして引出(ひきいだ)せしに、西の木守りなりければ、飽(あく)まで罵りてゆるしけると也。

[やぶちゃん注:臨場感を出すために改行を施した。個人的には、前半の話柄は如何にも後味が悪い。「ある人」は自殺者を救うべきであろうところが、奇妙な感想を漏らして笑うからである。しかし、寧ろ、そこが「生きた人間こそ鬼よ」という怪談の真骨頂なのかも知れぬ。後注で、再度、分析しているので御照覧あれ。

「四ツ谷信濃町永井飛驒守屋敷」不詳。切絵図を見ると、四谷信濃町附近にあるのは「永井遠江守」・「永井若狹守」・「永井肥前守」の屋敷で、やや離れた東方の安鎮坂の近くに「渡部飛驒守」の屋敷はある。

「人の出入もなるよふなる樣(さま)にてぞありける」「樣」は「やう」かも知れぬ。人の出入りも容易に出来るような感じに見受けられる様子ではあったという。

「人の足あり」尋常ならば人の足跡ととるところであろうが、それでは怪奇談集としては失格であろう。藪を分け入ったところが、藪蔭から、少し先の方に人の足が見えた、としたい。

「おそろしと思ふ時は、かゝるひそやかなることしながらも、吾を忘れて、聲立(たつ)るもの」この評は何を言っているのかを考えると、奇妙と言うか、注の冒頭で述べた通り、そう言って笑った「ある人」の心の冷血が見えてくる。

①題名を「鶯」としたことや、話柄自体の構造からみると、秘かに縊死を実行しようとしながらも、首に繩目が食い込んだその時、「死ぬんだ!」と恐怖を感じたその時には、こんなところで人知れず死のうと望んだにも拘わらず、我を忘れて、思わず、何とまあ、鶯の鳴き声(ね)に似た「ヒイヒイ」! という声を立ててしまうものなんだなぁ、「とて、笑ひける」という意味で、まずはとれる。これも自殺実行者への情けのかけらもないわけで、人非人的ではある(但し、そこでこの自殺志願者を助けていると、恐らくはその大名屋敷の内に知れて、お咎めを受けるのは必定であろうから、必ずしもこの男を批難することは出来ない気もする)。

 しかし、一方で、これは、自殺者のことを全く度外視しているものと読むことも出来る。事実、主人公はまだ息のある自殺者を放置して脱兎の如く逃げている訳だし、そもそもが逃げ出した後に彼は――幸いにも、彼の「あなや」!の叫び声を聞きつけた屋敷内外の人間はは一人もおらず、彼自身も近くに住んでいた者であったので、急いで家に帰って、その一部始終は目撃されなかった――と言っているからである。則ち、

②鶯を捕えようと、こともあろうに、大名屋敷の屋敷内に不法にこっそりと侵入した主人公が、縊死して死にかけた人を発見し、思わず、「あなや」(ヒエエッツ!)と大声で叫んでしまったことを指すとも読めるのだ。則ち、首を吊って自殺をせんとして、死にきれずいる者を目の当たりにし、「おそろしと思」った時、今、自分が、お大名の屋敷に入り込んで鶯を獲ろうなどという、見つかれば、盗賊として斬り殺されても文句は言えない「ひそやかなることしながらも、吾を忘れて」「あなや」と思わず、叫び声を立ててしまうもんなんだなぁ、「とて、笑ひける」である。

 前に述べた通り、②は甚だおぞましく、救い難い。しかし、ここは、より人の心の闇が覗く②の意味なのではないかと私は思うのである。だいたいからして、この二話は孰れも不法侵入及び窃盗の話なのである。大方の御批判を俟つ。

「牛込御徒町」切絵図を見ると、現在の都営大江戸線の牛込神楽坂駅の南東側の新宿区北町・中町・南町附近である。(グーグル・マップ・データ)。

「箒草(はゝきぐさ)」ナデシコ目ヒユ科バッシア属ホウキギ
Bassia scoparia。アジア・中国原産。本邦では「延喜式」に雑薬として武蔵国と下総国からの献上が記録されてある。江戸時代には広く庭や畑で栽培され、若い葉はひたし物や和え物として食べ、種子を「とんぶり」と呼んで食用にする。生鮮野菜以外に、若葉を熱湯にくぐらせ、乾燥保存もされた(小学館「日本大百科全書」に拠る)。]

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