和漢三才圖會第四十二 原禽類 鴿(いへばと) (カワラバト)
いへはと 鵓鴿 飛奴
鴿【音閤】
【和名以倍八止】
コツ
本綱鴿處處人家畜之名品雖多大要毛羽不過靑白皁
綠鵲斑數色眼有大小黃赤綠色而已惟白鴿入藥
肉【鹹平】解諸藥毒凡鳥皆雄乘雌此獨雌乘雄其性最淫
而易合故名鴿鶉者其聲也張九齡以鴿傳書目爲飛
奴其屎皆左盤故名之左盤龍用治諸瘡【野鴿屎最良】
友雀我かいへはとの陰しめて竹を諍ふ夕暮の聲
△按鴿有數品頸短而有小冠胸隆脹脚脛亦短今家家
畜之頸有斑文者名暹羅鴿頭背灰黑色腹灰白有鷹
彪者名朝鮮鴿背上有金紗者名金鴿有黑白柹三色
鮮明美者最珍也並觜短眼金色爲上品價貴争養之
【暹羅朝鮮二種は小於常鴿】皆能馴雞犬相伴屋上構棲局局開窓
而出入各居匹偶拒不入他鴿可謂貞節者矣其生卵
也先生一雄卵隔一兩日出一雌子【共是匹偶】二十日而孚
毎日從午至酉雄鴿伏之從酉迄午雌鴿伏之十日許
止羽翅未備而不能自求食母亦觜甚短不能哺之故
人嚙碎蕪菁子以竹箆開雛觜令食之如此經二三日
乃自開口受餌人安餌於舌頭哺之大抵兩月一産毎
二卵也上品者一歳不過二産四卵而多難伏育是不
惟鴿草木亦人所重者子稀諺所謂椑柹之核多可笑
矣凡鴿終夜鳴聲如曰偶偶
野鴿【一名堂鴿】 與家鴿同類異種也多灰色無冠爲異能飛
舞常棲堂社寺樓故俗呼曰堂鴿畜鴿之家亦必畜堂
鴿如鴿去不歸則使堂鴿若干飛舞誘歸之也堂鴿肉
味甘有泥氣人不食之
*
いへばと 鵓鴿〔(ぼつこふ)〕
飛奴〔(ひぬ)〕
鴿【音、「閤〔コフ〕」】
【和名、「以倍八止〔(いへばと)〕」。】
コツ
「本綱」、鴿は、處處、人家に之れを畜〔(か)〕ふ。名品多しと雖も、大要、毛羽、靑・白・皁〔(くろ)〕・綠・鵲斑〔(せきはん)〕の數色に過ぎず。眼、大小〔と〕、黃・赤・綠色、有るのみ。惟だ白鴿〔(しろばと)〕〔のみ〕藥に入る。
肉【鹹、平。】諸藥〔の〕毒を解す。凡そ、鳥、皆、雄(をどり)、雌に乘る。此れ、獨り、雌、雄に乘る。其の性、最も淫にして合し易し。故に「鴿」と名づく。「鶉(ボツ)」とは其の聲なり。張九齡、鴿を以つて書を傳〔(つた)〕ふ。目(なづ)けて「飛奴」と爲す。其の屎〔(くそ)〕、皆、左に盤〔(くね)〕る。故に之れを「左盤龍」と名づく。用ひて諸瘡を治す【野鴿の屎、最も良し。】。
友雀我がいへばとの陰しめて竹を諍(あらそ)ふ夕暮の聲
△按ずるに、鴿、數品〔(すひん)〕有り。頸、短くして、小さき冠(さか)有り。胸、隆(たか)く脹〔(ふく)〕れ、脚の脛も亦、短し。今、家家、之れを畜ふ。頸に斑文有る者を「暹羅鴿(シヤム〔ばと〕」と名づく。頭・背、灰黑色〔にして〕、腹、灰白〔にて〕鷹彪〔(たかのふ)〕有る者を「朝鮮鴿」と名づく。背の上に金紗〔(きんしや)〕有る者を「金鴿〔(きんばと)〕」と名づく。黑・白・柹〔(かき)〕の三色有り。鮮明に美なる者、最も珍なり。並びに、觜〔(くちばし)〕、短く、眼、金色なるを、上品と爲し、價〔(あたひ)〕、貴〔(たか)〕く、争いて[やぶちゃん注:漢字表記も送り仮名もママ。]之れを養ふ。