萩原朔太郎詩集「月に吠える」正規表現版 かなしい遠景
悲 し い 月 夜
[やぶちゃん注:パート標題(左ページ。その右ページは前の「焦心」の末尾)。その次の次の左ページに、以上の田中恭吉の画稿から採ったこのペン画が現われる(少しだけハイライトを加えて補正した)。やはり前と同じく、赤い肺結核であった恭吉自身の飲んだ後の薬包紙に描いたものと思われる。左右にはローマ字が記されてあるが、上手く判読出来ない。左手は上から「わがみの」「まくろき」「ま*a*oの」「ひらめき」、右手は上から「そこーより」(?)「かげひき」「はてまで」「のぼれ」、か? 右下はローマ数字らしいが、「MCⅨCⅩⅤ」か? これだと「19115」で、或いは「一九一一年五月」とすれば、明治四十四年五月となるが、恭吉の肺結核発症は大正二(一九一三)年で薬包紙使用と齟齬することになる。判読がお出来になられた方は、是非、お教え願いたい。]
かなしい遠景
かなしい薄暮になれば、
勞働者にて東京市中が滿員なり、
それらの憔悴した帽子のかげが、
市街(まち)中いちめんにひろがり、
あつちの市區でも、こつちの市區でも、
堅い地面を堀つくりかへす、
堀り出して見るならば、
煤ぐろい嗅煙草の銀紙だ。
重さ五匁ほどもある、
にほひ菫のひからびきつた根つ株だ。
それも本所深川あたりの遠方からはじめ、
おひおひ市中いつたいにおよぼしてくる。
なやましい薄暮のかげで、
しなびきつた心臟がしやべるを光らしてゐる。
[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「ヽ」。二箇所の「堀」はママ。既に述べた通り、朔太郎の書き癖である。無論、「掘」が正しい。この一篇、プロレタリア詩の中に作者名を伏せて潜ませれば、誰もがそれらしい無名の労働者の詩だ、とその象徴詩の巧妙な罠に気づかずに納得してしまうのではなかろうか?
「五匁」(ごもんめ)は一八・七五グラム。
「にほひ菫」種としては、双子葉植物綱スミレ目スミレ科スミレ属ニオイスミレ Viola odorata。西アジアからヨーロッパ・北アフリカの広い範囲に分布し、バラ・ラヴェンダーと並ぶ香水の原料花として古くから栽培されている。草丈は一〇~一五センチメートル、茎は匍匐して葉は根生、他のスミレ類と同じくハート形。花は露地植えでは四月から五月にかけて咲き、左右相称の五弁花で菫色又はヴァイオレット・カラーと呼ばれる明るい藍色が基本であるが、薄紫・白・淡いピンクなどもあって八重咲きもある。パンジーやヴィオラに比べると花も小さく、花付きも悪いが、室内に置くと一輪咲いているだけで部屋中が馥郁たる香りに包まれるほどの強い香りがある(以上はウィキの「ニオイスミレ」に拠った)。但し、ここは「にほひ菫」という可憐な呼称が喚起する、幻想植物と採るべきところであろう。
初出は『詩歌』大正四(一九一五)年一月号であるが、標題が異なり、単に「遠景」とする。「かなしい」が「哀しい」、「それらの憔悴した帽子のかげが、」は「それらの憔悴した紫色の顏が、」で、「市街(まち)」は「巷街(まち)」、「ひろがり」は「ひろごり」、「あつち」と「こつち」には傍点「ヽ」が附され、「ひからびきつた」は「干(ひ)からびきつた」で同行末「根つ株だ。」は「根つ株だ、」と読点になっている。また、最後の二行は大きく改変され、
*
東京市中いちめんにおよんで、
空腹の勞働者がしやべるを光らす。
*
となっている。初出全形は既に「遠景 萩原朔太郎(「かなしい遠景」初出)」で電子化しているので参照されたい。
なお、筑摩版「萩原朔太郞全集」第一巻の『草稿詩篇「月に吠える」』には、本篇の草稿として『かなしい遠景(本篇原稿六種六枚)』としつつ、一篇の無題がチョイスされて載る。以下に示す。表記は総てママである。太字は底本では傍点「﹅」。
*
○
東京市中の勞働者、
光るしやつぽの勞働者、
市中いつぱいにひろごりひろごりかたい地面を堀りかへす
みんなそろつて、
えんやらやつと土地を堀る、
あつちでもこつちでも町いちめんに堀つくりかへす
堀りあげて見たら、
すすぐろい嗅煙草の銀紙だ、
にほひ菫のしなびた根株だ、
くもり日の疲れきつた空□の哀しい心で心で
夕ぐれどきの疲れきつたこころで、
遠い勞働者がしやべるを光らす。
*
編者注があり、『別稿では「(東京遊行詩扁、3)」と附記されている。』とある。]
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