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2018/10/19

古今百物語評判卷之四 第二 河太郞附丁初が物語の事

 

Gawatarou

  第二 河太郞(がはたらう)丁初(ていしよ)が物語の事

一人のいはく、「河太郞とはいかなるものを申(まうし)候哉(や)。某(それがし)が女房の在所、江州野州河(やすがは)の近所にて候が、その河邊(かはべ)に、子供の水をよぎ[やぶちゃん注:ママ。]して居申(ゐまうし)候内(うち)に、折々はみえ申さぬ事御座候を、河太郞のしはざのやうに申しならはし侍る。自らも、おぼれてながれ候はんと存候が、いかなるやらむ」と問(とひ)ければ、先生、評していはく、「河太郞も河瀨(かはをそ)の劫(こう)を經たるなるべし。河獺は正月に天を祭る事七十二候の一つにして、よく、魚をとる獸(けだもの)なり。狀(かたち)、ちいさき狗(いのこ)のごとく、四足(しそく)、みぢかく、毛色は、うす靑ぐろく、はだへは、蝙蝠(かうふり[やぶちゃん注:本巻は「早稲田大学図書館古典総合データベース」にある二種では欠損していて、原典を確認出来ないので、国文学研究資料館公式サイト内電子資料館」古今百物語評判」(お茶大学図書館本)当該頁を視認したが、確かにこうなっている。])のごとしと云へり。此物、變化(へんげ)せしこと、もろこしにもあり。丁初と云(いひ)し者、長塘湖(ちやうとうこ)の堤(つゝみ)を行(ゆき)しに、後(うしろ)より、しきりによぶ聲のおそろしく、身の毛よだちければ、あやしくかへり見るに、容顏(ようがん)たへなる女房、二八(にはち)[やぶちゃん注:十六歳。]あまりにして、靑ききる物を着て、靑き絹がさを、きたり。『いかさまにも變化の物ならん』と、足ばやに逃去(にげさ)りて、猶も、かへり見れば、彼(かの)女房、沼のなかにとび入(いり)て、大きなる河獺となれり。さて、絹がさや、きる物とみしは、蓮(はす)の葉にして、やぶれ散りたると、「太平廣記」にのせたり。これ、獺(をそ)のばけにしためしなれば、太郞も其一門なるべし。太郞といふは河邊に長(ちやう)じたる稱にこそ」と評せられき。

[やぶちゃん注:「河太郎」=河童も、私はかなりのフリークであるので、諸記事は雌河童にキスされた河童の嘴のように腐るほどある。私の電子化した怪奇談記事で最も古い(私の記事で、である)ものでは、「耳囊 卷之一 河童の事」で(「耳囊」には面白い(前のリンクのそれは残念ながら平凡)河童の話がわんさか載る)、変わり種では老女河童みたような報告である「谷の響 一の卷 四 河媼」(「谷の響(ひびき)」も河童関連が多い)、「怪奇大作戦」じゃないが、水棲人間ばりの「譚海 卷之二 下總國利根川水中に住居せし男の事」、水死体の凄絶リアリズムの「北越奇談 巻之一 河伯」などがある。纏まったものでは、「柴田宵曲 妖異博物館」のそれがよい。柴田も河童フリークで、特異的に実に同書で四章を河童に裂いている。「河童の力」「河童の藥」「河童の執念」「海の河童」で、これを通読すれば、まずは君も即席の河童研究家にはなれよう。他にも私は、芥川龍之介の「河童」のオリジナル・マニアック注釈芥川龍之介「河童」決定稿自筆原稿の電子化本文版火野葦平の単行豪華本「河童曼陀羅」の全電子化注など、数え上げれば、枚挙に暇がない。

「江州野州河(やすがは)」滋賀県を流れる一級河川野洲川。琵琶湖南端に南東方向から流れ込む。琵琶湖へ流入する河川の中では最長の長さを持ち、さても「近江太郎」の通称を持つ。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「自らも」問うている話者自身。懐疑主義者であるらしい。勝手に自分で溺れたものと存じますが、と続けている。

「河瀨(かはをそ)」哺乳綱食肉目イタチ科カワウソ亜科カワウソ属ユーラシアカワウソ亜種ニホンカワウソ Lutra lutra nippon 及び北海道産亜種Lutra lutra whileleyi。前者は昭和二九(一九五四)年頃までに絶滅(推定)後者も、昭和三〇(一九五五)年の捕獲を最後に絶滅(推定)した。河童が「河瀨の劫を經たる」ものが成った(獺を妖獣とする認識自体が古くからあり、棲息域の親和性の強さから、事実、獺変じて河童となるとする伝承は多い)のだとすれば、カワウソをヒトが絶滅させたことが明白な今、河童は、もう、いない。というより、河童を滅ぼしたのもヒトであるということだ。

