ブログ1150000アクセス突破記念第一弾 《芥川龍之介未電子化掌品抄》 對米問題
[やぶちゃん注:芥川龍之介が第一高等学校時代(明治四三(一九一〇)年九月十三日入学~大正二(一九一三)年七月一日卒業)に書いたものという以外の書誌的情報はない。但し、冒頭にカリフォルニア州に於ける排日運動の問題が挙げられていることは、一つのヒントにはなろう(但し、執筆年を限定することは難しい)。ウィキの「排日運動」によれば、『アメリカにおける日本人移民排斥は,カリフォルニア州を中心とする太平洋岸に』四千『人程度の日本人が移住しているにすぎない』一八九〇『年代にすでに始まっていた』。『主な原因は、人種差別と経済的理由』であったとし、一八八二年に『東洋系移民に対する差別法の端緒』となる「中国人排斥法」の施行により、『アメリカへ入国できなくなった中国人に代わって、日本人移民が増え始め』たが、一九〇〇年には『カリフォルニア州で日系人の漁業禁止法が提案され』、一九〇四年には「中国人排斥法」に『日本人と韓国人を加えるよう』、『動議され』ている。一九〇五年に「日露戦争」が終結すると、『有色人種の東洋人である日本が西洋人に勝利したことにより、以前からくすぶっていた黄禍論が西洋社会を席巻』し、「アジア人排斥同盟」が結成されたりした。一九〇六年には『日本を仮想敵国とした』「オレンジ計画」(将来、起こり得る日本との戦争へ対処するためにアメリカ海軍が策定した戦争計画。「カラー・コード戦争計画」の一つであり、これ自体は交戦可能性のある全ての国を網羅し、それぞれ色分けされ計画されたもので、日本だけを特別敵視していたわけではない。ここはウィキの「オレンジ計画」に拠った)が開始され、また、同年には『サンフランシスコ教育委員会が中国人と同様に、日本人と韓国人にも学生隔離命令(白人から離し、集中隔離する差別措置)を出』している。一九〇七年、『サンフランシスコで反日暴動』が発生、『日本人移住者が多かった同市とロサンゼルスは排日の本場となり』、「漁業禁止法」や『修学拒否など』、『さまざまな日系人排斥運動が勃発』、メキシコ・ハワイ・カナダ在住の『日本人のアメリカ本土入国』が『禁止』される。一九〇八年に交わされた「日米紳士協定」に『より、日本はごく少数を除き』、『米国への移民を禁止』する代わりに、『アメリカ側は排日法案を作らないことを約束』した。なお、『同年秋、世界一周を名目に、アメリカの海軍力を誇示するため』、『艦隊グレート・ホワイト・フリートで日本に来航し、威嚇』している。そうして、一九一三年にはアメリカは先の「紳士協定」を『破り』、「排日土地法」を『発令。日本人を帰化不能外国人と』してしまった。仮に最後の「排日土地法」の発令と同期させるとなると(一高卒業の年)、龍之介の口調はより具体的、よりきついものとなるはずであるから、本作は少なくとも一九一〇年九月から一九一二年の間(龍之介十八から二十歳)に書かれたものと考えてよかろうとは思う。また、「最吾人に近接せる文藝の方面」という部分からは、その前期をカットした閉区間をも考えてよいとも思っている。ともかくも何らかの授業の作文であったとしても、しっかりした個我を持った、自立した思想に基づく主張である。
底本は一九六七年岩波書店刊葛巻義敏編「芥川龍之介未定稿集」の「初期の文章」に載るものに拠った。一部の語句に文中で簡単な注を附した。
なお、本電子テクストは、2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが1150000アクセスを突破した記念の第一弾として公開した。【2018年10月22日 藪野直史】]
對米問題
