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2018/10/14

和漢三才圖會第四十二 原禽類 鷚(ひばり) (ヒバリ)

Hibari_2

 

ひばり 告天子 噪天

    叫天子 天鸙

【音溜】

    雲雀

    【和名比波里】

 

三才圖會云告天子似鶉而小褐色海上叢草中多有之

黎明時遇天晴霽則且飛且鳴直上雲端其聲連綿不已

常熟縣志云噪天麥熟時有之亦名告天子

郭璞云鷚【一名天鸙】大如鷃雀色似鶉好高飛作聲

△按和名抄云雲雀似雀而大【和名比波里】或用鶬鶊字【鶬鶊者鸎

 之異名也】爲鷚之訓者非也

 鷚有數種大抵似雀而大頭背黧色黑斑不鮮明眼傍

 頷白胸腹灰色脚脛細長爪亦長有距故瘦人譬鷚也

 飛翔鳴時起頭毛其聲圓亮而連綿不休晴日高飛戾

 天舞鳴倦則飛下入叢草中夏月伏卵於麥圃中頡頏

 而直不下于棲先下數十步外而疾步入常宿故能避

 網擌六七月易毛改舊俗呼稱練雲雀至冬鳥肥羽老

 脛弱故捕之者多其味甘脆骨軟而脚共可食以具上

 饌甚賞之或畜樊籠但脛掌細弱易折故籠中盛砂布

 艾以備之好黍食

田雲雀【一名伊乃比】狀類雲雀稍小在田澤流水間鳴聲飛

 舞共稍劣其距亦短頭背翅皆灰色帶黑胸前白黃有

 黑斑尾白與黑襍

鬼雲雀 是乃鷚中之大者頡頏鳴囀勝於常雲雀然難

 多獲之 夫木 春深き夕日の邊の下風に鳴きて上る夕ひはりかな 慈鎭

 

 

ひばり 告天子 噪天〔(さうてん)〕

    叫天子 天鸙〔(てんやく)〕

【音。「溜(リウ)」。】

    雲雀

    【和名、「比波里」】

 

「三才圖會」に云はく、告天子は鶉〔(うづら)〕に似て小さく、褐色。海上・叢草の中に多く之れ有り。黎明の時、天の晴霽〔(せいせい)〕に遇へば、則ち、且つ、飛び、且つ、鳴き、直ちに雲端に上がる。其の聲、連綿〔として〕已まず。』〔と〕。「常熟縣志」に云はく、『噪-天(ひばり)、麥、熟する時、之れ有り。亦、告天子と名づく』〔と〕。

郭璞が云はく、『鷚【一名、「天鸙」。】大いさ、鷃-雀(かやくき)のごとく、色、鶉に似て、好く高く飛び、聲を作〔(な)〕す。』〔と。〕

△按ずるに、「和名抄」に云はく、『雲雀は雀に似て大なり【和名、「比波里」。】。』〔と〕。或いは「鶬鶊」の字を用ふ【「鶬鶊」は「鸎〔(うぐひす)〕」の異名なり。】。鷚(ひばり)の訓を爲〔(な)〕すは、非なり。

鷚、數種有り。大抵、雀に似て大なりと。頭・背の黧(くろき[やぶちゃん注:「黒黄」の意。])色。黑斑、鮮明(あざや)かならず。眼の傍〔(かたはら)〕・頷〔(あご)〕、白く、胸・腹、灰色。脚・脛、細長く、爪も亦、長くして、距(けづめ)有り。故に瘦(や)せたる人を鷚に譬(たと)ふなり。飛び翔(か)けり〔て〕鳴く時、頭〔(かしら)〕の毛を起つ。其の聲、圓亮〔(ゑんりやう)〕にして連綿〔として〕休(や)まず。晴れたる日、高く飛びて天に戾(いた)り[やぶちゃん注:思うに「至」の誤りであろう。]、舞ひ鳴きす。倦(くたび)れては、則ち、飛び下りて、叢草(くさむら)の中に入る。夏月、卵を麥圃(むぎばたけ)の中に伏〔(ぶく)〕す。頡頏(とびあがりとびさが)りして、直ぐに〔は〕棲(すみか)に下らず。先す、數十步の外に下りて、疾(と)く步み、常宿に入る。故に能く網・擌(はご)を避く。六、七月、毛を易(か)へて、舊きを改む。俗、呼んで「練(ねり)雲雀」と稱す。冬に至り、鳥、肥へ[やぶちゃん注:ママ。]、羽、老いて、脛(あしのくき)、弱し。故に之れを捕ふる者、多し。其の味、甘く脆く、骨、軟〔(やはら)か〕にして、脚、共に食ふべし。以つて上饌に具〔(そな)〕へて甚だ之れを賞す。或いは、樊-籠〔(かご)〕に畜〔(か)〕ふ。但し、脛・掌、細弱〔にして〕折(くじ)け易し。故に籠中に砂を盛り、艾〔(よもぎ)〕を布〔(し)〕きて以つて之れに備ふ。黍〔(きび)〕を好(すき)て、食ふ。