【「暹羅」・「朝鮮」の二種は常の鴿より小さし。】。皆、能く馴(な)れて、雞〔(にはとり)〕・犬と相ひ伴なふ。屋の上〔に〕棲〔(すみか)〕を構へ、局局〔(つぼつぼ)〕、窓を開きて、出入りす。各々、匹-偶(めをと)と居〔(を)〕ること、拒(こば)みて、他の鴿を入れざるは、貞節なる者なりと謂ひつべし。其の卵を生むことや、先づ、一〔つの〕雄卵を生みて、一兩日を隔てて一〔つの〕雌〔の〕子[やぶちゃん注:卵。]を出だす【共に是れ、匹偶〔(めをと)〕なり。】。二十日にして孚(かへ)る。毎日、午〔(うま)〕より酉に至るまで、雄鴿、之れを伏〔(ふく)〕し、酉より午迄、雌鴿、之れを伏す。十日許〔(ばかり)〕にして止〔(や)〕む。羽翅、未だ備はらして自〔(みづか)〕ら求-食(あさ)ること能はず、母も亦、觜、甚だ短くして之れに哺(〔は〕ぐゝ)むること能はず。故に、人、蕪菁子(なたね)を嚙み碎きて、竹箆〔(たけべら)〕を以つて、雛の觜を開きて、之れを食はしむ。此くのごとくなること、二、三日を經て、乃〔(すなは)〕ち、自〔(みづか〕ら口を開き、餌を受く。人、餌を舌頭に安〔(やす)んじ〕、之れを哺める。大抵、兩月に一産、毎二卵なり。上品なる者、一歳に二産、四卵に過ぎず。而〔(しか)〕も、多くは伏育〔(ふくいく)〕し難し。是れ、惟だ鴿のみならず、草木も亦、人、重ずる所の者は、子、稀なり。諺に所謂〔(いはゆ)〕る、「椑柹(しぶがき)の核〔(たね)〕多し」と。笑ふべし。凡そ、鴿、終夜鳴く。聲、「偶偶〔(ぐうぐう)〕」と曰ふがごとし。
野鴿〔(のばと)〕【一名、「堂鴿〔(だうばと)〕」。】 家鴿と同類異種なり。多くは灰色、冠〔(さか)〕無きを異と爲す。能く飛び、舞ふ。常に堂社・寺樓に棲む。故に俗に呼んで、「堂鴿」と曰ふ。鴿を畜ふの家、亦、必ず、堂鴿を畜ふ。如〔(も)〕し、鴿、去つて歸らざれば、則ち、堂鴿をして、若干(そこばく)、飛び舞はして、之れを誘ひ歸らしむなり。堂鴿の肉味、甘〔なれど〕泥〔の〕氣〔(かざ)〕有り、人、之れを食はず。
[やぶちゃん注:「いへばと」は「家鴿(家鳩)」であるが、これは我々が最も目にする機会の多い、正式種名はハト目ハト科カワラバト属カワラバト Colombo livia var domestica である。ウィキの「カワラバト」によれば、本種を『指し示す言葉として、室町時代から「たうばと(塔鳩)」、これに加え、安土桃山時代には「だうばと(堂鳩)」が使われている。「ドバト(土鳩)」という語が登場するのは江戸時代である。日本語のカワラバト・家鳩・塔鳩・堂鳩・土鳩・ドバトという言葉の間の線引きは曖昧である。「ドバト害防除に関する基礎的研究」(山階鳥類研究所)は、 広義の「ドバト」はカワラバト』『の飼養品種の総称であるとしている』。『また、「家禽化された」カワラバトのうち「再野生化」した個体(feral pigeon)を狭義のドバトとする場合もある』。なお、「日本鳥類目録 改訂第七版」(Check-list of Japanese birds.