對米問題は事案に於て、又對歐問題也。吾人は、過般來太平洋の封岸に於て行はれたる、急激なる排日運動の中に、單に日本對加州の問題に止らず、日本對全歐米の問題にすべき或物の伏在するを認めざる能はず。或は之を呼んで人種的偏見と云ひ、或は黃禍論的臆斷と云ふ。亦以て其一面を現すに足るものありと雖も、吾人は其啻に[やぶちゃん注:「ただに」。]白人の偏見のみならず、黃人の國家的品位が、白人のそれに比して著しく下等なるも亦、此問題の根底に橫はる、大なる因數の一たるを信ぜざる能はず。
吾人は到底、維新前後の捷夷家の如く、日本の神國たる所以を以て、世界の列國は當然我に劣る、霄壞[やぶちゃん注:「しやうじやう(しょうじょう)」は「天と地」、転じて天地のように大きな隔たりのあること、大差のあることの喩え。「雲泥」に同じい。]の差あるものと盲信する能はず。又、無邪氣なる帝國主義者の如く、我國に不利なるものは悉[やぶちゃん注:「ことごとく」。]人道に違反するものにして、我國に有利なるものは悉、天下の公道に一致するものなりとの盲斷を下す事を得ず。從つて對米問題に於ても亦、加州人士の運動が一面に於て甚無理なきを感ぜざる能はざる也。吾人は常に現代の日本を憐まざるを得ず。こは如何なる愛國的熱情を以てするも、到底認めざるを得ざる事實なり。經濟情態に於ても文化の程度に於ても日本の如く窮迫せられ、日本の如く貧窮なる國家は、恐らく他に類を見ざる所なる可し。
金融の逼迫せるは猶忍ぶ可し。文化の幼稚なるも亦已むを得ざるものあらむ。されど日本をして最も列國の嗤笑[やぶちゃん注:「しせう(ししょう)」。嘲(あざけ)り笑うこと。]を招かしむるものは、日本の社會を通じて一般人士の道德的意識が極めて低き水準を保ちつゝあるの一事に存するものの如し。是亦吾人が認むるを喜ばざる、しかも遂に認めざるを得ざる事實也。其實例を求めむ乎、吾人は殆之を指摘するの繁に堪へざらむとすと雖も、試に最吾人に近接せる文藝の方面を一瞥せよ。吾人は隨所に、何等内部の衝動を感ぜずして低級なる享樂に耽溺せる者を見む。是等の和製デカダンは、泰西文明の輸入より來れる生活欲の膨漲が、本來の道義欲を破壞したる好個の實例にして、同時に又、自己内心の要求に耳を傾くるの餘裕なく、遽々然[やぶちゃん注:「きよきよぜん(きょきょぜん)」。俄かに。急に。突如。]として遲れざらむ事を維[やぶちゃん注:「これ」。強調。]努むる輕薄皮相なり。日本の文明が、僅に産出し得たる、憫笑すべき動物也。
既に對米問題が實は對白人問題なるを云ひ、對白人問題の根底に存するものが白人の偏見以外に、日本の社會的缺陷(經濟上及道德上)なるを云ふ。吾人は此問題に對する解決の決して區々たる[やぶちゃん注:取るに足りないさま。]權利義務の問題に存せざるを信ぜざる能はず。何となれば、對米問題を惹起せるは死したる紛爭にあらずして、生ける白人對日本の國家品位の差異にあるを以て也。吾人が各人個々の修養によりて向上の一路を辿らざる可らざるは單に個人人格の陶冶の爲のみならず、又實に國家としての日本をして、其權利を主張するを得しむべき、唯一不二の手段也。吾人は徒に[やぶちゃん注:「いたづらに」。]劍を舞はして倣語[やぶちゃん注:「はうご(ほうご)」。誰かの真似事を言いつらうこと。]する壯士の愚を學ぶ能はず、又策士の妄に[やぶちゃん注:「みだりに」。]舌を弄し計[やぶちゃん注:「はかりごと」。]を用ふるを陋なり[やぶちゃん注:賤しい。]とす。啻に是等の爲す所を卑むのみならず、其[やぶちゃん注:「それ」。以下同じ。]途に爲す無きを信ずる也。其遂に爲す無きを信ずるのみならず、其反て[やぶちゃん注:「かへつて(かへって)」。]國家に大害を與へむを惧るゝ也。
吾人豈、太平洋對岸の同胞に同情する、人後に落る者ならむや。豈加州排日案の凌辱に憤らざらむ者ならむや。然れども、吾人は深く、其救濟を爲すの、道德的水準を[やぶちゃん注:底本ではここに編者葛巻氏の『〔この間原稿欠〕』という注がある。]る外に道なきを信ず。願くは默して爲すべきを爲さん。
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