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2018/10/05

古今百物語評判卷之一 第三 鬼と云ふに樣々の説ある事

 

  第三 鬼と云ふに樣々の説ある事

 一人の云(い)へらく、「世に鬼(おに)と申(まうす)物は、ある事に候ふやらむ、又、なく候ふやらん。なき物ならば、もろこしより『鬼(おに)』といふ字も候ふまじ。また、ある物に候はゞ、目に見え侍らん。何ものを『鬼』と申し候ふ。委(くはし)く承りたく侍る」といへば、先生、いへらく、「是れは、よき不審にて侍る。逐一に物がたり申さん。先(まづ)、世界の目に見え、耳にふれ候ふ物は、天地(てんち)も、山川(やまかは)も、草木(くさき)も、水火(みづひ)も、土石(つちいし)も、凡そ、いきとし生ける物、何れも陰陽の二氣に、もるゝ物、なし。是れを『兩儀(りやうぎ)』といふ。その陽の所爲(しわざ)を『神(かみ)』と云ひ、陰のなす所を『鬼(おに)』といふ。されば、物每(ものごと)の『はじまる』と『長ずる』は神にて、『減ずる』と『終る』とは鬼なり。色々の委(くはしき)事、侍れど、百帖の紙にも盡しがたし。さて、人間にいたりては、諸々(もろもろ)のよき事・正しき事は、皆、陽に屬する故に、聖賢君子のたゞしくすぐなる靈を神といふ。我朝にあがむる神道も此外(このほか)ならず。又、もろもろの惡敷(あしき)こと・よこしまなるは、皆、陰に屬する故に、愚癡佞人(ぐちねいじん)のひがみ曲れるたましゐを鬼といふ。餓鬼・疫鬼(やくき)の類(るい)、みな、是れに外ならずと心得へ給ふべし。此靈の、より處なく、祭らるべきかたもなくて、暫(しばらく)天地に流行し、樣々の災(わざはひ)をなすなり。又、鬼魅(きみ)の類といふも、山谷(やまたに)の、こぶかき幽陰の所の、氣のつもりより起(おこ)る物なり。是れ、又、陰の類なり」。又、問(とひ)て云(いふ)、「然らば、鬼と申(まうす)は、或は陰のなすわざ、または、靈(たましひ)の名にて、形のなき物に候ふ哉(や)。地獄の牛頭(ごづ)・馬頭(めづ)・あはうらせつ、又は我朝のむかし、『鈴鹿の鬼』・『大江山の鬼』などは、皆、僞(いつはり)なるや」。答(こたへ)て云ふ、「佛説の鬼と申も、『自業自得果(じごうじとくくは)』と説(とき)侍れば、まよへる罪障にひかれて見る所の名にて、聖賢君子の靈のなれる物に非ず。されば、六道流轉(ろくだうるてん)は心より發(おこ)るによりて、『心の鬼』と申しならはせりとかや。猶も儒家(じゆけ)の誠には、夫(それ)、地獄といふは、天笠(てんぢく)の法(はう)に、科人(とがにん)あれば、地を掘りて居處(ゐどころ)として是れををくを[やぶちゃん注:「置くを」。]、名付けて『地ごく』といふ。其刑罰の法に、舌をぬき、臼にてつき、さまざまの怖しきおきて、あり。さて、又、夜叉・羅刹鬼(らせつき)などいふは、天竺の國の名にして、其地、中國を去(さる)事、遠ければ、人倫をはなれて、おそろしき色々の形あり、と云(いへ)り。かく生(いき)たる人に施こす事なるを、流轉の久敷(ひさしく)、あやまつて、地獄・極樂の説、及び鬼といふ名を立てたり、とも云り。また、立烏帽子(たてゑぼし)・酒典童子(しゆてんどうじ)などは、あながち、人を服(ぶく)するにもあらざるべけれど、おのれが勇力(ゆうりき)を賴み、王法・佛法にそむき、惡を長ぜるを、かく云(いひ)ならはせるにや。爲朝のわたり、俊寬がながされし『鬼が島』など云へるは、たゞ我が國の風俗に非ずして、物の哀(あはれ)をしらざる夷(ゑびす)をいふなるべし。また芥河(あくたがは)のほとりにて、二條のきさきを一口にくひたる鬼は、堀河(ほりかは)の大臣國經(おとゞくにつね)大納言とかや。『鬼こもれりといふは誠か』と讀みしは、しげゆきがいもうとを云へり。共におそろしき名なるべし。淺稻(あさいな)三郞がしうとの鬼は、狂言綺語(きやうげんきご)のたはむれ事、鬼薊・鬼野老(おにどころ)・鬼百合などは、共にたくましき稱たるべし」。

