萩原朔太郎詩集「月に吠える」ヴァーチャル正規表現版を始動する。
使用底本は所持する昭和五八(一九八三)年刊の日本近代文学館刊行・名著復刻全集編集委員会編・ほるぷ発売の「名著復刻 詩歌文学館 紫陽花セット」内の内のアンカット装のそれ(大正六(一九一七)年二月十五日感情詩社・白日社出版部発行)を実際にカットしながら用い、田中恭吉及び恩地幸四郎(二人ともパブリック・ドメイン)の挿絵も総て掲げる。底本の復刻版セットは、私が教員になって四年目の冬、出版の年のボーナスで買ったものであった。もう幾らだったか忘れたが、恐らく、私が人生で最初に買った、最も高額な書籍(セット)であったと記憶する。購入した理由は、私の卒業論文であった尾崎放哉の句集「大空(たいくう)」(初版現存物は極めて少なく、私が訪ねた彼の属していた『層雲』社にもなかったし、彼の研究者でさえも所持していない方が多い)が含まれていた(同書画像は私の同書初版本を底本とした尾崎放哉「入庵雜記」に掲げてある)からであるが、それだけでは値段的に躊躇されたのを、この「月に吠える」もあったことが後押しをしてくれたものであったことを覚えている。
詩篇本文の加工用データとしては、鹿児島県立短期大学文学科准教授竹本寛秋氏が公開しておられる、「萩原朔太郎『月に吠える』(大正六年二月)テキストデータ」を使用させて戴いた(失礼乍ら、かなり誤植が認められる)。ここに謝意を表する。
字体は勿論であるが(但し、新字相当の表記も有意に認められる)、ポイントや字間も可能な限り類似させたが、後者は完全な再現はしていない。例えば、標題は概ね詩篇本文の活字の一字から一時半下げ分ぐらいであるが、一定しないし、本文の活字の組み方自体が普通よりやや間が空いているため、一律、二字下げに統一した。また、詩篇本文内の文末でない読点は、有意に打った字の右手に接近し、その後は前後に比して一字分の空白があるように版組されている。これは朔太郎の確信犯なのだろうが、これを再現しようとすると、ブラウザ上では、ひどく奇異な印象を与え、そこで躓いてしまう(少なくとも私はそうである)ので、これはある特別な箇所を除いて無視し、再現していない。ルビは当該字の後に丸括弧で示した。字体も主要部が明朝であること、数箇所でゴシックが用いられていることを考慮して、基本を明朝とした。私の注に出る英語は私の趣味でローマン体を使用した。
書誌情報及び校合資料として、昭和五〇(一九七五)年筑摩書房刊「萩原朔太郎全集」第一巻を使用した。
文中段落末或いは詩篇末に、ごく禁欲的に注を附した。
それにしても、最初から馬鹿正直にカットしつつ、詩篇本文に到達するのに(二十六帖)これだけ時間のかかる詩集も、まず、珍しい。【二〇一八年十月二十九日 藪野直史】【二〇一八年十一月一日 藪野直史・追記:実は、この迂遠な冒頭は、本詩集の底本が、「月に吠える」の初版本でも特殊な製版を施したものであることに拠ることが、作業中に判明した。「愛憐」の私の注をフライングして参照されたい。】
[やぶちゃん注:カバー表紙と背。裏は無地なのでカットした。絵は田中恭吉の「夜の花」。生誕百二十年記念として和歌山県立近代美術館で催された「田中恭吉展」の「出品目録」(PDF)を見たが、「夜の花」という出品作はない。「闇の花」(回覧雑誌『密室』三・大正二(一九一三)年五月作(インク・彩色、紙))というのが気になるが、別物かも知れない。]
[やぶちゃん注:本体表紙と背。裏は無地なのでカットした。絵は恩地幸四郎の「われひらく」。]
月に吠える 詩 集
[やぶちゃん注:扉。]
[やぶちゃん注:扉の次の次のページ。以下に書記方向を逆転させて電子化する。崩し字の「え」は「江」で示した。ポイントは総て同じとした。