2012・日本鳥学会目録編集委員会編・日本鳥学会二〇一二年刊)に於ける『表記は「カワラバト(ドバト)」である』。本種は本来は『ヨーロッパ、中央アジア、北アフリカなどの乾燥地帯に生息する鳥だったが、人に馴れやすいため』、『家禽化され、食用や伝令用として利用されたほか、愛玩用の品種も多数作られた。カワラバトは』、『日本ではかつて狩猟対象だったが、伝書鳩を撃ってしまう危険性がある等の理由から、本種はその対象から外された経緯がある(飼鳥を射殺すると動物愛護法に触れる)。なお、日本でカワラバトの次によく見かけるキジバト』(ハト科キジバト属キジバト Streptopelia orientalis。異名を「ヤマバト」(山鳩)とも呼ぶ。最後に問題にする)『は現在でも狩猟対象である』。『ユーラシア大陸、ヨーロッパを中心に留鳥として世界的に広く分布』し、『日本では』『全土で普通に見ることができる。しかし、日本の在来種ではないと考えられている。日本にいつ渡来したかは定かではないが、一説には飛鳥時代、残存する記録では平安時代に「いへばと(鴿)」の語が見られ、「やまばと(鳩)」』(現在のキジバト)『とは区別されていた。従って、今から』一千年以上前には、『すでに身近に存在していたものと考えられる』。『長らく』、『人間と関わってきた本種は、人間にとても密接した鳥』と言える。『主翼と尾翼は全て、副翼は毎年一枚が翼端へ向かって、一枚ずつ順番に抜け替わる。このため、年齢は副翼を見ると推定できる。羽色は栗・栗ゴマ・灰・灰ゴマ・黒・黒ゴマ・白・白黒・モザイク・グリズル・バイオレット・ブラチナ・赤・緑・黄色・橙など多彩である。栗二引き』(「二引き」とは翼に二本の線のあるものを指し、それが栗色のものである。こちらの画像のが典型)『と呼ばれる色彩パターンがカワラバトの祖先の一般的な羽装であると考えられている』。『また、首周辺の羽に構造色を持ち、角度により緑あるいは紫に変わるように見える』。『一方、キジバトは羽のウロコ模様が特徴的であり、本種との識別は容易である』。『基本的に草食性であるが、昆虫なども食べることがある』。『種子・穀物・果実・漿果等植物性のものが主食である』。通常は二『個の卵を産む』。『孵化までは』十六~二十日『で、育雛期間は』二十八~二十五日『程度』。『他の鳩類と同じく親鳥は蛋白質に富んだピジョンミルクと呼ばれるミルク状の乳を口移しに雛に与える』。『親鳥は育雛をしている最中に次の産卵をすることもあり、時に育雛と抱卵を同時期に行う』。『このため』、『年間』五、六回の『繁殖が可能である』(言わずもがなであるが、本条の解釈で、良安がまことしやかに詳述している多くのトンデモ生態部分は総て誤りである。あまりに馬鹿馬鹿しいのでそれは各個注は示さない)。『この繁殖能力の高さと、天敵である猛禽類の減少が個体数増加の原因となっていたが、近年ではワシントン条約による絶滅危惧種として厚く保護された猛禽類が、カラスほどではないにせよ』、『都市部でも目撃されており、カワラバトを含め』、彼らの餌となる野鳥の捕食圧が高まっているという意見もあるらしい。『因果関係が完全に証明された訳ではないが、猛禽類は黒いカラスを襲わないため、カワラバトも黒い個体が多く生き残った結果だという。野生種のカワラバトは本来、岸壁の割れ目などの高い場所に営巣していた鳥なので』、『その習性から市街地においてはマンション等の人工建造物が営巣場所となることもあり、糞害が問題になることがある』。『カワラバトは体内時計や太陽コンパス・目の瞬膜の偏光作用などを使って、方向判定と位置測定を行っていると考えられている。