田雲雀〔(たひばり)〕【一名、「伊乃比〔(いのひ)〕」。】狀、雲雀に類して稍〔(やや)〕小さく、田・澤・流水の間に在り、鳴き聲・飛〔び〕舞〔ふこと〕、共に稍〔(やや)〕劣れり。其の距〔(けづめ)〕も亦、短し。頭・背・翅、皆、灰色〔に〕黑を帶〔(たい)〕す。胸の前、白黃にして、黑斑、有り。尾は白と黑と襍(まじ)れる。

鬼雲雀〔(おにひばり)〕 是、乃ち[やぶちゃん注:送り仮名は「イ」であるが、私には読めないので「(すなは)ち」に読み変えた。]鷚の中の大なる者。頡頏(とびあがりとびさが)り、鳴き囀(さへづ)ること、常の雲雀より勝れり。然れども、多く之れを獲るは難し。

「夫木」[やぶちゃん注:以下の歌はママ。後注参照。]

 春深き夕日の邊〔(のべ)〕の下風に鳴きて上〔(あが)〕る夕ひばりかな 慈鎭

 

[やぶちゃん注:スズメ目スズメ亜目ヒバリ科ヒバリ属ヒバリ Alauda arvensis であるが、本邦には亜種ヒバリAlauda arvensis japonica が周年生息(留鳥)し(北部個体群や積雪地帯に分布する個体群は、冬季になると、南下する)、他に亜種カラフトチュウヒバリ Alauda arvensis lonnbergi や亜種オオヒバリ Alauda arvensis pekinensis が冬季に越冬のために本州以南へ飛来(冬鳥)もする。属名 Alauda(アラウダ)は、荒俣宏「世界博物大図鑑」の第四巻「鳥類」(一九八七年平凡社刊)の「ヒバリ」によれば、ラテン語でヒバリを指すが、『ケルト語では〈偉大な歌姫〉を意味する』とある。以下、参照したウィキの「ヒバリ」を引く。『春を告げる鳥として』、古えより、『洋の東西を問わず』、『親しまれている。『古来から人の目に触れる機会が多い種であるため多くの地方名がある。主なものは、告天子(こうてんし、こくてんし、ひばり)』、『叫天子(きょうてんし)、天雀(てんじゃく)、姫雛鳥(ひめひなどり)、噪天(そうてん)、日晴鳥(ひばり)』『など』。分布は『アフリカ大陸北部、ユーラシア大陸、イギリス、日本』。全長は約十七センチメートル、翼開長は約三十二センチメートルで、『後頭の羽毛は伸長(冠羽)する』。『上面の羽衣は褐色で、羽軸に黒褐色の斑紋(軸斑)が入る』。『下面の羽衣は白く、側頸から胸部にかけて黒褐色の縦縞が入る』。『胸部から体側面にかけての羽衣は褐色』、『外側尾羽の色彩は白い』。『初列風切は長く突出』し、『次列風切後端が白い』。『嘴は黄褐色で、先端が黒い』。『後肢はピンクがかった褐色』。『卵の殻は灰白色で、灰色や暗褐色の斑点が入る』。『オスは頭部の冠羽をよく立てるが、メスはオスほどは立てない』。『草原や河原、農耕地などに生息する』。『種小名 arvensis は「野原の、農耕地の」の意』。『しかしながら』、『近年』、『大雪山の標高』二千『メートル付近の高山帯をはじめ、北海道、本州の山岳地帯でも生息が確認されている』。『食性は植物食傾向の強い雑食で、主に種子を食べるが昆虫、クモなども食べる』。『地表を徘徊しながら』、『採食を行う』。『上空を長時間停空飛翔したり』、『草や石の上などに止まりながら囀る』。『繁殖期が始まると』、『オスが囀りながら』、『高く上がって行く「揚げ雲雀」と呼ばれる縄張り宣言の行動は古くから親しまれている』。『和名は晴れた日(日晴り』(ひばり)『)に囀ることに由来する説や、囀りの音に由来する説もある』。『地表(主に草の根元)に窪みを掘り植物の葉や根を組み合わせたお椀状の巣をメスが作り』、一回に三~五個の卵を産む』。『抱卵期間は』十一~十二日で、『雛は孵化してから』九~十日で『巣立つ』。『繁殖期にはつがいで生活し、非繁殖期には小さな群れで生活する』。大伴家持は「万葉集」で(巻第十九の掉尾。四二九二番)、

