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2018/10/24

古今百物語評判卷之四 第五 鵼の事附弓に聖人の遺法ある事

 

  第五 鵼(ぬえ)の事弓に聖人の遺法ある事


Nue


又いはく、「鵼といふ物は深山(みやま)幽谷(ふかきたに)にすめる化鳥(けてう)なり。源三位賴政、あし手は虎のごとき獸(けだもの)のとび來たりしを射て、後(のち)、また、誠(まこと)の鵼を射し事、「平家物語」に見えたり。又、廣有(ひろあり)が怪鳥を射し事、「太平記」にあり。「徒然草」に鵺(ぬえ)のなく時、招魂の法を行ふ事、眞言宗の書にみえたるよしを云へり。いかさまにも妖怪をなすものならし。かやうのあやしきたぐひ、多(おほく)は蟇目(ひきめ)のおとに恐れ、又、しとむるも、かならず、弓箭(ゆみや)のわざなるは、古老の説に、凡そ、もろもろの器(うつはもの)は、聖人の手より始まるとは申せども、大やうは、其形、變じ、さまかはりて、觚(こ)も觚ならずのたぐひなるに、この弓ばかり、猶、いにしへの制法にたがはず、聖人の作爲(さくゐ)のまゝなる故、鵼にかぎらず、狐狸豺狼(こりさいらう)のるいまで、此音(おと)を恐るゝと見えたり」と申されき。

[やぶちゃん注:「平家物語」の「源三位(げんさんみ)賴政」の鵺(ぬえ)退治については、既に「柴田宵曲 續妖異博物館 化鳥退治」の私の注で原典を電子化し、詳細な注も附してあるのでそちらを見られたい。但し、そこでも注意を喚起したが、「平家物語」で語られる妖怪は、あくまで「鵺の声で鳴く」「得体の知れないもの」であって、名前はついていなかったことは知っておく必要がある(但し、百二十句本(平仮名本)「平家物語」のみに「五海女(ごかいじょ)」という不思議な名が記されてはある)。則ち、実在する鳥としての「ぬえ」(鳴き声から不吉な鳥とはされていたが、スズメ目ツグミ科トラツグミ属トラツグミ Zoothera dauma とするのが定説である。nagagutsukun2氏のYou Tube の音声)ではない、ハイブリッドのキマイラ的実体妖獣の名としての「鵼・鵺」は、この頼政が退治した時点では未だつけられていなかったということである。

『廣有(ひろあり)が怪鳥を射し事、「太平記」にあり』「太平記」巻第十二の「廣有、怪鳥を射る事」。以下に全文を示す(参考底本は新潮日本古典集成版。但し、漢字を恣意的に正字化した)。

   *

 元弘三年[やぶちゃん注:一三三三年。同年五月二十一日に鎌倉幕府は滅亡している。]七月に改元あつて建武に移さる。これは後漢の光武、王莽(わうまう)が亂を治めて再び漢の世を繼がれし佳例なりとて、漢朝の年號を模(うつ)されけるとかや。今年、天下に疫癘(えきれい)あつて、病死する者、はなはだ多し。これのみならず、その秋の頃より、紫宸殿の上に怪鳥(けてう)出で來たつて、「いつまで、いつまで」とぞ鳴きける。その聲、雲に響き、眠りを驚かす。聞く人、皆、忌み恐れずといふ事無し。すなはち、諸卿、相議(あひぎ)していはく、「異國の昔、堯(げう)の代に、九つの日、出でたりしを、羿(げい)といひける者、承つて、八(やつ)つの日を射落せり。我が朝のいにしへ、堀川(ほりかはの)院の御在位の時、變化(へんげ)の物あつて、君を惱ましたてまつりしをば、前(さきの)陸奧守義家、承つて、殿上の下口(したぐち)に候(こう)し、三度(さんど)、弦音(つるおと)を鳴らしてこれを鎭(しづ)む。また、近衞(このゑの)院の御在位の時、鵺(ぬえ)といふ鳥の雲中に翔(かけ)つて鳴きしをば、源三位(げんざんみ)賴政卿(きやう)、勅をかうむつて、射落したりし例あれば、源氏の中(なか)に誰(たれ)か射候ふべき者ある」と尋られけれども、射はづしたらば、生涯の恥辱と思ひけるにや、われ承らんと申す者、無かりけり。

