小泉八雲 神國日本 戸川明三譯 附やぶちゃん注(58) ジェジュイト敎徒の禍(Ⅲ)
家康――今までに現はれた中での最も機敏な、そして又最も人情の深い經世家の一人であるdあこの決斷を正當に評價するには、日本人の見地からして、彼をしてかくの如き行動をとるの已むなきに至らしめた、その根本となつてゐる證據の性質を考へて見ることが必要である。日本に於けるジエジユイト派の陰謀に就いて、彼は充分に承知して居たに相違ない、――その陰謀の中には家康の身を危くするやうなものも少からずあつたので――併し彼はこのやうな陰謀が發生するといふ單なる事實よりも、その陰謀の究極の目的と實際は、如何になるかといふ、その結果をむしろ考慮したらしいのである。宗教的陰謀は佛教徒の間にあつても普通の事であつた。そしてそれが國家の政策、若しくは公共の秩序を妨害した場合は別として、さうでない限りそれは武力的政府の注意を惹くことは殆どなかつたのである。併し政府を轉覆すること及び宗派を以て一國を占有することを、その目的とする宗教的陰謀は、これは重大な考慮を要する事である。信長はこの種の陰謀の危險なることに就いて嚴しい教訓を佛教に與へた。家康はジエジユイト教派の陰謀が、最も大きな野心を包藏した政治上の目的をもつてゐると斷じた。併し彼は信長よりも遙かに隱忍して居た。一六○三年には、彼は日本の諸州を悉く彼の威力の下に歸せしめた。併し彼は爾後十一年を經過するまでは、その最終の布告を發しなかつた。その布告は、外國の僧侶達は政府の管理を掌中に收めて、日本國の領有を獲ようと計つてゐるといふことを率直に明言したのであつた。――
[やぶちゃん注:「一六〇三年」慶長八年。この年の二月十二日(グレゴリオ暦三月二十四日に徳川家康に将軍宣下が下り、ここで江戸幕府が正式に開府された。
「彼は爾後十一年を經過するまでは、その最終の布告を發しなかつた。その布告は、外國の僧侶達は政府の管理を掌中に收めて、日本國の領有を獲ようと計つてゐるといふことを率直に明言したのであつた」或いは、プレに慶長十七年三月二十一日(グレゴリ暦一六一二年四月二十一日)に江戸・京都・駿府を始めとする直轄地に対し、教会の破壊と布教の禁止を命じた禁教令の布告(戸幕府による最初の公式のキリスト教禁令)を指すか、同年八月六日(九月一日)の「伴天連門徒御制禁也。若有違背之族者忽不可遁其罪科事」という全国的なキリスト教信仰禁止の布告を指すか、又は「十一年」は「数え」で、幕府開府から十年後の、家康が第二代将軍秀忠の名でブレーンであった臨済僧以心崇伝に命じて起草させて発布した「伴天連追放之文(バテレン追放令)」(ウィキの「禁教令」では慶長十八年二月十九日(一六一三年一月二十八日)布告とするが、小学館「日本大百科全書」では慶長十八年十二月二十三日(一六一四年二月一日)とあるので、確認したところ、禁令原文の最後のクレジットは「慶長十八」「臘月」(旧暦十二月の異名)とあることが判った)。但し、ウィキの「禁教令」によれば、実際にはまだ、『幕府は信徒の処刑といった徹底的は対策は行わなかった。また、依然としてキリスト教の活動は続いていた。例えば中浦ジュリアンやクリストヴァン・フェレイラのように潜伏して追放を逃れた者もいたし(この時点で約』五十『名いたといわれる)、密かに日本へ潜入する宣教師達も後を絶たなかった。京都には「デウス町」と呼ばれるキリシタン達が住む区画も残ったままであった。幕府が徹底的な対策を取れなかったのは、通説では宣教師が南蛮貿易(特にポルトガル)に深く関与していたためとされる』とある。
以下、底本では「身を曝す事にならう。」までは本文同ポイントで全体が二字下げ。]