[やぶちゃん注:これはまるまる「鬼神論」であって、最早、怪談ではない。こんな優等生の作文みたようなものを第三条に持ち込んでしまったことが、本格怪談集としての致命傷になった憾みを拭えない。ただ、本書は元隣没後の息子の編集であるから、彼に直接の責任は全くないのである。本書が実は怪談を説くのは比喩で、専ら知性上の啓蒙に目的があったとしても、それでも、私なら、こんな編集はしない。元隣は無能な息子を恨むべきで、それを恨んで息子のところに元隣の亡霊が出て来て無鬼論をぶち上げるという「捜神記」の阮瞻(げんせん)に引っ掛けたフェイクの一話を僕は本「古今百物語評判」の最後に添えてもいいとさえ思っているぐらいなのである。但し、近世初期の怪談が、まずは相応に噂話(実話らしい怪談噺)としてそれなりに出揃ったピークであったと捉えるならば、ただの似通った感じの怪談噺に少し飽きかけていた庶民にとって、こうした在野の博識な御隠居が、知られた実例怪異を例として、それに類型的な中国の伝奇や志怪の先例を掲げ、当時は科学的に見えた陰陽五行説や仏教哲学による擬似論理的解析を行って考証するというのは、明治になって、神霊・鬼神・妖怪を、民俗学的に考察した柳田國男や近代哲学や科学を援用した稀代のゴースト・バスター井上円了の諸著作を垣間見るような新鮮さを感じたものかも知れない。さすれば、思いの外、本「古今百物語評判」は当時は好評を博したとして考えてもよいようにも思われる。二〇〇〇年の現実社会や政治の怪奇性にさえ飽きた未来人である我々は、最早、こうした素朴な感動を心に響かせることが出来なくなってしまったことを哀しく思うべきか。

「もろこしより『鬼(おに)』といふ字も候ふまじ」本邦に鬼神・魑魅魍魎が存在しないのであれば、中国から「鬼」という漢字が入って来ても、使いようがないから、現行、用いているはずがないという主張である。しかしこれもおかしな謂いで、「鬼」は中国語では元来、フラットな「死者」「死者の魂」の意であるから、本邦に定着しないというのは全くの誤りであり、事実、本邦の古代の認識や古い祭祀では、そうした本来の意味の「鬼」がルーツとして厳然としてあったし、今もそれは在る。知っている人には言わずもがなであるが、最初に述べておくと、「鬼」という漢字の本来の意味は「死者」或いは「死者の魂」である。「廣漢和辭典」の解字には『グロテスクな頭部を持つ人の象形』文字『で死者のたましいの意を表す』と記す。しかし私は大学時代に漢文学演習でしごかれ、しかし故に忘れられない畏敬する亡き吹野安先生が、「鬼」という字は死者の顔に、それを覆い隠すための四角い白い布「幎冒(べきぼう)」を被せ、それを縦横に結んで縛った形であると、講義で絵を描いて教えて下さった時のそれが、目から鱗のインパクトであった。同辞典では二番目(①の㋑。㋐は最初に示した意味)に『ひとがみ。人鬼。神として祭られた霊魂。「鬼神」天神・地祇』とし、次(①の㋒)に『不思議な力があると信ぜられるもの。一に聖人の精気を神、賢人の精気を鬼という』とあって、ここまでは非常にフラットな意味である。そこを私は押さえておかないと、中国語に於ける「鬼」概念を踏み誤ることとなると考えている。第四番目に至って、やっと①の㋓で『人に害を与えるもの。もののけ。ばけもの』という邪悪性が示されるのである。ところが、②になると『さとい』『わるがしこい』となり、③では「遠い」の意となるのである。⑧のところで仏教用語として梵語の「プレータ」の漢訳の『餓鬼をいう。飢えて飲食を求める死者。餓鬼道におちた亡者、また夜叉(ヤシャ)・羅刹(ラセツ)など、凶暴な鬼神をいう』とする。これは原型の最初の意味に中国で作られた偽経に基づく複雑怪奇な地獄思想を組み込んだものである。これらの後に国訓しての「鬼」の意として、『想像上の生物。人の形をして角があり、裸で虎の皮のふんどしをしている』と突如くるのである。因みに、これも言わずもがなであるが、何故、角があって虎の皮の褌かと言えば、これは何のことはない、鬼だから鬼門の方角からくるであろうということで、あちらは艮(うしとら)則ち「丑寅」であることから、日本で勝手に「牛の角」と「虎の褌」ということになってしまったに過ぎない。鬼門や十二支やあくまで符牒でしかなく、実在の「鬼」や動物とは無関係なのに、こうした比喩が安易に形成されるのも本邦のお目出度さだと言えば言えると私は思う(高校教師時代、このアホ臭い真相を同僚でさえ案外に知らないのには正直、呆れたほどだ)。また、後の青鬼・赤鬼の肌色や体格は、何人かの法医学者や解剖学者が述べているように、実際の死体が腐敗して変様してゆく過程での、肌の色の変化や腐敗ガスの膨満をリアルに写したものである。