なお、共同出版となっている「感情詩社」と「白日社」であるが、「感情詩社」は室生犀星(朔太郎三つ歳下)と萩原朔太郎の二人が中心となって運営した出版社で、「白日社」の方は歌人の前田夕暮(朔太郎より三つ歳下。北原白秋と懇意で、彼の雑誌『詩歌』には本詩集の詩篇が多く初出する)が主宰した出版社であった。]
詩 集
月 に 吠 江 る
萩原朔太郎著
――――――――
北原白秋序
室生犀星跋
故田中恭吉挿畵
恩地幸四郎挿畵
――――――――
發 兌
感情詩社・白日社
[やぶちゃん注:田中恭吉の版画(左ページ)。後の挿画の目次には「畵稿より」とあるが、調べてみると、「光」という作品名である。ある記載に大正四(一九一五)年作で大きさは14×8.5とあったが、生誕百二十年記念として和歌山県立近代美術館で催された「田中恭吉展」の「出品目録」(PDF)を見る限りでは、そのクレジットは原型(インク・鉛筆と紙)のものであって、これは彼の死後、本詩集のため、大正六(一九一七)年頃に、彫師(恐らくは「挿畵目次」の後に名が示されてある山岸主計氏)によって原画からに木版に彫られ、それを摺師(これも同じく名が示される小池鐡太郎氏)が摺った校合摺(きょうごうずり:本来は本邦の錦絵に於いては、輪郭だけ彫られた版木が摺師に渡され、摺師は必要な枚数(色数)の墨摺りをして再び絵師に戻すが、この墨摺りしたものを「校合摺」という。絵師は一枚づつ色指定をし(これを「色差し」と称し、必要個所を朱で塗り潰し、指定色を書き込むが、この場合は、作者の田中は既にいないから、彫師がそれを行ったものか。ここについては、サイト「錦絵」の「錦絵の制作技法(1)」を参考にした)の一品らしい。なお、取り込んだ画像が暗いので、有意にハイライトをかけた(実際、光を照らすと、字の金色が目立つからである)。実際には周囲は濃紺である。]
[やぶちゃん注:以下、独立左ページ。]
從兄 萩原榮次氏に捧げる
[やぶちゃん注:以下、北原白秋の序。左ページから。]
序
萩原君。
何と云つても私は君を愛する。さうして室生君を。それは何と云つても素直な優しい愛だ。いつまでもそれは永續するもので、いつでも同じ温かさを保つてゆかれる愛だ。此の三人の生命を通じ、縱(よ)しそこにそれぞれ天禀の相違はあつても、何と云つてもおのづからひとつ流の交感がある。私は君達を思ふ時、いつでも同じ泉の底から更に新らしく湧き出してくる水の(すず)しさを感ずる。限りなき親しさと驚きの眼を以て私は君達のよろこびとかなしみとを理會する。さうして以心傳心に同じ哀憐の情が三人の上に益々深められてゆくのを感ずる。それは互の胸の奧底に直接に互の手を觸れ得るたつた一つの尊いものである。
[やぶちゃん注:「天禀」「てんぴん」或いは「てんりん」。天から授かった資質。生まれつき備わっている優れた才能。天賦。]
私は君をよく知つてゐる。さうして室生君を。さうして君達の詩とその詩の生ひたちとをよく知つてゐる。『朱欒』のむかしから親しく君達は私に君達の心を開いて呉れた。いい意味に於て其後もわれわれの心の交流は常住新鮮であつた。恐らく今後に於ても。それは廻り澄む三つの獨樂が今や將に相觸れむとする刹那の靜謐である。そこには限の知られぬをののきがある。無論三つの生命は確實に三つの据りを保つてゐなければならぬ。然るのちにそれぞれ澄みきるのである。微妙な接吻がそののちに來(く)る。同じ單純と誠實とを以て。而も互の動悸を聽きわけるほどの澄徹さを以て。幸に君達の生命も玲瓏乎としてゐる。