   二十五日に、作れる歌一首、

 うらうらに照れる春日に雲雀上がり情(こころ)悲しも獨りし思へば

   春日遲々として、鶬鶊(ひばり)、

   正(まさ)に鳴く。悽惆(せいちう)

   の意(こころ)は歌にあらずは

   撥(はら)ひ難し。よりて、こ

   の歌を作り、式(も)もちて、

   締(むすぼ)れし緒(こころ)を

   展(の)ぶ。

と詠い、また、松尾芭蕉が(貞享四(一六八七)年の作)、

   草菴を訪(とひ)ける比(ころ)

 永き日も囀(さへづり)たらぬひばり哉(かな)

(別本、

   雲雀ふたつ

 永き日を囀りたらぬひばりかな

とする。私は断然、「も」の前者を支持する。この累加の係助詞の作用によって、本句がまさに家持の心情を遠くしかもダイレクトに響かせていることが判るからである

と詠み、他にも『与謝蕪村などの句で、のどかな日本の田園風景の春の風物詩として多数詠われており』、『春の季語ともなっている。囀りを日本語に置き換えた表現(聞きなし)として「日一分、日一分、利取る、利取る、月二朱、月二朱」というものがあり、この聞きなしと』、『飛翔しながら囀る生態から』、『太陽に金貸しをしているという民話もある』。『春季に縄張りを主張するために鳴き声を挙げることから』、『春の風物詩とされることもあ』る。本邦では、『飼い慣らしたヒバリを放ち、そのさえずりと高さを競わせる「揚げ雲雀」と呼ばれる遊びがあった』が、『現在は鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律によりヒバリの愛玩目的の飼育は認められていない』。『近年、世界的に減少傾向にあり』、『ヨーロッパでは春播き小麦から秋播き小麦への転換で草丈が高くなることによる生息適地の減少や年間繁殖回数の減少、また』、『農耕の大規模化にともなう環境の均質化が原因として考えられている』。『東京では、畑地面積が大きく減少しており、畑地の小面積化も進んで』おり、『作付け作物もヒバリにとっての生息適地となる麦から野菜へと変化しており、このような畑地の減少と質的な変化が』、『ヒバリの減少に大きく影響していると考えられている』とある。私はヒバリの鳴き声が好きだ。飛び立つ際にまず、「ビルッ」と鳴き、上空に至って「ピーチュル、ピーチュル」などと、長く複雑に囀り続ける。「ヒバリの鳴き声 Alauda arvensis 雲雀」(於・蒲郡)と、解説がよい、Gaiapress Channel 氏の「ヒバリ」をリンク(孰れもYou Tubeさせておく。そうして、私は思い出す……自死した原民喜が、その最期に、最後に愛した女性祖田祐子さん(当時は丸の内の貿易会社に勤める英文タイピストであった)に宛てて送った遺書である(底本は所持する青土社「原民喜全集Ⅲ」(一九七八年刊)に拠った)。