「天地(てんち)も、山川(やまかは)も、草木(くさき)も、水火(みづひ)も、土石(つちいし)も」この読みは原典に従ったが、正直、不徹底さに嫌気がさすのだ。当時のルビを作家が附けていたどうかはよく判らない(因みに、御存じない方が多いので言っておくと、少なくとも、近代作家の多くは原稿にルビは振らなかった(泉鏡花などは別で原稿も総ルビに近い)。どうしてもこう読んで欲しいところだけにしか、振らないのだ。では、誰が振るかって? 編集校正者に決まってるじゃん! だからこそ堀辰雄は第一次芥川龍之介全集でルビ無しを強く主張したのである(結局、それは売り上げに影響するから通らなかった)。だから、ルビは原典・初出・定本を謳った全集(新字体でよく言うわと私は思う)絶対主義なんてのはチャンチャラおかしいんだよ!)が、素人に鬼神論を説く元隣が、音読みをしなかったところは判る。しかし、だったら、最初は「あめつち」だろう!

「兩儀」「易(えき)」に於いて宇宙生成論で使用される二元論的概念。ウィキの「両儀」によれば、『万物の根源である太極から生じた二極』を総て包含した概念で、『その解釈は一様ではないが、天と地だという説と陰と陽だという説がある』。「周易」の「繫辭上傳」に『ある「易有太極 是生兩儀 兩儀生四象 四象生八卦 八卦定吉凶 吉凶生大業」(易に太極あり、これ両儀を生じ、両儀は四象を生じ、四象は八卦を生ず。八卦は吉凶を定め、吉凶は大業を生ず)に由来する。根元の太極から万物を象徴する八卦に至る中間の過程として表れる』。『両儀からは四象が生じるが、その四象は、漢易では春夏秋冬の四季あるいは木火土金水の五行、宋易では陰陽二画の組み合わせ』太陽・少陰・少陽・太陰(それぞれの爻(こう)の組合せはリンク先を参照)『とされる』とある。

