譚海 卷之三 節分内侍所の大豆 御修法の護摩
節分内侍所の大豆
○節分の夜衆庶(しゆうしよ)内侍所に參入し、錢十二文を入れ追儺(つひな)の大豆(だいづ)を拜授しかへる事也、平日も所知の人に託し乞へば神符をえらるゝ也。
[やぶちゃん注:「節分」ここは旧暦の立春の前日(大寒の最後の日)。太陽暦では二月三日か四日。
「衆庶」一般庶民。
「追儺の大豆」「追儺」は本来は旧暦十二月三十日に大晦日に宮中で行われた「儺(な:鬼)やらい」の儀式で、現在の節分のルーツとされるものであるが、ここでは既に庶民の「節分」の行事が現在と同じ時期に行われるようになっていて、やはり今と同じ用途(鬼やらいの豆撒き用の豆)のそれを指している。]
御修法の護摩
○御修法(みずほふ)の護摩は、元日より七日まで御室(みむろ)にて行(おこなは)るゝ也。八日より禁中にて行るゝ事又一七日(ひとなぬか)ばかり也。その供物廿四時宿次(しゆくつぎ)にて關東へ每年通さるる事也。
[やぶちゃん注:「御修法」「みしゆほふ(みしゅほう)」或いは「みしほ」とも読む。「みずほふ(みずほう)」で読んだのは私の好みから。宮中限定で行われた密教の法会。真言宗に於ける「後七日御修法(ごしちにちのみしゅほう)」の略称。一月八日から七日間に亙って、国家平安と繁栄を祈って宮中の紫宸殿に於いて、金剛界・胎蔵界を隔年で修した。
「御室」ここは天皇の住居たる御所を敬って言った語。
「廿四時宿次」昼夜兼行の各宿場取り次ぎの最優先送達便のことと思われる。]