この他に』、『地磁気を鋭敏に感知できる生体磁石の能力も持っているといわれており、研究対象になっている。ある研究によれば、嘴の皮膚内に磁鉄鉱を含む微粒子が局在しており、これが磁場の変化を感知する上で重要な役割を果たしている可能性があるという』。『カワラバトから長年にわたり』、『品種改良された伝書鳩を使って行われる鳩レースでは』、『分速や帰還率が評価されるが、これらは天候のほか太陽風や黒点活動、磁気嵐の影響を受けるといわれる』。『訓練されたカワラバトは、初めて見る絵の上手い下手を判別したり、クラシック音楽と現代音楽を聞き分けることでも知られている。このため』、『認知科学の実験に応用されることがある』。『鳥類には嗅覚が殆どない、又は、あっても重要性は低いと』、一九五〇年代頃までは『考えられてきた。しかし、近年、さまざまな科学的実験によって、通説は覆りつつある。中でもカワラバトの場合、地磁気と視覚と嗅覚が複合的に神経連動されている点がクローズアップされている。カワラバトは、上記の磁気データにあわせ視覚的データ、そして、嗅覚のデータを脳で統合し、あたかもひとつの感覚として感じとり、飛行した地形図として記憶している可能性が高いことが明らかになりつつある』。『カワラバトは通信手段として先史時代から家禽化されてきたと考えられ』、紀元前三千年頃の『エジプトでも伝書鳩を利用していた記録が残っている。これ以外に肉や卵を食料にするため、中東などでは崖のくぼみなどに住み着く性質を利用し、内部がうつろで壁に数か所』の『穴がある搭のようなものを作り、そこに鳩を集め』た『ことがあり、古代ユダヤではヘロデ王がこれを建設させたので、こうした鳩を「ヘロデの鳩」とミシュナー』(フリーム或いはタナイームと呼ばれたユダヤ教指導者(ラビ)群のトーラー(旧約聖書の「モーセ五書」に関する註解書群)『の中で呼んでいた』。『また、その帰巣性の高さから』、『軍隊での通信手段としても盛んに用いられてきた。イギリス軍は第一次世界大戦で約』十『万羽、第二次世界大戦に至っては』五十『万羽以上もの』、『軍用鳩を用いた。戦闘で大火傷を負いながらも友軍に辿り着き、勲章を授けられたものさえ存在した』。日本に『カワラバトが渡来したのは今から』千五百『年程前(飛鳥時代)であったと考えられる。カワラバトは』、『古来より』、『八百万神のお使い神と神社で尊ばれ、殺生はご法度、同じく仏閣でも古から魚・鳥等を野に放すことである放生会やエサやりが生類を哀れむ功徳とされ、その対象として長年』、『保護され』、『親しまれてきた。「鳩に三枝の礼あり(仔鳩が親の恩を感じ』、『三つ下の枝に止まる故事より、礼儀を重んじることの重要性)」「鳩に豆鉄砲=鳩が豆鉄砲を食ったよう(突然の出来事に呆気にとられる様子)」「鳩を憎み豆を作らぬ(些細なことに拘って肝心なことが疎かになる愚かしさや弊害)」等、昔からの諺でもお馴染みである』。天明三(一七八三)年には、『大阪の相場師・相模屋又市が投機目的のため』、『米相場の情報伝達にカワラバトを利用したとされ、処罰されたという記録が残って』おり、『また、ほぼ同時期の』(文化二 (一八〇五)年跋)の小野蘭山述の「本草綱目啓蒙」の中に、『カワラバトの帰巣性について』、
*
鴿は主人の家をよく覺へ[やぶちゃん注:ママ。]をる者ゆへ[やぶちゃん注:ママ。]遠方に行くと雖ども放つ寸(とき)は必(かならず)その家に還る故に、張九齡「以ㇾ鴿傳ㇾ書」ことを釋名[やぶちゃん注:「本草綱目」の項内小目。]の下に載す。