[やぶちゃん注:「朱欒」「ザムボア」と読む。文芸雑誌。東雲堂書店発行。明治四四(一九一一)年十一月から大正二(一九一三)年五月まで十九冊を発刊した。北原白秋編集で後期浪漫派の活躍の場となった。大正七(一九一八)年一月発刊の改題誌『ザムボア』は同年九月で廃刊した。
「据り」「ゐすはり」或いは「すはり」。後者であろう。
「玲瓏乎」「れいろうこ」。「玲瓏」は玉などが透き通るように美しいさま。また、玉のように輝くさま。或いは、玉などの触れ合って美しく鳴るさま。また、音声の澄んで響くさまを言う。「乎」は状態を表わす漢語に附けて語調を强める助字。]
室生君と同じく君も亦生れた詩人の一人である事は誰も否むわけにはゆくまい。私は信ずる。さうして君の異常な神經と感情の所有者である事も。譬へばそれは憂欝な香水に深く涵した剃刀である。而もその豫覺は常に來る可き悲劇に向つて顫へてゐる。然しそれは恐らく凶惡自身の爲に使用されると云ふよりも、凶惡に對する自衛、若くは自分自身に向けらるる懺悔の刄となる種類のものである。何故なれば、君の感情は恐怖の一刹那に於て、正(まさ)しく君の肋骨の一本一本をも數へ得るほどの銳さを持つてゐるからだ。
然しこの剃刀は幾分君の好奇な趣味性に匂づけられてゐる事もほんとうである。時には安らかにそれで以て君は君の薄い髯を當(あた)る。
[やぶちゃん注:「生れた詩人」以って生まれた詩人。
「涵した」「ひたした」。
「ほんとう」ママ。]
淸純な凄さ、それは君の詩を讀むものの誰しも認め得る特色であらう。然しそれは室生君の云ふ通り、ポオやボオドレエルの凄さとは違ふ。君は寂しい、君は正直で、淸楚で、透明で、もつと細かにぴちぴち動く。少くとも彼等の絕望的な暗さや頽廢した幻覺の魔睡は無い。宛然凉しい水銀の鏡に映る剃刀の閃めきである。その鏡に映るものは眞實である。そして其處には玻璃製の上品な市街や靑空やが映る。さうして恐る可き殺人事件が突如として映つたり、素敵に氣の利いた探偵が走つたりする。
[やぶちゃん注:以下の三行空けはママ。次のパートの頭を次ページに送るためかとも推定されるが、後の方の書き方からの感じでは、原稿自体がそうなっている可能性が高い。]
君の氣稟は又譬へば地面に直角に立つ一本の竹である。その細い幹は鮮かな靑綠で、その葉は華奢(きやしや)でこまかに動く。たつた一本の竹、竹は天を直觀する。而も此竹の感情は凡てその根に沈潜して行くのである。根の根の細(こま)かな纖毛のその岐(わか)れの殆ど有るか無きかの毛の尖(さき)のイルミネエシヨン、それがセンチメンタリズムの極致とすれば、その毛の突端にかぢりついて泣く男、それは病氣の朔太郞である。それは君も認めてゐる。
[やぶちゃん注:「細(こま)かな」底本は「細(まか)かな」とルビするが、誤植と断じ、特異的に筑摩版全集で訂した。]
「詩は神祕でも象徵でも何でも無い。詩はただ病める魂の所有者と孤獨者との寂しい慰めである。」と君は云ふ。まことに君が一本の竹は水面にうつる己が影を神秘とし象徵として不思議がる以前に、ほんとうの竹、ほんとうの自分自身を切に痛感するであらう。鮮純なリズムの歔欷(すすりなき)がそこから來る。さうしてその葉その根の尖(さき)まで光り出す。
[やぶちゃん注:二箇所の「ほんとう」はママ。以下も同じ。以下の三行空けはママ。]
君の靈魂は私の知つてゐる限りまさしく蒼い顏をしてゐた。殆ど病み暮らしてばかりゐるやうに見えた。然しそれは眞珠貝の生身(なまみ)が一顆小砂に擦(す)られる痛さである。痛みが突きつめれば突きつめるほど小砂は眞珠になるりそれがほんとうの生身(なまみ)であり、生身から滴(したた)らす粘液がほんとうの苦しみからにじみ出たものである事は、君の詩が證明してゐる。