「たゞしくすぐなる」「正しく直なる」。

「愚癡佞人」愚かで、口先だけ、巧みに諂(へつら)う心の邪(よこしま)な者。

「疫鬼(やくき)」原典のルビ。「えきき」と読む方が一般的であるが、まあ、疫病神(やくびょうがみ)の語があるからね。疫病を流行らせる悪神。

「あはうらせつ」「あばうらせつ」で「阿傍羅刹」(あぼうらせつ)のことであろう。先の「牛頭・馬頭」と同じく(彼らのことを「牛頭獄卒・馬頭羅刹」とも称する)地獄の獄卒の名である(というより、元は彼らと同一である)。ウィキの「阿傍羅刹」によれば、『現世で悪事をなした人間が地獄に堕ちたとき、彼らによって閻魔のもとにともなわれて行き、百千万歳のあいだ呵責』『をあたえられる』。『阿傍とは「牛頭」(ごず)を差しており』、「五苦章句経」では、『地獄にいる「牛頭人手 両脚牛蹄」の獄卒を阿傍というとあ』り、「大方便仏報恩経」(巻二)などには『「牛頭阿傍」という語が見られ、地獄で亡者を責めている』。「賢愚経」(巻第一)には、『「獄卒阿傍」が様々な地獄の責苦を亡者たちに与えると』、『描写されている』。「法華伝記」(巻九)ではオリジナリティが生まれて、『「阿防夜叉」という語も見える。死んだ者の前には』八『人の阿防夜叉が現われるといい』、三『人は鉄棒(かなぼう)を持ち』、二『人は火車をかつぎ』、残りの三人はそれぞれ『鉄縄』・『神嚢』・『火籠をさげている』とある。但し、『厳密な「阿傍羅刹」という語は仏教における経典にはほぼ登場せず』、『日本における物語や寺社に関する説話などの表現上に例が多く見られる。文学作品での登場も数多いが』、『特殊な役回りがつくことはあまりなく、そこでの役割は地獄などの死後の世界で亡者たちを呵責することがほとんどを占めている。これらが「阿傍羅刹」という熟語表現が日本で普及をしていった淵源となっている』として、以下、「宝物集」・「曽我物語」(真名本巻七)・「曽我物語」(「丸子川の事」)・能「砧」の例を引き、最後に「真田三代記」の三好為三入道の辞世「落ち行けば地獄の釜を踏み破りあほう羅刹に事を欠かさん」を挙げてある。

「鈴鹿の鬼」大嶽丸。伊勢と近江の国境鈴鹿山に住んでいたとされる鬼。文献によっては「鈴鹿山大嶽丸」「大武丸」「大猛丸」などとも表記され、「鬼神魔王」とも称される。山を黒雲で覆って、暴風雨・雷鳴・火の雨を降らせるなどの神通力を操ったとされる。私の老媼茶話卷之四 高木大力」『柳田國男「一目小僧その他」 附やぶちゃん注 ダイダラ坊の足跡 六 鬼と大人と』を参照されたい。

「自業自得果」現行では「自業自得」悪い方にしか用いないが、本来は善悪双方の「業」を原因として起こる結果を「自業自得果」と称する。

「まよへる罪障にひかれて見る所の名にて、聖賢君子の靈のなれる物に非ず」これは前の「自業自得果」半可通な現行の悪のベクトルの一方通行で捉えた誤りである。「聖賢君子の靈のなれる物に非ず」なのではなく、「聖賢君子の靈のなれる」現象を、真逆に「まよへる罪障にひかれて」辿ってしまった結果として「見る所の」「名」としての「鬼」という仮の姿に過ぎない、というべきである。現世の存在は総てが仮のものであるから、仏教的に見れば、「聖賢君子が靈」となるのも、「罪障にひかれて」「鬼」となるのも、結局は「自他一如(じたいちにょ)」とこそいうべきであると私は思う。

「心の鬼」「鬼といひ佛といふも世の中の人の心の外のものかは」という奴ですな、元隣先生。

「地獄といふは、天笠(てんぢく)の法(はう)に科人(とがにん)あれば、地を掘りて居處(ゐどころ)として是れををくを[やぶちゃん注:「置くを」。]、名付けて『地ごく』といふ。其刑罰の法に、舌をぬき、臼にてつき、さまざまの怖しきおきて、あり」こんなルーツは私は聞いたことがないけれど、言われてみると、納得してしまいそう。

「夜叉・羅刹鬼(らせつき)などいふは、天竺の國の名にして、其地、中國を去(さる)事、遠ければ、人倫をはなれて、おそろしき色々の形あり、と云(いへ)り」これも無批判に納得してしまいそう。事実、前者は.釈迦の修行時代の説話を集めた「ジャ—タカ」の一つの「ヴァーラハッサ・ジャータカ」に、夜叉国(やしゃこく)に漂着した商人が、神通力で空を飛ぶ雲馬により救い出されるという話が載り、後者の羅刹国(らせつこく)も三蔵法師玄奘の「大唐西域記」に羅刹女の国として出るもんね。

「かく生(いき)たる人に施こす事なるを」以上の通り、現実に生きている人間に対して行われる処刑法であり、遠い全く文化習慣面相の異なる蛮人の住む、しかし人が行くこともあった実在の国であったのに。

