古今百物語評判卷之四 第八 西寺町墓の燃えし事
第八 西寺町(にしてらまち)墓の燃えし事
一人の云(いは)く、「近き比(ころ)、西寺町のある寺に、切腹せし人を葬りしが、夜每に其墓より、火、もえ出(いで)候故、はじめは、小僧・同宿などの見たるのみにて、さだかにもなく候處に、後(のち)には、住持、きゝつけ、世にあやしき事におもひ、さまざま、經文などかきて弔ひけれども、其しるしなかりしに、此比は燃えず候ふよしを申し候ふが、其墓のもゆる程なる罪人にて、いろいろのとぶらひをうけても消えざるに、おのれと[やぶちゃん注:自然と。]靜まりたるも、あやしく存ぜられ候ふ。とかく此理(ことわり)、くはしく承らばや」と云ひければ、先生、答へていはく、「是(これ)、不思議る事に侍らず。其(その)埋(うづ)みしからだ、切腹せし人なれば、血、こぼれ出(い)でて、其血より、もえ出づる火なり。是を『燐火(りんくは)』と申し侍る。よる、見え候は、例の陰火なれば、なるべし。人の血のみにかぎらず、牛馬などを殺せし野原なども、其血のかたまり殘たる處は、かならず、もゆる物なり。さて、其(それ)靜りしは、彼(かの)血も久しくなれば、血の氣(き)つきて、土となる故、おのれと、やむ理なり。さるにより、其血の氣、つきざるうちは、其僧の教化を得ても、止み申さず。あやしき事に侍らず。元より、水火は天地陰陽の精氣にて、分(ぶん)[やぶちゃん注:性質。属性。]のたゞしき物なれば、其(その)有(ある)べき處にあたりては、あらずといふなく、なかるまじき所にあたりては有(ある)事なし。されども、鬼神幽冥の道理なれば、人、悉く其(その)理をわきまふるに及ばず。其(それ)、珍しきに附きて、或は、ばけ物と名附(なづけ)、不思議と云(いへ)り。世界に不思議なし、世界、皆、ふしぎなり」と評せられき。
[やぶちゃん注:俄か禅坊主みたようなこと言ってやがら……
「西寺町」京都府京都市左京区正往寺町にある西寺町通附近であろうか。ここ(グーグル・マップ・データ)。地図を見て戴けば判る通り、東西に寺が林立する。
「同宿」その寺で住持について修行している僧ら。
「住持、きゝつけ、世にあやしき事におもひ、さまざま、經文などかきて弔ひけれども、其しるしなかりし」とあるのだから、住持自身も、噂を聴いただけでなく、その怪火を現認したのである。]