外面的に見た君も極めて瘦せて尖つてゐる。さうしてその四肢(てあし)が常に銳角に動く、まさしく竹の感覺である。而も突如として電流體の感情が頭から足の爪先まで震はす時、君はぴよんぴよん跳ねる。さうでない時の君はいつも眼から淚がこぼれ落ちさうで、何かに縋りつきたい風である。
潔癖で我儘なお坊つちやんで(この點は私とよく似てゐる)その癖寂しがりの、いつも白い神經を露はに顫へさしてゐる人だ。それは電流の來ぬ前の電球の硝子の中の顫へてやまぬ竹の線である。
[やぶちゃん注:エジソンが商品化した当時の白熱電球のフィラメントは京都産の竹で出来ていた。]
君の電流體の感情はあらゆる液體を固體に凝結せずんばやまない。竹の葉の水氣が集つて一滴の露となり、腐れた酒の蒸氣が冷(つめ)たいランビキの玻璃に透明な酒精の雫を形づくる迄のそれ自身の洗練はかりそめのものではない。君のセンチメンタリズムの信條はまさしく木炭が金剛石になるまでの永い永い時の長さを、一瞬の間に縮める、この凝念の强さであらう。摩詞不思議なる此の眞言の秘密はただ詩人のみが知る。
[やぶちゃん注:「ランビキ」ポルトガル語「alambique」から。「蘭引」とも書く。江戸時代、酒類などの蒸留に用いた器具で、陶器製の深鍋に溶液を入れ、蓋に水を入れてのせ、下から加熱すると、生じる蒸気が蓋の裏面で冷やされて露となり、側面の口から流れ出るもの。但し、ここはその精製された酒を受けるガラス製の容器を指している。
以下、三行空けはママ(底本では改ページで行空け)。]
月に吠える、それは正しく君の悲しい心である。冬になつて私のところの白い小犬もいよいよ吠える。晝のうちは空に一羽の雀が啼いても吠える。夜はなほさらきらきらと霜が下りる。霜の下りる聲まで嗅ぎ知つて吠える。天を仰ぎ、眞實に地面(ぢべた)に生きてゐるものは悲しい。
ぴようぴようと吠える。何かがぴようぴようと吠える。聽いてゐてさへも身の痺れるやうな寂しい遣瀨ない聲、その聲が今夜も向うの竹林を透してきこえる。降り注ぐものは新鮮な竹の葉に雪のごとく結晶し、君を思へば蒼白い月天がいつもその上にかかる。
[やぶちゃん注:冒頭の「ぴ」は底本では右に転倒している。誤植であるので訂した。
以下、三行空けはママ。]
萩原君。
何と云つても私は君を愛する。さうして室生君を。君は私より二つ年下で、室生君は君より又二つ年下である。私は私より少しでも年若く、私より更に新らしく生れて來た一つの相似た靈魂の爲めに祝福し、更に甚深な肉親の交歡に醉ふ。
又更に君と室生君との藝術上の熱愛を思ふと淚が流れる。君の歡びは室生君の歡びである。さうして又私の歡びである。
この機會を利用して、私は更に君に讃嘆の辭を贈る。
大正六年一月十日
葛飾の紫烟草舍にて
北 原 白 秋
[やぶちゃん注:「紫烟草舍」は底本では「紫畑草舍」となっている。白秋は大正五年の夏から約一年間、当時、旧東京府南葛飾郡小岩(現在は江戸川区)にあった離れ屋で創作をしていたが、それに号したのが「紫烟草舍」であった。誤植と断じ、筑摩書房版全集で特異的に訂した。]
[やぶちゃん注:以下、萩原朔太郎自身の序。白秋の序の終りが右で、その左ページから。]
序
詩の表現の目的は單に情調のための情調を表現することではない。幻覺のための幻覺を描くことでもない。同時にまたある種の思想を宣傳演繹することのためでもない。詩の本來の目的は寧ろそれらの者を通じて、人心の内部に顫動する所の感情そのものの本質を凝視し、かつ感情をさかんに流露させることである。
詩とは感情の神經を摑んだものである。生きて働く心理學である。
[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「●」。以下、同じ。]
