萩原朔太郎詩集「月に吠える」正規表現版 貝
貝
つめたきもの生れ、
その齒はみづにながれ、
その手はみづにながれ、
潮さし行方もしらにながるるものを、
淺瀨をふみてわが呼ばへば、
貝は遠音にこたふ。
[やぶちゃん注:初出は『卓上噴水』大正四(一九一五)年五月発行に掲載。初出形は、は以下。
*
貝
つめたきものうまれ
その手は水にながれ
齒はながれ
潮(しほ)さし行方もしらにながるるものを
淺瀨をふみてわがよべば、
貝は遠音(とほね)にこたふ。
*
なお、筑摩版「萩原朔太郞全集」第一巻の『草稿詩篇「月に吠える」』には、本篇の草稿として『貝(本篇原稿三種三枚)』とし、二篇が載る。以下に示す。表記は総てママである。
*
貝
つめたきもの生れ
その手は水にながれ
その齒は砂にながれ
しほさし
遠瀨州にかくれ
淺州
貝
つめたきもの生れ
その手は水にながれ
砂□□□□
齒は砂にながれ
足はしほさしゆくえをしらにながるゝもの
貝の□□□□いのりを
□□の
あさりはまぐりの貝せをわたりふみてしばしきく
遠音に貝のいのるをきくばかり
*]
[やぶちゃん注:前掲の「貝」末尾の二行が見開きの八十八ページ(右)、その左に田中恭吉の強烈な(と私は感じる)一枚「懈怠」が配されてある。生誕百二十年記念として和歌山県立近代美術館で催された「田中恭吉展」の「出品目録」(PDF)よれば、この元画は「シリーズ「心原幽趣I」の「XII 懈怠」で、大正四(一九一五)年二月二十六日の作(インク・彩色、紙)とある。既に挿絵目次で既注であるが、再掲すると、「けたい」或いは「けだい」と読み、原義は仏道修行に励まぬこと、怠り怠けることを指す。]
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