萩原朔太郎詩集「月に吠える」正規表現版 盆景
盆 景
春夏すぎて手は琥珀、
瞳(め)は水盤にぬれ、
石はらんすゐ、
いちいちに愁ひをくんず、
みよ山水のふかまに、
ほそき瀧ながれ、
瀧ながれ、
ひややかに魚介はしづむ。
[やぶちゃん注:「らんすゐ」については、私は以前にこのブログで、「盆景 萩原朔太郎 /……誰か馬鹿な僕の疑問に答えてくれ……」と本篇を掲げて、意味を問うたものであった(そこに書いたが私は盆景が大好きで、小学生の頃、亡き祖母と一緒に何度も作った。盆景の経験のある少年(元)というのは今では化石だろう)。すると、即座に古い教え子が反応して呉れた。それは『「らんすゐ」追跡1』で記してある。その後、怠け症の浮気男である私は、追跡をしていない(私のスランガステインは惨過ぎる)。そこで少し検索して見た。山本掌氏のブログ『「月球儀」&「芭蕉座」』の「萩原朔太郎「盆景」 <盆景>、ご存知でしょうか?」に、盆景の隆派「神泉流」の創始者で、日本盆景協会(ブログには百年前に創立とあり、山本氏の記事は二〇一六年のものだから、単純に引き算すると、大正五(一九一六)年。これは本詩集刊行の前年には当たる。但し、本詩篇の創作年月日は後に示す通り、大正三年八月十日である)を創設した小山潭水(明治一一(一八七八)年~昭和二一(一九四六)年)で、その『創設した方を、「たんすい」ならぬ「らんすい」といったものか』。『朔太郎、かなり朔太郎流に漢字をかえたりしていることもあるので』。『あるいは詩作品なので、名前を替えたのかも』という、かなりマニアックな仮説をお立てになっておられるのを見つけ、また、こちらで、中国人の方と思われるが、本詩篇を中国語訳(簡体字)されており(以下の引用は注記号をカットし、題名のポイントを上げた)、
《引用開始》
盆景
春夏过后双手化为琥珀,
眼瞳在水盘中濡湿,
石头染上岚翠,
一切都浸透着愁意,
看啊那山水的深处,
涓涓瀑布流下,
瀑布流下,
游鱼与贝类沉没在寒溪。
《引用終了》
とあるのを発見した(「过」は「過」、「为」は「為」、「盘」は「盤」、「头」は「頭」、「岚」は「嵐」、「处」は「處」(処)、「鱼」は「魚」、「贝类」は「貝類」の簡体字で、「沉」は「沈」の異体字である)。この方は「らんすゐ」を私が当初、検討した「嵐翠」と採っておられる(注があり、そこには『岚翠,指山中绿色的雾气。』とある)。「嵐翠」の歴史的仮名遣は「らんすい」であるが、萩原朔太郎はかなり歴史的仮名遣を間違って使用しており、中には確信犯で表記を変えているケースもしばしば見かけるから、それは実はあまり問題ではない。ここまで私は、どうも、この中国語訳をされた方の説、「嵐翠」に従いたい気になってきてはいる。大方の御叱正を俟つものではある。
本詩篇の初出は、『地上巡禮』大正三(一九一四)年九月号。「いちいちに愁ひをくんず、」が「いちいちに愁ひをかんず、」で大きな改変である他は、「ひややかに」が「ひやゝかに」の表記違いである。但し、詩篇の後に下インデントで『――一九一四、八、一〇――』のクレジットがある。]
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