すべてのよい敍情詩には、理窟や言葉で說明することの出來ない一種の一感が伴ふ。これを詩のにほひといふ。(人によつては氣韻とか氣禀とかいふ)にほひは詩の主眼とする陶醉的氣分の要素である。順つてこのにほひの稀薄な詩は韻文としての價値のすくないものであつて、言はば香味を缺いた酒のやうなものである。かういふ酒を私は好まない。
詩の表現は素樸なれ、詩のにほひは芳純でありたい。
[やぶちゃん注:「氣禀」「きりん」。原義は、生まれつき持っている気質。
「要素である。順つて」底本では、句点がない。脱記号と断じ、全集によって補った。]
私の詩の讀者にのぞむ所は、詩の表面に表はれた槪念や「ことがら」ではなくして、内部の核心である感情そのものに感觸してもらひたいことである。私の心の「かなしみ」「よろこび」「さびしみ」「おそれ」その他言葉や文章では言ひ現はしがたい複雜した特種の感情を、私は自分の詩のリズムによつて表現する。併しリズムは說明ではない。リズムは以心傳心である。そのリズムを無言で感知することの出來る人とのみ、私は手をとつて語り合ふことができる。
『どういふわけでうれしい?』といふ質問に對して人は容易にその理由を說明することができる。けれども『どういふ工合にうれしい?』といふ問に對しては何人(びと)もたやすくその心理を說明することはできない。
思ふに人間の感情といふものは、極めて單純であつて、同時に極めて複雜したものである。極めて普遍性のものであつて、同時に極めて個性的な特異なものである。
どんな場合にも、人が自己の感情を完全に表現しようと思つたら、それは容易のわざではない。この場合には言葉は何の役にもたたない。そこには音樂と詩があるばかりである。
[やぶちゃん注:「どういふ工合にうれしい?」の疑問符は底本にはないが、前や後との照応性からも、脱記号と考えるべきで、特異的に全集で補った。]
私はときどき不幸な狂水病者のことを考へる。
あの病氣にかかつた人間は非常に水を恐れるといふことだ。コツプに盛つた一杯の水が絕息するほど恐ろしいといふやうなことは、どんなにしても我々には想像のおよばないことである。
『どういふわけで水が恐ろしい?』『どういふ工合に水が恐ろしい?』これらの心理は、我我にとつては只々不可思義千萬のものといふの外はない。けれどもあの患者にとつてはそれが何よりも眞實な事實なのである。そして此の場合に若しその患者自身が‥‥‥‥何等かの必要に迫まられて‥‥‥‥この苦しい實感を傍人に向つて說明しやうと試みるならば(それはずゐぶん有りさうに思はれることだ。もし傍人がこの病氣について特種の智識をもたなかつた場合には彼に對してどんな慘酷な惡戯が行はれないとも限らない。こんな場合を考へると私は戰慄せずには居られない。)患者自身はどんな手段をとるべきであらう。恐らくはどのやうな言葉の說明を以てしても、この奇異な感情を表現することは出來ないであらう。
けれども、若し彼に詩人としての才能があつたら、もちろん彼は詩を作るにちがひない。詩は人間の言葉で說明することの出來ないものまでも說明する。詩は言葉以上の言葉である。
[やぶちゃん注:八点リーダはママ。底本ではもっと詰っている。]
狂水病者の例は極めて特異の例である。けれどもまた同時に極めてありふれた例でもある。
人間は一人一人にちがつた肉體と、ちがつた神經とをもつて居る。我のかなしみは彼のかなしみではない。彼のよろこびは我のよろこびではない。
人は一人一人では、いつも永久に、永久に、恐ろしい孤獨である。
原始以來、神は幾億萬人といふ人間を造つた。けれども全く同じ顏の人間を、决して二人とは造りはしなかつた。人はだれでも單位で生れて、永久に單位で死ななければならない。
