萩原朔太郎詩集「月に吠える」正規表現版 笛
笛
あふげば高き松が枝に琴かけ鳴らす、
をゆびに紅をさしぐみて、
ふくめる琴をかきならす、
ああ かき鳴らすひとづま琴の音にもつれぶき、
いみじき笛は天にあり。
けふの霜夜の空に冴え冴え、
松の梢を光らして、
かなしむものの一念に、
懴悔の姿をあらはしぬ。
いみじき笛は天にあり。
[やぶちゃん注:四行目の末尾の意味がよく私には判らぬ。「縺れ吹き」か。初出は『地上巡禮』大正四(一九一五)年一月号。「あふげば」が「あほげば」、「をゆび」が「おゆび」、「ものの」が「ものゝ」、「懴悔」が「懺悔」であるだけで変更はない。但し、これにも詩の最後で改行して下方に『――淨罪詩扁――』(「扁」は「篇」の誤植であろう)と記すのは注目する必要があろう。
なお、筑摩版「萩原朔太郞全集」第一巻の『草稿詩篇「月に吠える」』には、本篇の草稿として『笛(本篇原稿六種六枚)』としつつ、三篇(但し、最初は無題で、二篇目は「琴」、三篇目が「笛」)がチョイスされて載る。表記は総てママである。実際には、これらの内の、例えば最後の顕在化された「エレナ」詩篇は、後に別の記事(「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第二(淨罪詩篇)」 われの犯せる罪 / 附・「月に吠える」の「笛」の草稿の一部及びそれと本篇が載る原稿用紙の復元)で電子化しているが、今回、ここに挿入するに当たって、再度、零から総ての草稿の電子化を、やり直した。
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○
みよ 吹く 橫笛は天にあり
あほげば高き天上にしも琴かきならす
手指にはパン 光る象牙の爪光りはして
金のふくめる琴をかきならす
あほげば松の色香をさヘ
霜夜ふけゆき
つゝめるごとく琴をひくきみ
あゝかきならす琴にあはせて
そのわが橫笛は天にもあり
淚にぬるゝ天上世界に
けふの霜夜の空に冴えしんしんたる吹く笛の
光る 松葉を ふみてさへも ぬらして わが衣手に 遠方にあ
いのりは→すがたを、 つみはみ空にあらはれぬ
松の梢を光らして
いのれるものゝあらはれぬ
┃懺悔のすがたあらはれぬ
┃懺悔のひとの橫笛のは空をながれぬ
[やぶちゃん注:最後の「┃」は私が附した。二行が並置残存していることを示す。]
琴
あほげば高き★天上に//松が枝に★妻琴かき鳴らす
[やぶちゃん注:「★」「//」は私が附した。「天上に」と「松が枝に」とが、並置残存していることを示す。]
指には銀の爪はしり
ふくめる琴をかき鳴らす
ああかきならす妻琴にあはせての調べにあはせ
わが橫笛は天上にあり
松の梢を光らして
けふの霜夜の空に冴え
松の梢を光らして
いのれる哀しむものゝ一念に
懺悔のすがたをあらはれぬしぬ
わが橫笛は天にあり。
笛
――既に別れし彼女にE女に――
あほげば高き松が枝に琴かきけ鳴らす
小指には銀の爪をに紅をさしぐみて
ふくめる琴をかきならす
ああかき鳴らす人妻琴の調べにあはせ音にも★あはせて//つれぶき★
[やぶちゃん注:記号と意味は同前。]
いみぢしき笛は天にあり
わが戀もゑにしも失へり
けふの霜夜の空に冴え冴え
松の梢を光らして
哀しむものゝ一念に
懺悔の姿をぞ★あらはしぬ//凍らしむ★
[やぶちゃん注:同前。]
わが横笛は
天にあり
いじみき笛
[やぶちゃん注:「わが横笛」と「いじみき笛」(「いみじき笛」誤字)は「天にあり」の上のフレーズの並置残存。]
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