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『の記述が見られる』(以上は私が国立国会図書館デジタルコレクションの当該箇所の画像を視認してカタカナを平仮名に直して示したものである)。『幕末に神奈川に滞在したアメリカの』女性宣教師マーガレット・テイト・キンニア・バラ(Margaret Tate Kinnear Ballagh:来日宣教師ジェームス・ハミルトン・バラ(James Hamilton Ballagh)の妻)は『著書「古き日本の瞥見」』(Glimpses
of Old Japan, 1861-1866.)の中で、文久二(一八六二)年『の手紙に』、『神奈川の寺にはカワラバトが多く住んでおり、寺の外だけでなく』、『寺の中にまで住んでいることを記載している。さらにカワラバトに与えるための餌を紙袋に入れて売る売店があることも記載している。このことから、江戸時代には既に庶民がハトに餌をやる慣習があったことがわかる』。『明治時代以降、カワラバトから長年にわたって品種改良された伝書鳩が欧米より輸入され、新聞社などで利用された。また軍部でも日清戦争や日露戦争、第一次世界大戦から本格的に伝書鳩の研究を開始し、第二次世界大戦では多くの伝書鳩が使われた』。『戦後復興期には、伝書鳩を使った鳩レースを行うための協会が設立された』。『高度成長時代には伝書鳩の飼育が若年層を中心としてブームとなった』。昭和三九(一九六四)年に『開催された東京オリンピックの開会式では、セレモニーの一部として伝書鳩達の空に舞い上がる姿が華々しくカラーテレビ中継され、前年開通した衛星中継により世界中に配信された』。昭和四四(一九六九)年に『ピークを迎える飼鳩ブームの火付け役となった出来事と伝えられている』。『しかし』、一九七〇年代も『後半になると』、『ブームは収束し、伝書鳩の飼育数は減少に転じた。以降、漸減傾向が続いている』。『カワラバトはその他にも、海難犠牲者を発見させる訓練などが行われている』。『歴史的建造物の汚損などが深刻な問題になることがある。尿(糞の白い部分)は、金属の腐食を促進させる作用がある。またカビの一種であるクリプトコッカス・ネオホルマンス』(菌界担子菌門異型担子菌綱シロキクラゲ目シロキクラゲ科クリプトコッカス属クリプトコッカス・ネオホルマンス Cryptococcus neoformans)『が堆積した糞の中で繁殖し、HIV感染者や臓器移植手術のため免疫抑制剤の投与によって免疫力の落ちた人間が吸い込むと』、クリプトコッカス症』日和見感染症(通常であれば、当該個体の免疫力によって増殖が抑えられている病原性の低い常在細菌が、免疫抑制状態の中で異常に増殖し、その結果として病気を引き起こすもの)の一つ。百万人当たり年間二~九人の患者発生率で致命率は約十二%。アメリカ合衆国では発症患者の八十五%がHIV感染者である。病原体を吸い込み、肺で感染することが多いが、不顕性感染(感染が成立していながら、臨床的に確認し得る症状を示さない感染様態のこと。本人が発症しなかったとしても、感染源として気づかぬうちに病原体を他個体に拡げてしまう虞れがある、所謂「キャリア」である)の場合もある。鼻汁の排泄に始まり、鼻孔に肉芽腫が出来たり、病原体が肺から移動して髄膜炎や脳炎を惹き起こす。クリプトコッカス性髄膜炎の症状は頭痛・発熱・無気力・昏睡・人格変容・記憶障害等である)『にかかる症例が報告されている』。『カワラバトは人に馴れやすく、群れで繁殖する鳥である。このため』、『古くから公園などで鳩に餌を与えることが当たり前のように行われている。繁殖能力が高い鳩は栄養状態に恵まれると』、『年に幾度も繁殖を繰り返し』、『増加し続ける。このため、近年では鳩に餌を与えることを防止するよう呼びかけている地域もあり、荒川区など』、『一部自治体では条例で禁止している』とある。
