古今百物語評判卷之三 第一 參州加茂郡長興寺門前の松童子にばけたる事
百物語評判卷之三
第一 參州加茂郡(かものごほり)長興寺門前の松童子にばけたる事
[やぶちゃん注:漢詩は前後を空け、完全な分かち書きとし(原典は二段組)、後に訓読文を附した。]
かたへの人のいはく、「某(それがし)、生國は三河にて御座候(さふらふ)が、國元にてふしぎなる事侍りしは、加茂郡に長興寺と申す寺あり、門前に、むかしより、松二本、御座候ふが、龍のかたちにつくりなしをき[やぶちゃん注:ママ。]候ふ故、人みな、此松を『二龍(じりやう)松』とも申し候ふ。此松、大木にて、いづれの時より植(うゑ)をきしともさだかならず。あるとき、其寺へ、童子二人、來たりて云ふやう、『われは此邊(このあたり)の者にて候が、少し樣子[やぶちゃん注:わけ。]の侍れば、硯をかし給へ』といふ。則(すなはち)、硯に料紙をそへて出(いだ)し奉れば、一首の絶句をかきつけたり。
客路三川風露秋
袈裟一角事二勝遊一
二龍松樹千年寺
古殿苔深僧白頭
客路(かくろ)三川(さんせん) 風露(ふうろ)の秋
袈裟(けさ)一角(いつかく) 勝遊(しやうゆう)を事(こと)とす
二龍松樹(じりやうしやうじゅ) 千年の寺
古殿 苔(こけ)深くして 僧 白頭(はくとう)
此詩をかき置(おき)て歸りければ、寺僧、あやしみて、其ゆくさきを見るに、彼の門前の松の木陰に行(ゆく)と見えて、跡かたなくなりければ、皆人、『松の精の、童子となりたる』と申し侍るは、さも候ふやらん」と問(とひ)ければ、先生、評していはく、「此事、既に『こだまの事』[やぶちゃん注:「古今百物語評判卷之一 第五 こだま幷彭侯と云ふ獸付狄仁傑の事」を指す。]に付きて、其ためしをかたりき。猶も、非情の有情(うじやう)は化(か)する事は、化生(けしやう)と申しならはして、目前に、まゝある事なり。朽ちたる木の蝶となり、くされる草の螢に變ずる事、何れも見給ふ通りなり。殊更、松は衆木の長(をさ)にて、年久しき物なるゆへ、君子の德に比(たぐ)らべて[やぶちゃん注原典のルビ。]候ふ。其童子になりけんも、さも、あらんかし。既に童子となりたるうへは、寺のほとりに住むものなれば、詩をつくるべからざるにはあらず。古き桐の木の人に變じ來たりしを、智通と云(いひ)し出家のたいらげし事、もろこしの書にも見えたり」。
[やぶちゃん注:「參州加茂郡(かものごほり)長興寺」現在の愛知県豊田市長興寺にある臨済宗集雲山長興寺。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「客路」旅路。人間の短い生涯が辿る永い時間の「流れ」を象徴するか。
「三川」は濃尾平野を流れる木曽川・長良川・揖斐川の三つの川を指すか。二本の松は龍の形をしているから、川とは親和性が強く、「風」と雨「露」も龍の守備属性である。
「袈裟一角」不詳。「角」の龍との親和性で思ったのは袈裟の様態の一つである「僧綱領(そうごうえり)」で、僧綱の位にある僧が衣の襟(えり)を折り返さずに、背部の後ろで立てたままにし、頭を隠すように着るそれで、あれなら、角のようには見える。孰れにしても、この漢詩はこの寺への永代祝祭の言祝ぎの献詩と感じられる。
「古き桐の木の人に變じ來たりしを、智通と云(いひ)し出家のたいらげし事」これは晩唐の学者段成式(八〇三年~八六三年)の撰になる、荒唐無稽な怪異記事を集録した「酉陽雑爼」(八六〇年頃成立)の「續集」巻一の「支諾皋(しだくこう)上」の以下。
