萩原朔太郎詩集「月に吠える」正規表現版 龜
龜
林あり
沼あり、
蒼天あり、
ひとの手にはおもみを感じ
しづかに純金の龜ねむる、
この光る、
寂しき自然のいたみにたへ、
ひとの心靈(こゝろ)まさぐりしづむ、
龜は蒼天のふかみにしづむ。
[やぶちゃん注:「ひとの手にはおもみを感じ」の後に読点がないのはママ。初出には読点があり、全集も読点を打つが、「月に吠える」の再版でも「蝶を夢む」でも読点はないから、私は従わない。初出は『地上巡禮』大正四(一九一五)年一月号であるが、最後に『――十二月作――』のクレジットが入る。「ねむる」が「眠る」、「いたみ」が「傷(いた)み」、「耐へ」が「耐え」(「え」は「江」の崩し字)、ルビの「こゝろ」が「こころ」であるだけで、変更はない。
なお、筑摩版「萩原朔太郞全集」第一巻の『草稿詩篇「月に吠える」』には、本篇の草稿として『龜(本篇原稿六種四枚)』として以下四篇総てが載る(但し、三種は無題で、最後が「龜」)。表記は総てママである。
*
○
しだい沼にしづめるもの
わが手掌のうへ、
疾める心臟の底に
龜はしづむ、
沼あり、
蒼天ありひろごるの秋
その、重みを感じて
しだいに沈むところの龜
つちの林中の龜
*
編者注があり、『第一連と第二連との間に大きな餘白があり、一連上部から餘白部分にかけて落書の繪がある。』とある。正直、こんなことを書くより、その写真を、小さくても、ここに挿入した方が、なんぼか、マシやで! あほんだら!
以下、無題二篇と「龜」。
*
○
林あり
沼あり
蒼天あり
その蒼天の重みを感じ
いたみ
ひとの掌(て)のうえには を感じ
重み
ふかみに
龜は 眠り 光り
光るしづかに純金の龜は眠れる
この眠れる もの 龜を
永劫の世界で龜は
樹々の
この眠る
その蒼天風景のいたみを感じ
このひとの心靈にも龜は光るまさぐりしづむ
一疋のこの遠き 村 地上の龜
龜をば指さし、合掌し、
ひとり木ぬれに立ちて心に祈れば
木ぬれに風吹きつれ
生物のうえに水ながれ
このひとの額に秋天ひろごる。
○
林には沼あり
沼には蒼天あり
その蒼天の重みを感じ
ひとの掌のうへには光る龜あり
龜は眠り
永遠にしづみゆく世界にあり
ひとり林に座りていのれば
生物のうへに水ながれ、
ひとの額に秋天ひろごる
龜
林あり
沼あり
蒼天あり
ひとの掌には重みを感じ
しづかに純金の龜眠光る
この眠光る
風景さびしき自然の傷みを感じに耐え
ひとの心靈(こゝろ)にまさぐりしづむ
永遠の
龜は 蒼天の ふかみにしづむ。龜。
穹窿(おほぞら)の
*
最後は「龜は」と「ふかみにしづむ。龜。」の間に、「永遠の」と「蒼天の」と「穹窿(おほぞら)の」の三候補が並置残存していることを示す。]
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