   *

 祐子さま

 とうとう僕は雲雀になつて消えて行きます 僕は消えてしまひますが あなたはいつまでも お元気で生きて行つて下さい

 この僕の荒凉とした人生の晩年に あなたのやうな美しい優しいひとと知りあひになれたことは奇蹟のやうでした

 あなたとご一緒にすごした時間はほんとに懐しく清らかな素晴らしい時間でした

 あなたにはまだまだ娯しいことが一ぱいやつて来るでせう いつも美しく元気で立派に生きてゐて下さい

 あなたを祝福する心で一杯のまま お別れ致します

 お母さんにもよろしくお伝へ下さい

   *

この遺書には詩篇「悲歌」が同封された。ここに添える。

   *

 

  悲 歌

 

濠端の柳にはや緑さしぐみ

雨靄につつまれて頰笑む空の下

 

水ははつきりと たたずまひ

私のなかに悲歌をもとめる

 

すべての別離がさりげなく とりかはされ

すべての悲痛がさりげなく ぬぐはれ

祝福がまだ ほのぼのと向に見えてゐるやうに

 

私は歩み去らう 今こそ消え去つて行きたいのだ

透明のなかに 永遠のかなたに

 

   *

この雲雀は、自死(昭和二六(一九五一)年三月十三日午後十一時三十一分、吉祥寺・荻窪間の鉄路に身を横たえて自殺した)の前年の早春、遠藤周作と祐子さんの従妹とハイキングに行った多摩川でボートで遊んだ日の思い出に基づくものである。私の偏愛する、遠藤の至高にして痛恨の原民喜の追懐「原民喜」(『新潮』昭和三九(一九六四)年五月)に(青土社「原民喜全集 別巻」(一九七九年刊)に拠った)、

   *

 ぼくはね、ヒバリです。とその時、彼は急に言った。ヒバリになっていつか空に行きますと呟いた。

   *

とあるのである……

 

「三才圖會」は「鳥獣二巻」のここ(国立国会図書館デジタルコレクションの当該原刊行版本の頁画像)。標題は「鷚」ではなく「告天子」で、目次及び本文では「告天」となっている。御覧の通り、先にも言った通り、厳密な転写引用でないことが判る。試みに並べてみる。

   *   *

 告天子

告天褐色似鶉而小海上叢草中多有之黎明時遇天晴霽則且飛且鳴直上雲端其聲連綿不已一云叫天子(原「三才図会」)

   *

告天子似鶉而小褐色海上叢草中多有之黎明時遇天晴霽則且飛且鳴直上雲端其聲連綿不已(良安の「和漢三才図会」の引用)

   *   *

冒頭の生息域と形態を逆転させているのは、本書が名にし負わず、「三才図会」よりも遙かに主参考として引用している「本草綱目」の引用表示(これも実はものによっては甚だしい抜粋で、順列変更甚だしく、時には原本に書かれている重要な箇所を恣意的に除去しもいる。但し、「本草綱目」自体に、時に相反する内容の併置引用等があるので、良安の恣意的作業の謂いは実はかなり酌めるものがある。今まで取り立てて述べていないので、ここで明らかにしておく)に合わせたものであり、「一(い)つに「叫天子」と云ふ」がカットされているのは、標題下の異名列挙で既に示してあるからである。

「常熟縣志」東洋文庫版の書名注に『十三巻。明の鄧韍(とうふつ)撰。江蘇省常熱県の県志』とある。常熱県は現在の江蘇省蘇州市常熟市。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「鷃-雀(かやくき)」本邦産種としては、スズメ目スズメ小目スズメ亜目スズメ上科イワヒバリ科カヤクグリ(茅潜・萱潜)属カヤクグリ Prunella rubida を指す。前項「鷃(かやくき)(カヤクグリ)」参照。

「鸎〔(うぐひす)〕」「鶯」に同じい。スズメ目ウグイス科ウグイス属ウグイス Horornis diphone

「鷚(ひばり)の訓を爲〔(な)〕すは、非なり」良安先生、無風流なことを仰しゃる。じゃあ、なんて訓ずればよろしいか?!?