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臨瀨(一作湍)西北有寺、寺僧智通、常持「法華經」入禪。每晏坐、必求寒林靜境、殆非人所至。經數年、忽夜有人環其院呼智通、至曉聲方息。歷三夜、聲侵戶、智通不耐、應曰、「汝呼我何事。可人來言也。」。有物長六尺餘、皂衣靑面、張目巨吻、見僧初亦合手。智通熟視良久、謂曰、「爾寒乎。就是向火。」。物亦就坐、智通但念經。至五更、物爲火所醉、因閉目開口、據爐而鼾。智通睹之、乃以香匙舉灰火置其口中。物大呼起走、至閫若蹶聲。其寺背山、智通及明視蹶處、得木皮一片。登山尋之、數里、見大靑桐、樹稍已童矣、其下凹根若新缺然。僧以木皮附之、合無蹤隙。其半有薪者創成一蹬、深六寸餘、蓋魅之口、灰火滿其中、火猶熒熒。智通以焚之、其怪自絕。
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「老媼茶話 酉陽雜俎曰(樹怪)」がよく原文を訓読している。また、『柴田宵曲 續妖異博物館 「樹怪」』ではよく現代語訳している(孰れのリンク先も私の電子化注)。なお、岡本綺堂も訳編「支那怪奇小説集」の中で「怪物の口」として訳出している。ここでは、同書の昭和一〇(一九三五)年サイレン社刊の正字版を、国立国会図書館デジタルコレクションの画像を視認底本として電子化して示す。新字の怪談集なんて、それだけで、怖くなくなる。但し、読みは振れるもののにみ限った。
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◇怪物の口◇
臨湍寺(りんたんじ)の僧智通は常に法華經をたすさへてゐた。彼は人跡稀なる寒林(かんりん)に小院をかまへて、一心に經文讀誦(どくじゆ)を怠らなかつた。
ある年、夜半にその院をめぐつて、彼の名を呼ぶ者があつた。
『智通、智通。』
内ではなんの返事もしないと、外では夜(よ)のあけるまで呼びつゞけてゐた。かういふ事が三晚も止まないばかりか、その聲が院内までひゞき渡るので、智通も堪へられなくなつて答へた。
『どうも騷々しいな。用があるなら遠慮なしに這入(はい)つてくれ。』
やがて這入つて來た物がある。身のたけ六尺ばかりで、黑い衣(きもの)をきて、靑い面(かほ)をしてゐた。彼は大きい目をみはつて、大きい息をついてゐる。要するに、一種の怪物である。而も彼は僧にむかつて先づ尋常に合掌した。
『おまえは寒いか。』と、智通は訊いた。『寒ければ、この火にあたれ。』
怪物は無言で火にあたつていゐた。智通はそのまゝにして、法華經を讀みつゞけてゐると、夜も五更(かう)[やぶちゃん注:現在の午前三時から午前五時、又は、午前四時から午前六時頃。]に至る頃、怪物は火に醉つたとみえて、大きい目を閉じ、大きい口をあいて、爐(ろ)に倚(よ)りかゝつて高鼾(たかいびき)で寢入つてしまつた。智通はそれを觀て、香(かう)を掬(すく)ふ匙(さじ)を把(と)つて、爐の火と灰を怪物の口へ浚(さら)ひ込むと、かれは驚き叫んで飛び起きて、門の外へ駈け出したが、物につまずき倒れるやうな音がきこえて、それぎり鎭まつた。
夜(よ)があけてから、智通が表へ出てみると、彼がゆうべ倒れたらしい所に一片の木の皮が落ちてゐた。寺のうしろは山であるので、彼はその山へ登つてゆくと、數里[やぶちゃん注:唐代の一里は五百五十九・八メートル。六掛けだと、三キロ半弱。]の奧に大きな靑桐の木があつた。梢(こずゑ)は已に枯れかゝつて、その根の窪(くぼみ)に新しく缺けたらしい所があるので、試みに彼(か)の木の皮をあてゝみると、恰(あたか)も貼付(はりつ)けたやうに合つた。又その根の半分枯れたところに洞(うつろ)があつて、深さ六七寸、それが怪物の口であらう。ゆうべの灰と火がまだ消えもせずに殘つてゐた。
智通はその木を焚(やい)てしまつた。
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