「さらば、上北面(じやうほくめん)・諸庭(しよてい)の侍(さぶらひ)どもの中(ちゆう)にたれかさりぬべき者ある」と御尋ねありけるに、「二條(にでうの)關白左大臣殿の召し仕はれ候ふ隱岐(おきの)次郞左衞門廣有と申す者こそ、その器(き)に堪へたる者にて候へ」と申されければ、「やがてこれを召せ」とて、廣有をぞ召されける。廣有、勅定を承つて、「鈴の間」[やぶちゃん注:清涼殿の南の「天上の間」のこと。ここには蔵人が小舎人を呼び寄せるのに使用する鈴の繩が引き込まれていたことから呼称であろう。]の邊に候ひけるが、げにも、この鳥、蚊の睫(まつげ)に巢食ふなる蟭螟(せうめい)[やぶちゃん注:蚊の睫毛に巣を作り、そこで子を生むという想像上の微細な虫の名。私の「和漢三才圖會卷第五十三 蟲部 蚊(か) 附 蚊母鳥(ヨタカ?)」を参照されたい。]の如く小さくて、矢も及ばず、虛空の外に翔(かけ)り飛ばば、叶ふまじ。目に見ゆる程の鳥にて、矢懸かりならんずるに[やぶちゃん注:矢の届く範囲内にいるのであれば。]、何事ありとも射外はづすまじき物をと思ひければ、一義も申さず、畏つて領掌(りやうじやう)す。すなはち、下人に持たせたる弓と矢とをとり寄せて、孫廂(まごひさし)の陰に立ち隱れて、この鳥の有樣を伺ひ見るに、八月十七夜の月、殊に晴れわたつて、虛空、淸明たるに、大内山(おほうちやま)[やぶちゃん注:内裏の異名。]の上に黑雲(くろくも)一群(ひとむら)懸かつて、鳥鳴くこと、しきりなり。鳴く時、口より火炎を吐くかと覺えて、聲の内より、いなびかりして、その光、御簾(ぎよれん)の内へ散徹(さんてつ)す。廣有、この鳥の在所(ありか)をよくよく見おほせて、弓押し張り、弦(つる)くひしめして[やぶちゃん注:「喰ひ濕めして」。口に含んで唾で湿らせて伸びを良くさせ。]、流鏑矢(かぶらや)を差し番(つが)ひて立ち向へば、主上は南殿に出御成つて叡覽あり。關白殿下・左右(さう)の大將・大中納言・八座(はちざ)[やぶちゃん注:参議の異名。]・七辨[やぶちゃん注:太政官所属の弁官。実務級高官。]・八省輔(はつしやうふ)[やぶちゃん注:太政官に所属した八つの中央官庁の輔(すけ)。次官。]・諸家(しよけ)の侍、堂上(たうしやう)堂下(たうか)に袖を連ね、文武百官これを見て、『いかがあらんずらん』と固唾(かたづ)を呑うで手を拳(にぎ)る。廣有、すでに立ち向つて、弓を引かんとしけるが、いささか思案する樣(やう)ありげにて、流鏑(かぶら)にすげたる[やぶちゃん注:附けておいた。]雁股(かりまた)を拔いて打ち捨て、二人(ににん)張りに十二束(つか)二伏(ふたつぶせ)[やぶちゃん注:拳(こぶし)十二握りの幅に指三本の幅を加えた長さの矢。]、きりきりと引き絞りて、左右(さう)無く[やぶちゃん注:直ぐには。]これを放さず、鳥の鳴く聲を待ちたりける。この鳥、例より飛び下(さが)り、紫宸殿の上に二十丈許りが程に[やぶちゃん注:約六十メートル六十センチ上空。]鳴きけるところを聞きすまして、弦音(つるおと)高く「ひやう」ど放つ。鏑(かぶら)、紫宸殿の上を鳴り響かし、雲の間(ま)に手答へして、何とは知らず、大盤石(だいばんじやく)の落ちかかるが如く聞えて、仁壽殿(じじゆでん)の軒の上より、ふたへに[やぶちゃん注:二重に折れ曲がって。]竹臺(たけのだい)[やぶちゃん注:竹の囲いの意であるが、ここは仁寿殿の西、清涼殿との間に南北にある呉竹(北)か河竹(南)のそれである。]の前へぞ落ちたりける。堂上堂下一同に、「あ、射たり、あ、射たり」と感ずる聲、半時(はんじ)[やぶちゃん注:一時間。]許りののめいて[やぶちゃん注:騒ぎ立てて。]、しばしは言ひやまざけり。衞士(ゑじ)の司(つかさ)に松明(たいまつ)を高く捕らせてこれを御覽ずるに、頭(かしら)は人の如くして、身は蛇(じや)の形なり。嘴(くちばし)の先、曲つて、齒鋸の如く生(お)ひ違(ちが)ふ。兩の足に長きけづめあつて、利(と)きこと、劍(けん)の如し。羽先(はさき)を延べてこれを見れば、長さ、一丈六尺なり[やぶちゃん注:約四メートル八五センチメートル。]。

