萩原朔太郎詩集「月に吠える」正規表現版 陽春
陽 春
ああ、春は遠くからけぶつて來る、
ぽつくりふくらんだ柳の芽のしたに、
やさしいくちびるをさしよせ、
をとめのくちづけを吸ひこみたさに、
春は遠くからごむ輪のくるまにのつて來る。
ぼんやりした景色のなかで、
白いくるまやさんの足はいそげども、
ゆくゆく車輪がさかさにまわり、
しだいに梶棒が地面をはなれ出し、
おまけにお客さまの腰がへんにふらふらとして、
これではとてもあぶなさうなと、
とんでもない時に春がまつしろの欠伸をする。
[やぶちゃん注:「さかさにまわり」の「まわり」はママ。太字「ごむ」と「へん」は底本では傍点「ヽ」。初出は『ARS』大正四(一九一五)年五月号。初出は、一行目の「ああ」の後の読点がなしで「春は」以下に連続すること、その下の「けぶって來る」の「來る」が「くる」であること、「をとめ」が「おとめ」、「遠く」が「とほく」、その下の「のつて來る」の「來る」が「くる」、「景色」が「けしき」、「はなれ出し」が「はなれだし」である以外は変わらない。それにしても、正字統一主義を貫いている筑摩書房版校訂本文の「欠伸」のままなのは面白いねえ、そうさ、多くの作家は「あくび」として書く場合に「缺伸」と書かずに、「欠伸」と書くんだけどねえ、それじゃ正字統一鉄則に逆らうだろうにねえ、面白いねえ。
なお、筑摩版「萩原朔太郞全集」第一巻の『草稿詩篇「月に吠える」』末尾には、本篇の草稿として『陽春(本篇原稿一種一枚)』と記すものの、その一篇は活字化していない。ただ、『本稿の題名は』、陽春→春雨→白い春雨→けぶる春雨 から、その一篇の草稿内では「春」に落ち着いており、『その副題に「―春雨白くけぶる日の感覺」とあ』り、さらに、『末尾に「のんせんす・ぽえむ」と附記されている』と言う旨注記がある。]
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