萩原朔太郎詩集「月に吠える」正規表現版 五月の貴公子
五月の貴公子
若草の上をあるいてゐるとき、
わたしの靴は白い足あとをのこしてゆく、
ほそいすてつきの銀が草でみがかれ、
まるめてぬいだ手ぶくろが宙でおどつて居る、
ああすつぱりといつさいの憂愁をなげだして、
わたしは柔和の羊になりたい、
しつとりとした貴女(あなた)のくびに手をかけて、
あたらしいあやめおしろいのにほひをかいで居たい、
若くさの上をあるいてゐるとき、
わたしは五月の貴公子である。
[やぶちゃん注:太字「すてつき」は底本では傍点「ヽ」。「おどつて」はママ。初出は『どくだみ』大正六(一九一七)年二月号であるが、これは筑摩版全集は、解題にこの情報があるのみで、初出誌を入手或いは参照出来なかったため、初出形は載らない。
なお、「あやめおしろい」については、「国立国会図書館のレファレンス協同データベース」のこちらに、「ポーラ化粧文化情報センター」の事例として、『萩原朔太郎の詩「』五『月の貴公子」に出てくる「あやめ白粉」について、どのような白粉だったのか知りたい』があり、その「回答」には『化粧品業界の年鑑、業界紙で、「五月の貴公子」を収載する『月に吠える』の刊行』の大正六『年に近い資料を調査、該当の商品はなく』、五『月からの連想=あやめで、「あやめ白粉」は実際に販売されていた商品ではなく、朔太郎の創作の可能性がある』とし、『確認した業界年鑑、新聞は輸入品も網羅しているが、団体に所属しない輸入があった可能性はあ』るとあって、『白粉は、粉白粉、煉白粉、水白粉など形状が数種類あり、いずれも香りづけ(賦香)されることが多』く、『当時の流行の香りは、バイオレット(スミレ)やムスク(ジャコウ)、(ホワイトロース=ホワイトローズ(白薔薇)で、所内で行っている業界紙や婦人雑誌の調査などでは、アヤメ(イリス・オリス)はあまり目にすることがない』とする。以下の「回答プロセス」の欄に、「東京小間物化粧品名鑑」(大正二(一九一三)年刊)を見たところ、『「あやめ」「イリス・オリス」と関連する白粉商品な』いが、『化粧水「イリスレヰト(尾張屋)」水白粉の可能性はあ』るとし、さらに、『イリスの香料(化粧品原料)の輸入は記載があり、商品名に明記がなくても、アヤメの香りがする白粉があった可能性は高い』とある。また、同じ「東京小間物化粧品名鑑」の昭和七(一九三二)年刊本には、『「あやめ」「イリス・オリス」と関連する白粉商品』はないものの、『頭髪用の香油に「イリス香油(井上太兵衛商店)」があ』るとある。流石に蛇の道は蛇で、凄いレファレンスだ。
なお、筑摩版「萩原朔太郞全集」第一巻の『草稿詩篇「月に吠える」』には、本篇の草稿として『五月の貴公子(本篇原稿二種三枚)』として一篇が載る。表記は総てママである。
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五月の貴公子
若草のうへをあるいて居るとき
わたしの素足くつは白い→ぬれた→靑い光る足あとをのこして行く
わたしのほそいすてつきのさき銀が草でみがかれ
わたしのまるめてぬいだ手ぶくろは宙でおどつて居る
ああすつぱりといつさいの憂愁をなげだして
わたしはやさしい柔和な白い羊になる
そつときて→ひつそりとある き いて
しつとりと貴女のくびに手をかけて
あたらしいあやめおしろいの匂をかいでやる。
若くさのうへをあるいて居るとき
わたしは若い五月のプリンスだ。
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最後に編者注があり、「若草の上を步いてゐる若草の上をあるいて居るとき」という題の別稿もある旨の記載がある。]
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