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2018/10/01

反古のうらがき 卷之四 聯句の事

 

    ○聯句の事

 近き頃のことになん有ける。

 色好める人ありけり。

 近きあたりの色よきおふな【女】[やぶちゃん注:ママ。以下、同じ。なお、「女」は割注ではなく、右脇書。後も総て同じ。]ある家には、かならず、ことによせて入(いり)まじらひて、人しらず、いゝより[やぶちゃん注:ママ。「をうな」が正しい。なお、「おうな」は「嫗・老女」で「老婆」であり、別な語である。]けれども、思ふよふになびくものもあらねば、いたづらに心をくるしめけり。

 こゝに名にしおひたるいたづら女ありける。すがたかたちは、人にすぐれたれども、こゝろざま、あくまであだめきて[やぶちゃん注:「徒めきて」浮気っぽい振る舞いを好み。うわついた感じで。]、おふ程の[やぶちゃん注:「負ふほど」か。沢山の。]おとこ[やぶちゃん注:ママ。]にこゝろゆるすにぞ、定まれる人といふもなくて、幾たりともなく、入(いれ)かはり、立(たち)かはりては、入來(いりき)にけり。

 色好む人、それともしらで、

『己(おのれ)ひとりにこゝろゆるしけり。』

と思ふに、かぎりなくうれしくて、めとりて、妻となしける。

 かゝる女の、人にゆきたりとて、あだごゝろのやむべきことかは。

 おつと[やぶちゃん注:ママ。]有(ある)其時斗りのことにて、又も、あだしきことのみなれば、しばしは、おしこらへつれども、日にくいやまずに、こうじ果て、やむことを得ず、さりてけり。

 これにこり果てたれば、こたびは、たゞしき人のむすめをぞ娶(めとり)てけり。

 これは前には似ず、すがた容(かたち)もよのつねにて、あだしごとは、ゆめ、なきことにぞ聞(きき)けるが、餘りに深くやしなはれたれば、世の人のしらざりしは、ことはり[やぶちゃん注:ママ。]なり。父母だにもしらざる程のことにこそありけれ。

 扨、もゝとせのちぎり[やぶちゃん注:「百年の契り」。]をいはふ【祝】さかづき取かわして、ともにふし[やぶちゃん注:臥所。]に入けるに、おしのふすま[やぶちゃん注:ママ。「鴛鴦(をし)の衾(ふすま)」。本来は、夫婦仲が睦まじいようにという願いを込めてオシドリの模様を縫い取りした初夜の夜具。男女の共寝をする一つの寝具の意。]のうちよりも、たきもの【薰】ゝかほりにあらで、いとあさましき香ぞ、いで來にけり。

『これはいかに。』

と思ふものから、近くよりてきく[やぶちゃん注:「嗅ぐ」の意。]ほどに、おふなが脇の下よりわきいづるが、世の人の病(やまひ)にこへて[やぶちゃん注:ママ。]、おふき[やぶちゃん注:ママ。]にてぞありける。

 世の人のいふなることわざに「夫婦のあいだはかゝる事ありても、しらですぎつることもある」よしなれば、今は始めてのことなれば、かくおどろきぬれども、後には、しらぬよふ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]に成行(なりゆく)事もや。』

と思ひかへして、いよいよ、むつみよりて、はだへ、かひさすりたるに、若きおふなのよふにもあらで、鮫の魚の皮にさわるよふに覺へけるが、

『これも、今宵の肌寒きによりて、身の毛立(けたち)たるにや、又は、これ迄、深く親(お)やの内にやしなわれたる[やぶちゃん注:ママ。]乙女が、しらぬ家に行(ゆき)て、今(いま)、千世(ちよ)[やぶちゃん注:長い時間。「三世(さんぜ)の契り」のニュアンスであろう。]の初(はじめ)のまじらひなれば、こゝろおそろしく、身の毛立しにや。』

など、吾とこゝろと、とひこたへして、扨も、手をおしくだして、なさけどころにさしやりしに、こはいかに、寐(ね)よげに見ゆる若草の一もとだにもあらばこそ、きのふけふ、もり上(あ)げたるあら墳(ばか)の土(ど)まんぢうの赤壤(つち)[やぶちゃん注:二字への底本のルビ。]も乾(かは)かぬごとくにて、それとも、さらにわきかねたれば[やぶちゃん注:後の続きからみて、「一向に陰部の襞(彼女は所謂、パイパンである)を掻き分けて陰門を探り当てることができなかったので」の意。毛が「湧き兼ねたれば」とも読めるが、それでは「たれば」が上手く始末出来ない。]、

『そこか、こゝか。』

とかひさぐるに、いかでかは、こゝにはあらで、又、外(ほか)に、

『それぞ。』

とおもふところのあるべきことにもあらず。

 墨田河原の今なる

 陶器師(はにし)がやけるかわらけの

 われては

 もとのつちかまや[やぶちゃん注:「土窯」か。]

 こがれはてゝは

 しら灰(ばひ)の

 又ともゆべき

 よふぞなき

『あら、なさけなのなさけどころや。さりとても、なさけ【情】の道にかわり[やぶちゃん注:ママ。]はあらじ。』

と、ふたゝび、かひさぐるに、これもよのつねのさまならず。

 秦のむかしに世を避けて

 入(いり)にし洞(ほら)の跡たへて

 桃の花さへ春しらず

 水の流れはかれにけり

 すなどる舟も

 いまははた

 かよふべきみちの

 ありやなしやをとふに

よしなければ、たゞ、あきれにあきれつゝ、

『扨も、世に用なきものは人の臍(ほぞ)にてありける。これは、ありてもなくてもこともかゝぬ事なるを、さる物は人にかわり[やぶちゃん注:ママ。]たることもなくてありながら、黃金(こがね)にも珠玉(たま)にもかへがたきなさけの道の、かく迄、あさましげなる人も、あるものかな。かゝる人に、千世萬代(ちよよろづよ)のちぎりありとて、なんの樂しみ、何の用かあらん。』

[やぶちゃん注:前の「こがね」「たま」ともに私の当て読み。]

と思へば、吾ならで、淚のこぼるゝにぞ、其夜はこゝろにもあらで、ふしてけり。

 かくて、月日立(たち)けれども、人にも語るべきよふもなく、父母に告ぐべきよふもなければ、

『如何なるゑにしありて、かゝる女にそひ果(はつ)ることぞ。定めて深き先(さき)の世の定まれる業因にや。』

と思ひて過(すぎ)しが、永き年月をば、こらへ果(はて)ずして、又も、さりてけり。

 後、友がり行(ゆき)て、ことのよふを明(あきらかに)して語り侍るに、聯句をぞなしける。

   隱邊無一毛 腋下有多臭友人

世の人、傳へて、

「秀逸。」

とぞいひける。

[やぶちゃん注:読み易さを狙って改行を多用し、一部の韻律的表現部の表記に工夫をこらした。底本は最後の対聯の漢文の他は、完全にベタで書かれてある。「反古のうらがき」では特異点の、バレ句的一条であるが、嗅覚・触覚感覚を打ち出していて面白い。最後の漢詩は総て音で「いんぺんむいちもう えきかゆうたしう」と読んでおく。なお、この一条は国立国会図書館版にはない。]

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