「さても廣有射ける時、にはかに雁俣を拔いて捨てつるは何ぞ」と御尋ねありければ、廣有、かしこまつて、「この鳥、御殿の上にあたつて鳴き候ひつるあひだ、つかまつて候はんずる矢の落ち候はん時、宮殿の上に立ち候はんずるがいまいましさに[やぶちゃん注:不都合かと存じ。]、雁俣をば拔いて捨てつるにて候ふ」と申しければ、主上、いよいよ叡感あつて、その夜、やがて、廣有を五位に成され、次の日、因幡國(いなばのくに)に大庄(だいしやう)二箇所、賜はりてんげり。弓矢取りの面目(めんぼく)、後代までの名譽なり。

   

『「徒然草」に鵺(ぬえ)のなく時、招魂の法を行ふ事、眞言宗の書にみえたるよしを云へり』「徒然草」第二百十段。

   *

「喚子鳥(よぶこどり)は春のものなり」とばかり言ひて、いかなる鳥とも定(さだ)かに記せるものなし。或る眞言書(しんごんしよ)の中(うち)に、喚子鳥鳴く時、招魂の法をば行ふ次第あり。これは鵺(ぬえ)なり。万葉の長歌(ながうた)に、「霞立つ長き春日の」などつづけたり。ぬえ鳥もよぶこ鳥のことざまに通いて聞ゆ。

   *

・「いかなる鳥とも定(さだ)かに記せるものなし」「春のものなり」ならホトトギス(カッコウ目カッコウ科カッコウ属ホトトギス Cuculus poliocephalus)であるが、それならそうと書くであろう。これを真正の「郭公」(カッコウ目カッコウ科カッコウ属カッコウ Cuculus canorus)とする説などもある。

・「招魂の法」死者の魂を呼ぶ密教の修法らしいが、兼好の言う「眞言書」が不明であるのでよく判らぬ。

・「ぬえ鳥もよぶこ鳥のことざまに通いて聞ゆ」とは「以上の歌を読んでみるに、これでは「鵺」も「喚子鳥」も同じ鳥を指している様子に聞こえる」の意。

・「万葉集」の長歌(ちょうか)とは、巻一の「雜歌(ざふか)」の一首(五番。六番の反歌と附帯する評語も添える)、

   *   *

   讚岐國安益郡(あやのこおり)に

   幸(いでま)しし時に、

   軍王(いくさのおおきみ)の、

   山を見て作れる歌

 霞立つ 長き春日の 暮れにける わづきも知らず 村肝(むらきも)の 心を痛み 鵺子鳥(ぬえこどり) うらなけ居(を)れば 玉襷(たまだすき) 懸けのよろしく 遠つ神 わご大王(おほきみ)の 行幸(いでまし)の 山越す風の 獨り居る わが衣手(ころもで)に 朝夕(あさよひ)に 返らひぬれば 大夫(ますらを)と 思へるわれも 草枕 旅にしあれば 思ひ遣る たづきを知らに 網(あみ)の浦の 海處女(あまをとめ)らが 燒く鹽の 思ひそ燒くる わが下ごころ