とはいへ、我々は决してぽつねんと切りはなされた宇宙の單位ではない。
我々の顏は、我々の皮膚は、一人一人にみんな異つて居る。けれども、實際は一人一人にみんな同一のところをもつて居るのである、この共通を人間同志の間に發見するとき、人類間の『道德』と『愛』とが生れるのである。この共通を人類と植物との間に發見するとき、自然間の『道德』と『愛』とが生れるのである。そして我々はもはや永久に孤獨ではない。
[やぶちゃん注:「同一のところをもつて居るのである、」の末尾の読点はママ。全集版では句点となっている。]
私のこの肉體とこの感情とは、もちろん世界中で私一人しか所有して居ない。またそれを完全に理解してゐる人も私一人しかない。これは極めて極めて特異な性質をもつたものである。けれども、それはまた同時に、世界の何ぴとにも共通なものでなければならない。この特異にして共通なる個々の感情の焦點に、詩歌のほんとの『よろこび』と『秘密性』とが存在するのだ。この道理をはなれて、私は自ら詩を作る意義を知らない。
詩は一瞬間に於ける靈智の産物である。ふだんにもつてゐる所のある種の感情が、電流體の如きものに觸れて始めてリズムを發見する。この電流體は詩人にとつては奇蹟である。詩は豫期して作らるべき者ではない。
[やぶちゃん注:「ふだん」は次段の謂いから推すと、「不斷」ではなく、「普段」であろう。]
以前、私は詩といふものを神秘のやうに考へて居た。ある靈妙な宇宙の聖靈と人間の叡智との交靈作用のやうにも考へて居た。或はまた不可思議な自然の謎を解くための鍵のやうにも思つて居た。併し今から思ふと、それは笑ふべき迷信であつた。
詩とは、決してそんな奇怪な鬼のやうなものではなく、實は却つて我々とは親しみ易い兄妹や愛人のやうなものである。
私どもは時々、不具な子供のやうないぢらしい心で、部屋の暗い片隅にすすり泣きをする。そういふ時、ぴつたりと肩により添ひながら、ふるへる自分の心臟の上に、やさしい手をおいてくれる乙女がある。その看護婦の乙女が詩である。
私は詩を思ふと、烈しい人間のなやみとそのよろこびとをかんずる。
詩は神秘でも象徵でも鬼でもない。詩はただ、病める魂の所有者と孤獨者との寂しいなぐさめである。
詩を思ふとき、私は人情のいぢらしさに自然と淚ぐましくなる。
[やぶちゃん注:「そういふ」はママ。正しい歴史的仮名遣は「さういふ」。]
過去は私にとつて苦しい思ひ出である。過去は焦燥と無爲と惱める心肉との不吉な惡夢であつた。
月に吠える犬は、自分の影に怪しみ恐れて吠えるのである。疾患する犬の心に、月は靑白い幽靈のやうな不吉の謎である。犬は遠吠えをする。
私は私自身の陰欝な影を、月夜の地上に釘づけにしてしまひたい。影が、永久に私のあとを追つて來ないやうに。
萩原朔太郞
[やぶちゃん注:この最後は底本十二ページであるが、十一ページ末(左)が最終段落の「私は私自身の陰欝な影を、月夜の地上に釘づけにしてしまひたい。」で終わり、改ページとなって右ページ行頭から「影が、永久に私のあとを追つて來ないやうに。」となっているため、この「影が、永久に私のあとを追つて來ないやうに。」が単独行のように錯覚される。
以下、「詩集例言」。以上の左ページから。箇条の二行目以降は総て二字下げであるが、ブラウザでの不具合を考え、ここは無視した。]
詩 集 例 言
一、過去三年以來の創作九十餘篇中より叙情詩五十五篇、及び長篇詩篇二篇を選びてこの集に納む。集中の詩篇は主として「地上巡禮」「詩歌」「アルス」「卓上噴水」「感情」及び一、二の地方雜誌に揭載した者の中から拔粹した。その他、機會がなくて創作當時發表することの出來なかつたもの數篇を加へた。詩稿はこの集に納めるについて槪ね推稿を加へた。