「流轉の久敷」仏教が気の遠くなるような永い時空間をドライヴしてきた結果。

「立烏帽子(たてゑぼし)」その正体が鬼の娘ともされ、先の鈴鹿山に住んでいたと伝承される女性、鈴鹿御前(すずかごぜん)の別名。彼女は女盗賊・女神・天女・第六天魔王もしくは第四天魔王の娘とされ、また、鈴鹿姫・鈴鹿大明神・鈴鹿権現・鈴鹿神女として瀬織津姫(せおりつひめ)などと同一視されて祀られてもいる。室町以降の伝承は、その殆どが坂上田村麻呂伝説に関連しており、坂上田村麻呂と結婚し、子宝にも恵まれたりしている。伝承や文献により、その設定は様々であるが、彼女自身を忌まわしい「鬼」存在とするものは殆んどないのではないかと思われる。但し、ここで元隣は彼女と並列させている酒呑童子を真正の鬼としてではなく、「鬼」と名指されたスポイルされた異人、アウトローとしての盗賊(集団)として認識しているように思われるので特に違和感はない。委細は参照したウィキの「鈴鹿御前」を読まれたい。

「酒典童子(しゆてんどうじ)」丹波国の大江山或いは山城国京都と丹波国の国境にある大枝(老の坂)に住んでいたと伝わる鬼の頭領或いは盗賊の首魁であった酒呑童子は、奈良絵本では「酒典童子」として出、「酒伝童子」などとも書かれる。

「人を服(ぶく)する」盗賊として一般人を襲い、暴威によって支配する。

「爲朝のわたり、俊寬がながされし『鬼が島』など云へる」「爲朝のわたり」は「為朝が渡った所」でそこが「鬼が島」であったと言い伝える島の意。源為朝は伊豆大島に流罪となったが、流されてから十年後の永万元(一一六五)年、鬼の子孫とされる大男ばかりが住む「鬼ヶ島」に渡り、島を「蘆島」と名づけ、大男を一人、連れ帰り、以降、為朝はこの島を加えた伊豆七島を支配したとする伝承がある(ここはウィキの「源為朝」に依る)。同じ話について、ウィキの「鬼ヶ島」では、『鬼が住むとされる島の記述は、古くは』十三『世紀前後』に成立した「保元物語」に『おいて、「鬼島(諸本によって「鬼が島」「鬼の島」)」が文献上に見られ、源為朝が鬼の子孫を称する島人と会話をし』、『「鬼持なる隠蓑』、『隠笠、打ち出の履(くつ)』『」といった神通力を有する宝具を所持していた(が、為朝上陸時点ではなくなっている)ことが説明されている。この鬼ヶ島については、青ヶ島の古名であり、青島に鬼島の伝承があったことを示唆するものとされる』とある。青ヶ島は東京都青ヶ島村で伊豆諸島の八丈島の南方に浮かぶ一島。ここ(グーグル・マップ・データ)。「俊寬がながされし『鬼が島』」は「鹿ケ谷の謀議」の発覚によって真言宗俊寛僧都が流されたのは「鬼界ヶ島」とされ「鬼」がつくことに基づく。但し、この「鬼界ヶ島」がどの島に当たるかは、実はよく判っていない。現在では薩南諸島の、硫黄島(いおうじま:ここ(グーグル・マップ・データ))か、或いは音の通ずる同奄美群島の奄美大島の北部東方沖に浮かぶ「喜界島」(ここ(グーグル・マップ・データ))の孰れかと考えられている。

「芥河(あくたがは)のほとりにて、二條のきさきを一口にくひたる鬼」知られた「伊勢物語」の第六段、通称「芥川の鬼」などと呼ばれたあれ。古文の授業では何度もやったね。

「堀河(ほりかは)の大臣國經(おとゞくにつね)大納言」藤原長良の長男で正三位・大納言の藤原国経。彼は異母弟で、権謀術数を尽くして日本史上初の関白に就任することになる藤原基経に協力して、基経の同母妹で、在原業平と恋愛関係にあったとされる藤原高子(たかいこ)を業平から奪い返し(と「伊勢物語」には記されてある)、清和天皇元服の二年後である貞観八(八六六)年(清和帝は数え十七)に二十五歳で入内させた。

「鬼こもれりといふは誠か」「拾遺和歌集」の「巻第九 雑下」の平兼盛の一首(五五九番歌)、

   陸奥國(みちのくに)名取の

   郡(こほり)黑塚に重之が妹

   あまたありと聞きて言ひ遣(つか)