『切支丹の徒は日本に來り、日本の政府を變へ、國土の領有を獲ようとするために、ただに貨物の交易に彼等の商船を遣はすばかりでなく、惡法を播布し、正しき教へを打倒さうと熱望してゐる。これこそ大災難を起こす荊芽であつて打潰さなければならぬ……
[やぶちゃん注:「荊芽」(けいが)は茨の芽であるが、ここは「刑罰に値する悪しきものの萌芽」の意。]
『日本は神々及び佛の國である、日本は神々を崇め佛を敬ふ……【註】伴天連の徒は神々の道を信仰せずして眞の法を罵る――正しき行ひに背いて善を害ふ[やぶちゃん注:「そこなふ」。]……彼等は眞に神神及び佛の敵である……若し之が速に[やぶちゃん注:「すみやかに」。]禁ぜられずば、國家の安全は確に今後危險とならう、又若しその時局を處理するの衝[やぶちゃん注:「しよう(しょう)」。大事な任務。]に當たつてゐる者共が、この害惡を抑止しなければ、彼等は天の怒に身を曝す事にならう。
[やぶちゃん注:以下は底本ではポイント落ちで全体が三字下げ。]
爰吉利支丹之徒黨、適來於日本、非啻渡商船而通資財、叨欲弘邪法威正宗、以改域中之政號作己有、是大禍之萠也、不可有不制矣、日本者神國佛國、而尊神敬佛……彼伴天連徒黨、皆反件政令、嫌疑神道、誹謗正法、殘義損善。……實神佛敵也、急不禁、後世必有國家之患、殊司號令不制之、却蒙譴天矣、日本國之内、寸土尺地、無所措手足、速掃攘之、强有違命者、可刑罰之、……一天四海宜承知、莫違失矣。
[やぶちゃん注:「啻」は「營」であるが、平井呈一氏の引用(但し、誤り有り)その他原布告文を確認して訂した。以下、自己流で訓読しておく。
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爰(ここ)に吉利支丹の徒黨、適(たまたま)日本に來り、啻(ただ)に商船を渡して資財を通ずるのみに非ず、叨(むさぼ)るに、邪法を弘(ひろ)め、正宗(しやうしゆう)を惑はさんと欲し、以つて域中(いきなか)[やぶちゃん注:国中。]の政號を改めて、己(おの)が有(ゆう)と作(な)さんとす。是れ、大禍(たいくわ)の萠(きざし)なり。制せずんば有るべからず。日本は神國・佛國にして、神を尊(たつと)び、佛を敬す。……彼(か)の伴天連の徒黨、皆、件(くだん)の政令に反(そむ)き、神道を嫌疑し、正法(しやうばう)を誹謗し、義を殘(そこな)ひ、善を損ず。……實(まこと)に神敵。佛敵なり。急ぎ、禁ぜずんば、後世、必ず、國家の患(うれ)ひ有り。殊(こと)に號令を司(つかさど)りて、之れを制せずんば、却つて天譴(てんけん)を蒙らん。日本國の内、寸土の尺地、手足を措(お)く所(ところ)無し[やぶちゃん注:キリスト教の伝道者が主語。本文後文を見よ。]。速かに之れを掃攘(さうじやう)し[やぶちゃん注:払い除くこと。この語は後の幕末に於いて「外国を排撃する」の意で盛んに用いられた。]、强いて違命有らば、之れを刑罰すべし。……一天四海、宜(よろ)しく承知すべし。敢へて違失する莫(なか)れ。
*]
『これ等の者は(布教師のこと)卽刻一掃されなければならぬ、かくして日本國内には彼等のためにその足をおくべき寸土もないやうにしなければならぬ、そして又若し彼等がこの命令に服することを拒むならば、彼等はその罪を蒙るであらう……一天四海もこれを聽かん、宜しく從ふべし』
註一 伴天連とはポルトガル語のパドレ(padre)の飜譯であつて、宗派を問はず、總てロオマ舊教の僧侶に今日でも使用されて居る名稱である。
註二 右の全宣言はかなり長いもので、サトウ氏によつて飜譯されたものであるが、日本アジヤ協會記事“Transactions of the Asiatic Society
in Japan”第六卷第一部の内にある。
[やぶちゃん注:最後の記事名は“Transactions of the Asiatic Society of
Japan”の誤りである。]