[やぶちゃん注:全集の解題によれば、実際には本初版では叙情詩五十三篇、「竹とその哀傷」中の無題一篇、及び、長篇詩二篇である。『初版の形が決定する前の現存する校正刷りを見ると「晝」(『蝶を夢む』に「野景」と改題され収錄)「夜景」の二篇が収められているので、』この叙情詩五十五篇というのは『詩集原案によった篇數と思われる』とあり、割愛した二篇を引くのを朔太郎自身が失念していたものと思われる。ここで、彼がカットした二篇を全集から復元しておく。後者の「夜景」は恐らく大正四(一九一五)年三月の『卓上噴水』に発表したそれと思われる。
*
野景
弓なりにしなつた竿の先で
小魚がいつぴき ぴちぴちはねてゐる
おやぢは得意で有頂天だが
あいにく世間がしづまりかへつて
遠い牧場では
牛がよそつぽをむいてゐる。
*
夜景
高い家根の上で猫が寢てゐる
猫の尻尾から月が顏を出し
月が靑白い眼鏡をかけて見てゐる
だが泥棒はそれを知らないから
近所の家根へひよつこりとび出し
なにかまつくろの衣裝をきこんで
煙突の窓から忍びこもうとするところ。
*
「夜景」最終行の「こもう」は発表誌のママ。]
一、詩篇の排列順序は必ずしも正確な創作年順を追つては居ない。けれども大體に於ては舊稿からはじめて新作に終つて居る。卽ち「竹とその哀傷」「雲雀料理」最も古く、「悲しい月夜」之に次ぎ、「くさつた蛤」「さびしい情慾」等は大低同年代の作である。而して「見知らぬ犬」と「長詩一篇」とは比較的最近の作に屬す。
一、極めて初期の作で「ザムボア」「創作」等に發表した小曲風のもの、及び「異端」「水甕」「アララギ」「風景」等に發表した二、三の作は此の集では割愛することにした。詩風の關係から詩集の感じの統一を保つためである。
すべて初期に屬する詩篇は作者にとつてはなづかしいものである。それらは機會をみて別の集にまとめることにする。
[やぶちゃん注:「なづかしい」はママ。]
一、この詩集の裝幀に就いては、以前著者から田中恭吉氏にお願ひして氏の意匠を煩はしたのである。所が不幸にして此の仕事が完成しない中に田中氏は病死してしまつた。そこで改めて恩地孝氏にたのんで著者のために田中氏の遺志を次いでもらふことにしたのである。恩地氏は田中氏とは生前無一の親友であつたのみならず、その藝術上の信念を共にすることに於て田中氏とは唯一の知己であつたからである。(尚、本集の插畵については卷末の附錄「插畵附言」を參照してもらひたい。)
[やぶちゃん注:版画家としてよく知られる田中恭吉(明治二五(一八九二)年~大正四(一九一五)年十月二十三日)は和歌山県和歌山市出身。肺結核のため、本詩集刊行の二年前、二十三歳で夭折した。
恩地孝四郎(おんち こうしろう 明治二四(一八九一)年~昭和三〇(一九五五)年)は東京府南豊島郡淀橋町出身の版画家・装幀家・写真家・詩人。ウィキの「恩地孝四郎」によれば、『創作版画の先駆者のひとりであり、日本の抽象絵画の創始者とされている』とある。]
一、詩集出版に關して恩地孝氏と前田夕暮氏とには色々な方面から一方ならぬ迷惑をかけて居る。二兄の深甚なる好意に對しては深く感謝の意を表する次第である。
一、集中二、三の舊作は目下の著者の藝術的信念や思想の上から見て飽き足らないものである。併しそれらの詩篇も過去の道程の記念として貴重なものであるので特に採篇したのである。
