萩原朔太郎詩集「月に吠える」正規表現版 苗
苗
苗は靑空に光り、
子供は土地(つち)を堀る。
生えざる苗をもとめむとして、
あかるき鉢の底より、
われは白き指をさしぬけり。
[やぶちゃん注:見返しで二ページに分離しており、見開き右ページに「あかるき鉢の底より、」/「われは白き指をさしぬけり。」の二行があり、その左ページに田中恭吉の画稿から採ったこの鮮烈なペン画が現われる。赤い薬包紙(肺結核であった恭吉自身の飲んだ後のそれである)に赤インクで描かれたものである。これはサイト「馬籠文学マラソン」の「薬包紙に描かれた画(詩と画のコラボレーション)」による情報である。そこには、『田中は萩原朔太郎』『からの依頼で『月に吠える』の装丁・挿画を引き受けます。得意の版画は体力的に厳しくなっており』(恭吉は大正二(一九一三)年頃に発症しており、療養のために郷里和歌山に帰っていた)『ペン画にすること、詩のイメージにこだわらない「わがままな画」で良いことを条件に引き受けました。切羽詰まった中でペンを運んだと思われ、赤い薬包紙に赤インクで描かれたものも』三『点含まれます。それらが彼の遺作となりました』。『田中が朔太郎にあてた手紙の一節に』は、
『私の肉体の分解が遠くないといふ予覚が私の手を着実に働かせて呉れました。兄の詩集の上梓されるころ私の影がどこにあるかと思ふさへ微笑されるのです。』
『とあります。自分の心情にぴったりの表現の場を得て、病いの中にあっても、心躍り、夢中になっているのが分かります。しかし、その言葉(「私の影がどこにあるか」)通り、『月に吠える』が上梓された』大正六年二月十五日(朔太郎三十歳)『には、田中はもうこの世にいなかった。死から』一年と三ヶ月『ほど経とうとしていました』。『『月に吠える』では、朔太郎の病的なまでに研ぎすまされた言葉の合間に、田中の画が姿を現します。「わがままな画」なので、詩を説明したような画ではありません。画が詩の添え物ではなく、画も詩と対等に存在し、相乗効果を生んでいるようです』とある。初版を読む者の見た目で示すために、右ページも含めて取り込んだ。地はもっと白いが、赤の色調の変質を考え、敢えて補正は行っていない。
本詩篇「苗」の「堀る」はママ。なお、本篇に限っては詩篇の初出はない。本詩集刊行までは全くの未発表の詩であったと考えられる。
なお、筑摩版「萩原朔太郞全集」第一巻の『草稿詩篇「月に吠える」』には、本篇の草稿として『卵(本篇原稿二種三枚)』としつつ、一篇の「光る鉢」がチョイスされて載る。以下に示す。表記は総てママである。
*
金盞花→植木
光る鉢
苗は天上靑空に光り
子供は土を堀る
えんえん花 さき ひらき
天上の生えざる種苗をもとめんとして
あかるき鉢のなかより底の内より
ちいさき□のごときものあらはれ
われは遠方を
わがれは白き指をあてゝをさしぬけり、
*]
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