古今百物語評判卷之二 第六 垢ねぶりの事
第六 垢ねぶりの事
一人のいはく、「『垢ねぶり』といふ物は、ふるき風呂屋にすむばけものゝよし、申せり。尤(もつとも)、あれたる屋敷などにはあるべく聞え候へども、其名の心得がたく侍る」といへば、先生、いへらく、「此名、尤なる義なるべし。凡(およそ)一切の物、其生ずる所の物をくらふ事、たとへば、魚の、水より生じて水をはみ、しらみの、けがれより生じて其けがれをくらふがごとし。されば『垢ねぶり』も、其塵垢(ぢんこ)の氣のつもれる所より化生(けしやう)し、出づる物なる故に、あかをねぶりて身命(しんみやう)をつぐ、必然の理(ことわり)たるべし」と答へられき。
[やぶちゃん注:「垢ねぶり」「垢舐(ねぶ)り」は、かなりメジャーな妖怪(無論、その功労者は水木しげる氏である)「垢嘗(あかなめ)」のこと。ウィキの「垢嘗」によれば、安永五(一七七六)年刊の鳥山石燕の妖怪画集「画図百鬼夜行」(本「古今百物語評判」は貞享三(一六八六)年刊であるから、九十年後のもの)等に出、『風呂桶や風呂にたまった垢を嘗め喰うとされる』。『古典の妖怪画の画図では、足に鉤爪を持つ』、『ざんぎり頭の童子が、風呂場のそばで長い舌を出した姿で描かれている』(リンク先に石燕のそれと、江戸末期の歌川芳員の「百種怪談妖物雙六」の「底闇谷の垢嘗」の二種の画像と、境港市の商店街の「水木しげるロード」に設置されている「あかなめ」のブロンズ像の写真が有る)。『解説文が一切ないため、どのような妖怪を意図して描かれたものかは推測の域を出ないが』、本書「古今百物語評判」には『「垢ねぶり」という妖怪の記述があり、垢嘗はこの垢ねぶりを描いたものと推測されて』おり(以下、本条の梗概訳)、『垢ねぶりとは古い風呂屋に棲む化物であり、荒れた屋敷などに潜んでいるといわれる。当時の科学知識によれば、魚が水から生まれて水を口にし、シラミが汚れから生じてその汚れを食べるように、あらゆる生物はそれが生じた場所にあるものを食べることから、垢ねぶりは塵や垢の気が集まった場所から変化して生まれたものであり、垢を嘗めて生きるものとされている』。『昭和・平成以降の妖怪関連の書籍では、垢嘗もこの垢ねぶりと同様に解釈されている。その解釈によれば、垢嘗は古びた風呂屋や荒れた屋敷に棲む妖怪であり』、『人が寝静まった夜に侵入して』、『風呂場や風呂桶などに付着した垢を長い舌で嘗めるとされる』。『垢を嘗める以外には何もしないが、当時の人々は妖怪が現れるだけでも気持ち悪く感じるので、垢嘗が風呂場に来ないよう、普段から風呂場や風呂桶をきれいに洗い、垢をためないように心がけていたという』。『垢嘗の正体を見た者はいないが、名前の「垢(あか)」からの連想で赤い顔』、『または』、『全身が赤いともいわれる』。『また、「垢」には心の穢れや煩悩、余分なものという意味もあることから、風呂を清潔にしておくというだけではなく、穢れを身に溜めこんではいけないという教訓も含まれているとの説もある』とある。
本条で元隣は、またしてもトンデモ化生説をぶち上げている。まず、彼の「凡(およそ)一切の物、其生ずる所の物をくらふ事、たとへば、魚の、水より生じて水をはみ」という部分で、この前の部分を好意的に、卵生の魚類が、その生れ出た水中に於いて水(に含まれたプランクトンや雑魚)を食い、と正当に解釈することも可能であるが、魚類は卵生でありながら、彼はこれを「化生」(魚の大元は何もない水中に突如出現する)と認識していることが見てとれ、それは併置された虱(しらみ)が、「けがれより生じて其けがれをくらふ」としている点で、好意的解釈は無化されてしまう。魚類が化生ではなく、雌雄が存在して生ずるところの卵生であるという認識は当時としても、かなり当たり前(但し、鰻が山芋から化生したりするというような化生認識はあった。しかし、元隣先生は、恐らく、それらを否定するのではるまいかとも思われる)のことである。ただ、卵生であるという見かけ上の認識がありながら、それでも「けがれ」(穢れ)から突如、化生するのが虱だというトンデモ認識は、実は、かの「和漢三才図会」(正徳二(一七一二)年頃の完成。本「古今百物語評判」から二十六年後)を書いた博物学者で医師の寺島良安にさえあったことは事実である。詳しくは私の「和漢三才圖會卷第五十二 蟲部 蝨」(シラミの項)を見られたいが、そこで良安は『虱、始め、氣化に由りて生じ、後には乃ち、卵を遺し、蟣(きささ)を出だす』とあるからである。「蟣」は、「和名類聚抄」に出る、古語としての「虱の卵」のことである。則ち、良安はまず、何もない、汚れた場所に於いて、「氣化に由りて」(気が変ずることによって)、まず、突如、虱の親が「生じ」、而して後には、おもむろに卵を産むのだ、だから「化生」だと考えているのである。]
« 古今百物語評判卷之二 第五 うぶめの事附幽靈の事 | トップページ | 古今百物語評判卷之二 第七 雪隱のばけ物附唐の李赤が事 / 古今百物語評判卷之二~了 »