[やぶちゃん注:中扉(と後の挿画の目次では呼んでいる)。左ページ(右は「詩集例言」の末尾)。田中恭吉「空にさくエーテルの花」。取り込んだ際に地が黄変してしまったので、補正をかけてあるが、この方が原版に近い。但し、生誕百二十年記念として和歌山県立近代美術館で催された「田中恭吉展」の「出品目録」(PDF)を見ると、正確な題名は「そらに咲くエテルの花」で、大正四(一九一五)年作(インク、紙)とある。]
詩 集 月に吠える
[やぶちゃん注:左ページ。ゴシック体の「詩集」は右から左に横書。「月に吠える」はその間の下部に縦書。]
[やぶちゃん注:以下、目次であるが、リーダとページ数はカットした。各詩篇題がパート標題より大きいが、無視して同ポイントで示した。]
目 次
竹とその哀傷
地面の底の病氣の顔
草の莖
竹
竹
すえたる菊
龜
笛
冬
天上縊死
卵
雲雀料理
感傷の手
山居
苗
殺人事件
盆景
雲雀料理
掌上の種
天景
焦心
悲しい月夜
かなしい遠景
悲しい月夜
死
危險な散步
酒精中毒者の死
干からびた犯罪
蛙の死
くさつた蛤
内部に居る人が畸形な病人に見える理由
椅子
春夜
ばくてりやの世界
およぐひと
ありあけ
猫
貝
麥畑の一隅にて
陽春
くさつた蛤
春の實體
贈物にそへて
さびしい情慾
愛憐
戀に戀する人
五月の貴公子
白い月
肖像
さびしい人格
見知らぬ犬
見しらぬ犬
靑樹の梢をあふぎて
蛙よ
山に登る
海水旅舘
孤獨
白い共同椅子
田舍を恐る
長 詩 二 篇
雲雀の巢
笛
[やぶちゃん注:以下、挿絵の目次。見開き二ページ。先の目次同様、リーダと二箇所を除いてページ数はカットした。]
挿 畵 目 次
田中恭吉遺作十一種
1畵稿より 口 絵
2空にさくエーテルの花 中 扉
3冬の夕
4畵稿より Ⅰ
5畵塙より Ⅱ
6畵塙より Ⅲ
7こもるみのむし(假に題して)
8懈怠
9死人とあとにのこれるもの
10悔恨
11夜の花 包紙として
恩地孝四郎版畵三種及圖一種
1抒情(よろこびあふれ)
2抒情(よろこびすみ) 附錄の 一
3抒情(ひとりすめば) 附錄の一六
4われひらく 表紙に用ひて
[やぶちゃん注:「2空にさくエーテルの花」の「空」は底本では「室」。誤植と断じ、全集改題によって特異的に訂した。
「懈怠」「けたい」或いは「けだい」と読み、原義は仏道修行に励まぬこと、怠り怠けることを指す。
「包紙」カバーのこと。]
亞 鉛 凸 版 近松製版所
コロタイプ 版 岸本 勢助
同 印 刷 藤本 義郎
木 版 山口 主計
手 摺 小池鐡太郎
機 械 印 刷 五 彩 閣
[やぶちゃん注:以上、右ページ(字間は底本のままではない)。以下、やっと本文が始まる。以下のパート標題「竹とその哀傷」はこの左ページ。]
竹 と そ の 哀 傷
[やぶちゃん注:以下、次の次の左ページから始まる。]
地面の底の病氣
の顏
地面の底に顏があらはれ、
さみしい病人の顏があらはれ。
地面の底のくらやみに、
うらうら草の莖が萠えそめ、
鼠の巢が萠えそめ、
巢にこんがらかつてゐる、
かずしれぬ髮の毛がふるえ出し、
冬至のころの、
さびしい病氣の地面から、
ほそい靑竹の根が生えそめ、
生えそめ、
それがじつにあはれふかくみえ、
けぶれるごとくに視え、
じつに、じつに、あはれふかげに視え。
地面の底のくらやみに、
さみしい病人の顏があらはれ。
[やぶちゃん注:初期形の初出は『地上巡禮』大正四(一九一五)年三月号であるが、そこでは題名が驚天動地の自身の名を入れた「白い朔太郎の病氣の顏」である。改作したため、幾つかの異同がある。私の「白い朔太郎の病氣の顏 萩原朔太郎(「地面の底の病氣の顏」初出形)」を見られたい。第一連のみが、本文三ページ(左ページ)に独立して、一読、どきっとする。確信犯の版組である。標題の改行も空白が左に無駄に広がらないようにすることを狙ったものであろうかとも思われる。]