    反歌

 山越しの風を時じみ寢(ね)る夜(よ)おちず家なる妹(いも)を懸けて偲(しの)ひつ

右、「日本書紀」を檢(かむが)ふるに、讚岐國に幸(いでま)すこと無し。また、軍王も未だ詳らかならず。但し、山上憶良大夫(まへつかさ)が「類聚歌林(るいじゆかりん)」に曰はく、「紀[やぶちゃん注:原文は「記」であるが、以下は「日本書紀」なので恣意的に訂した。]に曰はく、『天皇[やぶちゃん注:舒明天皇。]十一年己亥(きがい)冬十二月己巳(きし)の朔(つきたち)壬午(じんご)、伊豫の溫-湯(ゆ)[やぶちゃん注:現在の道後温泉。]の宮に幸(いでま)』といへり。一書(あるふみ)に云はく、『是の時、宮の前に二つの樹木、在ろ。この二つの樹に斑鳩(いかるが)・比米(ひめ)の二つの鳥、さはに集まれり。時に勅(みことのり)して、多く稻穗を掛けてこれを養ひたまふ。すなはち、作れる歌』といへり」といへり。けだし、ここより便(すなは)ち幸ししか。

   *   *

以下、講談社文庫中西進氏の注を一部参考にして語注を附す。

・「讃岐國安益郡」現在の香川県綾歌郡の東部。その北の現在の高松市国分寺町に国府があった。

・「軍王」伝不詳。

・「わづきも知らず」何となく。

・「村肝(むらきも)の」「心」の枕詞。

・「鵺子鳥(ぬえこどり)」「うらなく」(自然に泣けてしまう)の形容であって、鵺子鳥が実際に鳴いているのではない。

・「玉襷(たまだすき)」「懸け」の枕詞。

・「懸けのよろしく」優しいことでも言いかけるように、口にするのも立派な。「遠つ神 わご大王(おほきみ)の」への尊称的形容であろう。

・「たづきを知らに」憂いを消す術(すべ)もなく。

・「網(あみ)の浦」香川県坂出市の海岸。

・「下ごころ」心の底。

・「時じみ」定まった時がないことで、常時の意。絶え間なく。

・「おちず」欠かさず。

・「斑鳩(いかるが)」スズメ亜目スズメ小目スズメ上科スズメ目アトリ科イカル属イカル Eophona personata

・「比米(ひめ)」アトリ科 Carduelinae 亜科 シメ属シメ Coccothraustes coccothraustes

   

「いかさまにも」どうみても。確かに。

「ならし」連語(断定の助動詞「なり」の未然形に推量の助動詞「らし」の付いた「なるらし」の転)で、近世文語では、本来の推量の意味が薄まり、断定を和らげた表現として用いる。「であるようである」。

「蟇目(ひきめ)」弓を用いた呪術。「蟇目」とは朴(ほお)又は桐製の大形の鏑(かぶら)矢。犬追物(いぬおうもの)・笠懸けなどに於いて射る対象を傷つけないようにするために用いた矢の先が鈍体となったものを指す。矢先の本体には数個の穴が開けられてあって、射た際にこの穴から空気が入って音を発するところから、妖魔を退散させるとも考えられた。呼称は、射た際に音を響かせることに由来する「響目(ひびきめ)」の略とも、鏑の穴の形が蟇の目に似ているからともいう。私の「耳囊 卷之三 未熟の射藝に狐の落し事」及び同じ「耳囊」の「卷之九 剛勇伏狐祟事」や「卷之十 狐蟇目を恐るゝ事」の本文や私の注をも参照されたい。

「もろもろの器(うつはもの)」諸器具。諸道具。

「聖人」古えの聖王や創造神を指すか。因みに、本邦の古神道では弓は天照大神・武甕槌神(たけみかづちのかみ)・経津主神(ふつぬしのかみ)が創造のルーツに挙げられるようである。

「大やうは」殆んどの物は。

「觚(こ)」古代中国に於いて儀式に用いられた大型の酒器。細い筒形の胴に朝顔状に開いた口縁と足とが附く。

「豺(さい)」山犬。凶暴な野犬。]

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