「以倍八止」「倍」は音では「ベ」であるが、通用で「へ」にも当てる。
「鵲斑」カササギ(スズメ目カラス科カササギ属カササギ Pica pica)に見られるような色紋。カササギの羽毛の色は腹と背中に近い羽(肩羽)と、翼を広げた際に見える羽先が白い。後は概ね、頭から腿までは烏羽(からすば)色であるが、羽や尾羽の先には光沢があり、黒というよりも青或いは緑に見えることが多いから、こうした視覚上の見かけのグラデーションを指して言っているのであろう。
「張九齡」(六七三年~七四〇年)盛唐の詩人で政治家。玄宗の宰相となって、安禄山の「狼子野心」を見抜き、「誅を下して後患を絕て」と玄宗に諫言したことでも知られるが、悪名高い李林甫や楊国忠らと対立して荊州(湖北省)に左遷された。官を辞した後は故郷に帰り、閑適の世界に生きた。詩の復古運動に尽くしたことでも知られ、文集に「曲江集」がある。以下の「照鏡見白髮」は唐詩の定番の名品。
照鏡見白髮
宿昔靑雲志
蹉跎白髮年
誰知明鏡裏
形影自相憐
鏡に照らして白髪を見る
宿昔 靑雲の志
蹉跎(さた)たり 白髮の年
誰(たれ)か知らん 明鏡の裏(うち)
形影 自ら相ひ憐まんとは
彼と鳩の話は、五代の王仁裕撰の「開元天寶遺事」の巻一に、
*
張九齡少年時家養群鴿、每與親知書信往來、只以書系鴿足上、依所寄之處飛往投之。九齡目之爲「飛奴」。時人無不愛説。
*
と出る。
「友雀我がいへばとの陰しめて竹を諍(あらそ)ふ夕暮の聲」「友雀」は仲良く群れになって遊んでいるかのように見える雀たちのこと。「我がいへばとの陰しめて」がよく判らぬが、これはまさに我が家で飼っている家鳩が縄張りを占めている、その蔭の方の竹林の中で、という謂いであろうか。作者も不詳である。
「冠(さか)」とさか。良安がこう言っているのは、上嘴の付け根を覆う肉質の白い楕円体に盛り上がって見える、鼻孔を覆っている「鼻瘤(はなこぶ/びりゅう)」或いは「蠟膜(ろうまく)」と呼ばれる部分のことである。
「暹羅鴿(シヤム〔ばと〕」サイト「孤島国JAPAN」の「日本の基底文化を考える」の中の「鳥崇拝時代のノスタルジー[42]-鳩は鬱々-」の記載に、『鹿子鳩(斑鳩鳩, 真珠鳩/暹羅鳩/咬𠺕吧鳩)カノコバト』とあった。ハト科キジバト属カノコバト Streptopelia chinensis である。ウィキの「カノコバト」によれば、『インド、スリランカから中国南部と東南アジアまでの南アジアに生息する。北アメリカやオーストラリア、ニュージーランドなどにも移入種として生息している。オーストラリアには』一八六〇『年代に導入され、在来種のハトに替わり広がった』とある。
「朝鮮鴿」不詳。なお、「百人」氏のサイト「おやじ小屋から」の『郷土の方言―「鳥」編 (高橋八十八著「わたしの落穂拾い集」<第4集>より)』という頁に、奥越後松代(現在の新潟県十日町市)に住む高橋氏の記載からとして、『【ブッポウソウ】生家の裏山のブナ林で初夏の候となるとチョウセンバトがやってきて、いくつがいが巣をかけ「グェケーッケッケケケケ」と鳴きながら翔び交わす。外国から来る意の朝鮮鳩であるが、隣の山平地区では翼の下面に紋があるので、この鳥をモンツキ(紋付)といっている』とあった。これは、所謂、姿の「仏法僧」である、ブッポウソウ目ブッポウソウ科 Eurystomus 属ブッポウソウ Eurystomus orientalis なのであるが、「頭・背、灰黑色〔にして〕、腹、灰白〔にて〕鷹彪〔(たかのふ)〕有る者」ではないし、凡そブッポウソウはカワラバトとは似ても似つかぬから違う。識者の御教授を乞う。