「河獺は正月に天を祭る事七十二候の一つ」太陽の運行を元にした「二十四節気」(中国の戦国時代に季節のずれる太陰暦とは無関係に、季節を春夏秋冬の四等区分する暦のようなものとして考案された区分手法の一つ。太陽が移動する天球上の道である「黄道(こうどう)」を二十四等分したものである。黄道を「夏至」と「冬至」の「二至」で二等分し、さらに「春分」と「秋分」の「二分」で四等分し、それぞれの中間に「立春」・「立夏」・「立秋」。「立冬」の「四立(しりゅう)」を挟んで「八節」とすると、一節は四十五日となり、これを十五日ずつの三等分にすることで「二十四節気」とした)を、さらに約五日ずつで三等分して時候を表したものを「七十二候」と呼び、それをまた、五日ずつで分けて、「初侯」・「次候」・「末候」としたが、さて、「二十四節気」の第二である「雨水(うすい)」(陽気は地上に発して、雪から雨に変わり、根雪が溶け始めるが原義(実際には未だ積雪の只中であるが、『この時節から寒さも峠を越え、衰退し始める』とする解説が参考にしたウィキの「雨水」にはある。形式上の春の兆しのプレ・ポイントで、古くから農耕の準備を始める目安とされてきた)は正月中(通常は旧暦一月の内。現行では二月十九日頃)に始まり、期間としては次の節気である「啓蟄」前日までに当たる。その「雨水」の「初候」は同ウィキによれば、『土脉潤起(つちのしょう うるおい おこる):雨が降って土が湿り気を含む(日本)』とあり、その下に、古来、中国では『獺祭魚(かわうそ うおを まつる):獺が捕らえた魚を並べて食べる』とされたことを指す。所謂、「獺祭(だっさい)」で、これは寧ろ、人農耕開始の予祝行事として祖霊や神を祀って物を並べ供える様子を、獺が捕らえた魚を川岸に並べて祭りをしている見えたことに逆比喩(多くの解説はその逆を言っているのはヒトより永く生き、ヒトに滅ぼされた獺に対し、頗る失礼であると私は真面目に思うのである)した節気象徴の名である。

「狗(いのこ)」元隣は先行でもこのルビをこの漢字にしていて、厄介だ。「狗」なら「犬」、「いのこ」な「猪」。まあ、ここは獺の大きさと牙がないことから、犬或いは「い」ぬ「のこ」の意で採っておく。

「蝙蝠(かうふり)」「かはほり」「かうほり」が普通。近世初期以前には「こうぶり」とも呼んだようである。本邦で、最も一般的に我々に馴染みのそれは、

脊索動物門脊椎動物亜門哺乳綱獣亜綱真獣下綱ローラシア獣上目翼手(コウモリ)目小翼手亜(コウモリ)亜目ヒナコウモリ上科ヒナコウモリ科 Vespertilioninae 亜科 Pipistrellini 族アブラコウモリ属 Pipistrellus 亜属アブラコウモリ Pipistrellus abramus

である。何故なら、日本に棲息する中では唯一の住家性、人の家屋のみを棲み家とするコウモリだからである。私は実際には小学校を卒業して富山の高岡市伏木に移り住んで初めて、夕暮れとともに飛び交うコウモリを初めて見た。それが、彼らであった。

「丁初と云(いひ)し者……」「太平廣記」(小説集。宋の李昉 (りぼう) らの編。全五〇〇巻。九七八年成立)の巻第四百六十八の「水族五」の「丁初」に、

   *

呉郡無錫有上湖大陂、陂吏丁初、天每大雨、輒循堤防。春盛雨、初出行塘、日暮間、顧後有小婦人、上下靑衣、戴靑傘。追後呼、「初掾待我。」初時悵然、意欲留伺之、復疑本不見此、今忽有婦人冒陰雨行、恐必鬼物。初便疾行、顧見婦人、追之亦速。初因急走、去之轉遠。顧視婦人、乃自投陂中、汜然作聲、衣蓋飛散。視是大蒼獺、衣傘皆荷葉也。此獺化爲人形、數媚年少者也。【出「搜神記」。】

   *

とあるが、これはそこにある通り、東晋(三一七年~四二〇年)の干宝が著した志怪小説集「捜神記」の第十八巻が原典である。丁初は「陂吏」とあるから、堤防を管理する下役人で、「天每大雨、輒循堤防」とある通り、物見遊山で歩いていたのではなく、大雨の際の巡視をしていたのである。

「長塘湖」元隣はこれを湖の固有名のように使用しているが、原文の「上湖大陂」は無錫(むしゃく:現在の江蘇省無錫市)にあった上湖(位置や現在の名称(現存すれば)は不明)という湖の大きな「陂」=「塘」=堤(つつみ)の意である。

「絹がさ」「絹傘」。

「太郞といふは河邊に長(ちやう)じたる稱にこそ」太郎が長男の称であることに掛け、年を経たことを暗示させ、さらに彼らが川辺水中での生活に「長じ」ていた、抜きん出ていたことを添えるものであろう。]

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