   はしける

 陸奥(みちのく)の安逹が原の黑塚に鬼こもれりと聞くはまことか

の異形ヴァージョン。ネット上にも散見するが、「言(い)ふ」の形のそれがどの出典かは不詳。本歌は「大和物語」の第五十八段で使用されて、そこでは源重之の妹たちの説話となっている。水垣久氏の「やまとうた」の「千人万首」の彼のページによれば、『源重之(生没年未詳)は清和天皇の皇子貞元親王の孫。従五位下三河守兼信の子。父兼信は陸奥国安達郡に土着したため、伯父の参議兼忠の養子となった。子には有数・為清・為業、および勅撰集に多くの歌を載せる女子(重之女)がいる。名は知れないが、男子のうちの一人は家集』「重之の子の集」を残している。『康保四年』(九六七)『十月、右近将監(のち左近将監)となり、同年十一月、従五位下に叙せられる。これ以前、皇太子憲平親王(のちの冷泉天皇)の帯刀先生(たちはきせんじょう)を勤め、皇太子に百首歌を献上している。これは後世盛んに行なわれる百首和歌の祖とされる。その後』、『相模権介を経て、天延三年』(九七五)『正月、左馬助となり、貞元元年』(九七六)に『相模権守に任ぜられる。以後、肥後や筑前の国司を歴任し、正暦二年』(九九一)『以後、大宰大弐として九州に赴任していた藤原佐理のもとに身を寄せた。長徳元年』(九九五)『以後、陸奥守藤原実方に随行して陸奥に下り、同地で没した。没年は長保二年』(一〇〇〇)『頃、六十余歳かという』とある。「大和物語」の第五十八段は古文と簡潔な注と現代語訳ブログ「趣味の漢詩と日本文学」のこちらがよい。

「共におそろしき名なるべし」これは思うに、「立烏帽子」の「鬼」(の娘)以下、字背となるが、安達が原の「鬼」婆までの、各種の名前や固有地名に出現する「鬼」を指して言っているのであろう。「これらは『鬼』を含んで、或いは、直連想されて、名前ばかりが怖ろしげなまがまがしい「名」となってしまったものと言ってよい」の意と私は採る。

「淺稻(あさいな)三郞がしうとの鬼」よく判らぬが、「狂言綺語(きやうげんきご)のたはむれ事」とあるから(但し、これは「道理に合わない言葉と巧みに飾った言葉の意で、仏教・儒教などの立場から批判的に小説・物語の類を指すのであるが)、これはまさに狂言「朝比奈」等にインスパイアされている「朝比奈地獄破り」伝承を指すか。和田義盛の子で剛腕で知られた朝比奈義秀(安元二(一一七六)年~?)に纏わるもので、彼が見た夢で、地獄の鬼どもを平伏させ、地獄を征服してしまったという、絵本や「ねぶた」の素材とされているもの。ブログ「だるまさんが転んだ!朝比奈地獄破りがよく纏められてある。「しうと」が判らぬが、或いは「宗徒」(しゅうと)で(但し、歴史的仮名遣は「しうと」)、地獄という世界の信者である鬼の謂いか。

「鬼薊」被子植物門双子葉植物綱キク目キク科アザミ属オニアザミ Cirsium borealinipponense。日本固有種で東北地方から北陸地方の日本海側の山地や高山の草地に植生し、岩盤地でもよく耐え、大きな群落を作る。茎の高さは一メートル程まで伸び、葉は深く裂け、縁にある棘は鋭い。花期は六~九月で、頭状花序は筒状花のみで構成されており、強い紫色を呈し、ド派手な草体である。

「鬼野老(おにところ)」単子葉植物綱ヤマノイモ目ヤマノイモ科ヤマノイモ属オニドコロDioscorea tokoro根は強い苦味があり、しかも有毒なアルカロイドを含むため、食べられない。但し、嘗ては灰汁(あく)で煮て、水に晒し、食用としたこともある。根茎は鬼の金棒の短い奴みたような感じに私には見える。

「鬼百合」単子葉植物綱ユリ目ユリ科ユリ属オニユリ Lilium lancifolium花の被片は強く反り返り、橙赤色で濃い色の斑点があり、花粉は暗紫色。花期は七~八月。なかなかに強烈な花貌と私は思う。球根部は百合根として食用にする。

「たくましき稱」上記注の下線部の様態からそれぞれに「鬼」が附くのは、確かに「逞しい」感じのする相応の和名と言えよう。]

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