「金鴿〔(きんばと)〕」ハト科 Chalcophaps 属キンバト Chalcophaps indica。ウィキの「キンバト」によれば、『種小名indicaは「インドの」の意』。棲息地は『インド、インドネシア、オーストラリア(クリスマス島、ノーフォーク島含む)、カンボジア、シンガポール、スリランカ、タイ、中華人民共和国、台湾、ネパール、バヌアツ、パプアニューギニア、バングラデシュ、フィリピン、ブータン、ブルネイ、ベトナム、マレーシア、ミャンマー、ラオス』。『日本では、宮古島以南の南西諸島に留鳥として分布する。他の地域での観察記録はほとんどない』。但し、日本の八重山列島の固有亜種として、キンバト Chalcophaps indica yamashinai が棲息する。全長二十五センチメートルとカワラバトより小さく、『頭部から背面にかけては青味がかった灰色、背面と雨覆は光沢のある緑色、腹面は褐色の羽毛で覆われる』。『嘴や後肢は赤い』。『オスは額から眼上部の羽毛が白いが、メスは灰色』とある。
「局局〔(つぼつぼ)〕」私の当て読み。それぞれの割り当てられた巣。
「匹-偶(めをと)」夫婦。
「居〔(を)〕ること」「にて」ぐらいの送り仮名を追加で附すべきか。
「貞節なる者なりと謂ひつべし」良安はハト好きだったのではあるまいか。「本草綱目」の「其の性、最も淫」というのには我慢ならなかったからこそ、かく記したような気がしてならない。
「共に是れ、匹偶〔(めをと)〕なり」それでは兄妹の近親交雑で瞬く間に子孫が出来なくなるような気がしますが? 良安先生?
「午」午前十二時。
「酉」午後六時。
「午」翌日の正午のこと。抱卵時間割り当ては♂は六時間、♀は十八時間ということになる。但し、こんな役割分担は、多分、ない。総て♀であろう。
「蕪菁子(なたね)」狭義に「なたね」と言ったら、「菜種」で、アブラナ目アブラナ科アブラナ属ラパ rapa 変種アブラナ Brassica
rapa var. nippo-oleifera の菜種油を採る種子だが,
通常、「蕪菁子」(音「ブセイシ」)と書いたら、漢方でカブ(ラパ rapa 変種カブ(アジア系)Brassica
rapa var. glabra)の塊根と種子のことである。
「野鴿〔(のばと)〕【一名、「堂鴿〔(だうばと)〕」。】」「家鴿と同類異種なり」冒頭引用で見る通り、これが現行の「ドバト」なら(次注参照)異種ではなく、全くの同種である。なお、私は現行の「ドバト(土鳩)」という語を無批判に使っていたが、室町期の「塔鳩(たうばと)」(=当時の口語推定発音「とうばと」)、安土桃山時代の「堂鳩(だうばと)」(=当時の口語推定発音「どうばと」)の後、全く先行する呼称と無関係、江戸時代になって「土鳩(どばと)」という呼称が出現したと考える方が不自然で、私は「土」を当てるのは後附けに過ぎず、これは先行する「とうばと」「どうばと」が短縮化したものと採るべきではないかと考えている。
「冠〔(さか)〕無きを異と爲す」どうも変だ。先に言った鼻瘤が、カワラバト=ドバトのように白く盛り上がったりせず、至って目立たないというのは、実は、
ハト科キジバト属キジバト Streptopelia orientalis
の特徴であるからだ。しかし、「鴿を畜ふの家、亦、必ず、堂鴿を畜ふ。如〔(も)〕し、鴿、去つて歸らざれば、則ち、堂鴿をして、若干(そこばく)、飛び舞はして、之れを誘ひ歸らしむなり」というのはどうだろう? こんな習性がカワラバトとキジバトの間に成立するとは思われないのだか?]
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