「距(けづめ)」「蹴爪」。

「圓亮」良安はしばしば用いる。東洋文庫版では『まろやかではっきりして』いることとする。

「舞ひ鳴きす」飛び交いながら鳴く。

「擌(はご)」「はが」「はか」とも読み、「黐」とも漢字表記することから判る通り、竹や木の枝に鳥黐(とりもち)をつけて、囮(おと)りを置いておいて小鳥を捕える罠。

「練(ねり)雲雀」「練る」は生絹(きぎぬ)を灰汁(あく)などで煮て、しなやかに上質のものにすることを指す(転じて「さらによいものにするために手を加えること」の意ともなった)から、これは腑に落ちる謂いである。

「樊-籠〔(かご)〕」既出既注。「樊」(音「ハン」)には「籠・鳥籠」の意がある。

「艾〔(よもぎ)〕」キク目キク科キク亜科ヨモギ属ヨモギ変種ヨモギ Artemisia indica var. maximowiczii

「田雲雀〔(たひばり)〕」スズメ目スズメ亜目スズメ上科セキレイ科タヒバリ属タヒバリ Anthus spinoletta。鳴き声と飛翔時の様子が似ているが、ヒバリとは相対的には縁遠い種である。ユーラシア大陸東部の亜寒帯地方やサハリン・千島列島・アラスカ・北アメリカのツンドラ地帯等で繁殖し、冬季は北アメリカ南部・朝鮮半島・日本(本州以南。北海道では春秋の渡りの時期に通過する旅鳥)に渡って越冬する。胸から腹に斑模様があり、全長は十六センチメートルほどで、スズメより細身である。積雪が少ない地域の河川や農耕地に飛来し、「ピッピィー」「チッチチー」などと細い声で鳴く。異名「伊乃比〔(いのひ)〕」については、サイト「馬見丘陵公園の野鳥」の「タヒバリスズメ目セキレイ科田雲雀に、『江戸時代前期から「タヒバリ」「イヌヒバリ」の名で知られている。異名』は『「タトリ」「イヌヒ」「イノヒ」「ミゾヒバリ」』とある。「イヌ」は「犬」だろうか?

「鬼雲雀〔(おにひばり)〕」不詳。識者の御教授を乞う。

「夫木」「春深き夕日の邊〔(のべ)〕の下風に鳴きて上〔(あが)〕る夕ひばりかな 慈鎭」これは引用に重大な誤りがある。東洋文庫版でも訂されてあるが、今回、吉岡生夫氏のブログ「狂歌徒然草」の「夫木和歌抄の森を歩く(第7回)」で、幸いにして「夫木和歌抄」から掲載歌形を別に確認出来た(前項で述べた通り、私は同歌集を所持せず、唯一の頼みの綱の何時も表記確認に用いている日文研の「和歌データベース」が休止中、しかもそのデータを迂闊にも保存していなかったという不運続きがあった【2019年1月21日追記】遅まきながら、復活した「和歌データベース」で校合、以下の通りで正しい)。これは、「夫木和歌抄」の一八四九番歌で、

   六百番歌合(うたあはせ)、ひばり

 春深き野邊(のべ)の霞(かすみ)の下風にふかれてあがる夕ひばりかな   慈鎭

が正しい。慈鎮(和尚)は諡号で、歴史書「愚管抄」の作者として知られる、平安末から鎌倉初期の天台僧慈円(久寿二(一一五五)年~嘉禄元(一二二五)年:摂政関白藤原忠通の子で、摂政関白九条兼実は同母兄天台座主就任は四度に亙った)のことである。吉岡氏は、『上句「霞の下風」は霞の下を吹く風、地上近くの風に乗って』、『霞の中に消えていく』、『夕雲雀』、且つ、『揚雲雀ということになる。ア段の音が要所で交響するせいか、伸びやかな印象を受ける』と鑑賞されておられるあの「雲雀揚がる」の雰囲気を、春の大気の実際のリアルな状態を添えて美事に表わすとともに、音韻上での響きも雲雀の囀りを字背に感じさせて非常によく、和歌嫌いの私でも(実は大の雲雀好きなので)、これはいい歌だと思う。]

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