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2018/10/29

萩原朔太郎詩集「月に吠える」正規表現版 竹 (同題異篇)

 

  

 

光る地面に竹が生え、

靑竹が生え、

地下には竹の根が生え、

根がしだいにほそらみ、

根の先より纎毛が生え、

かすかにけぶる纎毛が生え、

かすかにふるえ。 

 

かたき地面に竹が生え、

地上にするどく竹が生え、

まつしぐらに竹が生え、

凍れる節節りんりんと、

靑空のもとに竹が生え、

竹、竹、竹が生え。 

 

[やぶちゃん注:初出は、『詩歌』大正四(一九一五)年二月号。竹 萩原朔太郎(「月に吠える」の「竹」別ヴァージョン+「竹」二篇初出形)でも電子化してあるが、かなり激しい改稿がなされているので、併置して示す。

   *

 

  

 

新光あらはれ、

新光ひろごり。

光る地面に竹が生え、

靑竹が生え、

地下には竹の根が生え、

根がしだいにほそらみ、

根の先より纎毛が生え、

かすかにけぶる纎毛が生え、

かすかにふるゑ。 

 

かたき地面に竹が生え、

地上にするどく竹が生え、

まつしぐらに竹が生え、

凍れる節節(ふしぶし)りんりんと、

靑空のもとに竹が生え、

竹、竹、竹が生え。 

 

祈らば祈らば空に生え、

罪びとの肩に竹が生え。

          ――大正四年元旦――

 

   *]

 

 

Takenoato

 

 

    みよすべての罪はしるされたり、

    されどすべては我にあらざりき、

    まことにわれに現はれしは、

    かげなき靑き炎の幻影のみ、

    雪の上に消えさる哀傷の幽靈のみ、

    ああかかる日のせつなる懴悔をも何かせむ、

    すべては靑きほのほの幻影のみ。

 

[やぶちゃん注:この詩篇は標題がない。目次にも示されていないから、この詩篇は二篇の「竹」の後に附した詩篇として読まれるようにはセットされている(右ページに上記の「竹」の終りの二行があり、絵と詩篇が右ページに文字のポイントを本篇詩篇より有意に小さくして載っている)。全集にも初出・異同等の資料が全く附帯しないから、本詩集刊行時に新たに創作して附したものなのであろう。また、本篇に限っては詩篇の初出はない。本詩集刊行までは全くの未発表の詩であったと考えられる。或いは、本詩集刊行に際し、前後の詩篇に合わせて新たに創作された可能性もあるか。さらに、この詩篇の上にある、モノクロームの奇妙な以上の絵は、私は漠然と無批判に田中恭吉のものと思い込んでいたが、挿絵の目次にも示されていないし、全集の解題にある田中と恩地の絵の枚数にも含まれていない。さすれば、この奇体な抽象画のようなものは、彼らの絵ではないことになり、そうなると、萩原朔太郎の手すさびのデッサンということなのだろうか? この絵について何か御存じの方はお教え願いたい。

 なお、筑摩版「萩原朔太郞全集」第一巻の『草稿詩篇「月に吠える」』には、本篇(同題の前の「竹」とは確然と区別されてある)の草稿として『「竹」(本篇原稿五種九枚)』として、以下の二篇がチョイスされて載る(標題は一篇は「新光」、一篇は「光る靑竹」或いは「靑竹と祈禱」の並置残存)。一篇目の中のアラビア数字「1」「2」「3」は朔太郎自身が附したもの。

   *

 

  新光

     一月一日作

ああ、なんぞやけふの蒼天

いつさいのものは肩にあり。

竹が生え

光る地面に竹が生え、竹、竹、竹が生え→りんりんとして竹が生え靑竹が生え

竹が生え→靑竹、竹、竹が生え

地下には竹の根が生え

根がのびてゆき竹の根が生えひろごり

けぶれる竹の根より纖毛が生え

かすかにけぶる纖毛が生え

かすかにふるえ、[やぶちゃん注:「ふるえ」はママ。]

 

1かたき地面に竹が生え

地面にするどき竹が生え

靑竹が生え2まつしぐらに竹が生え2

りんりんとして靑竹が生え、その竹ずたひ水がなれ[やぶちゃん注:「竹ずたひ」「水がなれ」はママ。]

するどく光り蒼天に3

その竹づたひ水ながれ竹竹竹が生え

りんりんとして祈り竹が生え

竹竹竹が生え

 

いのらばいのらば空に生え

つみびとの肩に竹が生え

 

 

  竹と新光

  光る靑竹

  靑竹と新光祈禱

 

ああ、なんぞや→ああけふの 光る蒼天、

いつさいのくもの→光は ものは肩にあり

光る蒼天光るあらはれ、

光る蒼天蒼天ひろごり

新光あらはれ

新光ひろごり

光る地面に竹が生え

靑竹が生え

地下には竹の根が生え

根がしだいに細くなりらみ萠え

根はしんしんとひろごりゆき根が

竹の根の先より纖毛が生え

かすかにけぶる纖毛が生え

かすかにふるえ、[やぶちゃん注:「ふるえ」はママ。]

 

かたき地面に竹が生え

地上にするどく竹が生え

まつしぐらに竹が生え

するどく光り竹が生え

その

りんりんとして竹が生え

氷れる竹の根節々りんりんと

蒼天のもと→蒼天靑空のもとに竹が生え

竹竹竹が生え

 

いのらばいのらば空に生え

罪びとの肩に竹が生え

 

蒼天あらはれ

蒼天ひろごり

新光あらはれ

新光ひろごり

        ――大正四年一月元旦――

 

   *

 さらに、実は、これに続いて、『○(本篇原稿一種一枚)』と記す、所謂、この奇体なオブストラクトに添えられた詩篇の草稿もあるので、以下に示す。草稿では「靑い炎」という題がついている

   *

 

  靑き炎の幻影

    ――淨罪詩扁――奧附――

 

合掌せる肩の上にあらはれ

鬼はすべてを示せり

みよすべては示されたりしが

すべては我にあらざりき

くみるみるいつさいはまことに現はれしは

みるみる靑き炎の幻影のみ

雪の上に消え去る幻影のみ哀傷の幽靈のみ

ああかゝる切なる懺悔をも何かせむ

すべては靑き炎の幻影のみ、

 

   *

これに私は――思わず叫んだ!――「Blue spirit blues」というわけだったのか!?――と…………]

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