萩原朔太郎詩集「月に吠える」正規表現版 くさつた蛤
くさつた蛤
半身は砂のなかにうもれてゐて、
それで居てべろべろ舌を出して居る。
この軟體動物のあたまの上には、
砂利や潮(しほ)みづが、ざら、ざら、ざら、ざら流れてゐる、
ながれてゐる、
ああ夢のやうにしづかにもながれてゐる。
ながれてゆく砂と砂との隙間から、
蛤はまた舌べろをちらちらと赤くもえいづる、
この蛤は非常に憔悴(やつ)れてゐるのである。
みればぐにやぐにやした内臟がくさりかかつて居るらしい、
それゆゑ哀しげな晚かたになると、
靑ざめた海岸に座つてゐて、
ちら、ちら、ちら、ちらとくさつた息をするのですよ。
[やぶちゃん注:底本は面白い。四行目の四つの読点が例のような奇妙な間の抜けた字空けがなく、寧ろ、タイトに詰めに詰めて、それぞれの下の「ざら」の濁点に、それこそくっかんばかりなっているのである。ところが、最終行の「ちら」の下の読点は、いつも通り、阿呆みたような空隙を三箇所総てが持っているのである。この奇体な組版は、結局、四行目の位置が九十三ページ最終行(左ページ)に当たり、例の調子で読点をやらかすと、四行目が二行に渡らざるを得なくなり、そのはみ出た分が、見返しの次の九十四ページの頭に送られて詩篇としてのリズムが著しく阻害される(と朔太郎が考えた)からであろうと推理出来る。本篇は本詩集が初出でもあり、朔太郎はかなり気を使った、ということであろう。
なお、草稿二篇は、五年まえに、
「(無題) 萩原朔太郎 (「くさつた蛤」草稿1)」
「くさつた蛤 萩原朔太郎 (「くさつた蛤」草稿2)」
として別々に電子化しているので見られたい。]
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