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2018/10/18

古今百物語評判卷之三 第八 徒然草猫またよやの事附觀敎法印の事 / 古今百物語評判卷之三~了

 

 

 

  第八 「徒然草」『猫またよや』の事觀敎(くわんげう)法印の事

 

かたへの人の云はく、「『徒然草』に『ねこまた』といふ物あるよし、しるされたり。其外、此比(このごろ)にいたり、『彼(かし)こにもばけたり』『爰(ここ)にもおそろしき事ありし』など、風說、おほし。猫の化(ばく)る事の候ふやらん、不審(いぶかし)」と云ひければ、先生、いへらく、「古(いにしへ)は『ねこまた』と云へり。『ねこ』と云へるは、下を略し、『こま』と云へるは、上を略したるなるべし。『ねこまた』とは其(その)經(へ)あがりたる名なり。陰獸にして、虎と類せり。其故に『手飼(てがひ)のとら』などゝも云(いへ)り。唐土(もろこし)にても、猫のばけて、其主人を殺せし事、多くしるせり。其(その)むまれつきを見るに、智あるにもあらず、德あるにもあらず、其さま、膝にふし、はだへに馴れ、身を人にまかすか、と思へば、よぶ時は心よく來らず、繩(つな[やぶちゃん注:ルビはママ。])を以て引(ひく)時は、必ず、しりぞく。あながち、人にさかふとにもあらざめれど、自ら、ひがみ疑ふ心あり。女の性(しやう)に似たり。宜(むべ)なる哉(かな)、化(ばけ)て老女と成(なり)て人をたぶらかすと云(いへ)る事、猶、其肉の能(のう)は狸(たぬき)と通用せり。瞳の、十二時にかはりて、大小あるも、氣味わろし。況や、身の後(のち)だに皮(かは)の聲(こゑ)すらも、雅樂(たゞしきがく)をみだる調子あり。心すべき物にこそ。其うへ、常の猫にてさへ、鼠をとらしめむ爲に畜(か)ひをけども[やぶちゃん注:ママ。]、又、鼠より、さまたげある事、多し。たゞ飼はざらんにはしかじ。且、又、「著聞集」に、觀敎法印、嵯峨の山庄(さんしやう)にて、から猫を飼ひしに、よく、玉(たま)を取りければ、祕藏の守刀(まもりがたな)を取出(とりいだし)て玉にとらせけるに、件(くだん)の刀をくはへて、何地(いづち)やらん、逃げ失せぬ。人々、尋求(たづねもとむ)れども、行きがた、知られずなりにき。此れ、『猫魔の變化(へんげ)なり』と、人々、沙汰し侍り、としるせり。兎角、怖しき物にこそ」。

[やぶちゃん注:『「徒然草」『猫またよや』の事』知られ過ぎた「徒然草」の第八十九段。

   *

 「奧山に、猫またといふものありて、人を食(くら)ふなる。」

と、人の言ひけるに、

「山ならねども、これらにも、猫の經(へ)あがりて、猫またになりて、人とる事はあなるものを。」

と言ふ者ありけるを、何(なに)阿彌陀佛とかや、連歌しける法師の、行願寺(ぎやうぐわんじ)の邊(へん)にありけるが、聞きて、

『ひとり步かん身は、心すべきことにこそ。』

と思ひけるころしも、ある所にて、夜(よ)ふくるまで連歌して、ただひとり、歸りけるに、小川(こがは)の端(はた)にて、音に聞きし猫また、あやまたず、足許へ、ふと寄り來て、やがて[やぶちゃん注:いきなり。]、かきつくままに、頸(くび)のほどを、食はんとす。膽心(きもこころ)も失せて、防がんとするに、力もなく、足も立たず、小川へ轉び入りて、

「助けよや、猫また、よやよや[やぶちゃん注:感動詞。強く呼びかける際に発する語。「おおい! おおい!」]。」

と叫べば、家々より、松どもともして、走り寄りて見れば、このわたりに見知れる僧なり。

「かは如何に。」

とて、川の中より抱(いだ)き起したれば、連歌の賭物(かけもの)取りて、扇・小箱など、懷に持ちたりけるも、水に入りぬ。希有(けう)にして助かりたるさまにて、はふはふ[やぶちゃん注:這うようにして。]、家に入りにけり。

 飼ひける犬の、暗けれど主(ぬし)を知りて、飛び付きたりけるとぞ。

   *

因みに、私はこれを中学二年の国語の授業で読まされたのを覚えている。その時、この糞擬似怪談を書いて悦に入っている兼好という男は、つくづくつまらぬ男だな、と思ったことを思い出す。私は第七段の「あだし野の露」の絶対無常観の辛気臭い表明(しかし兼好はそんなこと微塵も信じていなかったことは請け合う)や、百三十七段の「花は盛りに」の「大路みたるこそ、祭見たるにてはあれ」に例外的にシンパシーを持った以外には、糞知れ顔のそれを、笑ったことも、感心したこともない。寧ろ、同じ頃に、手にした芥川龍之介の「侏儒の言葉」の中に、

   *

       つれづれ草

 わたしは度たびかう言はれてゐる。――「つれづれ草などは定めしお好きでしせう?」しかし不幸にも「つれづれ草」などは未嘗愛讀したことはない。正直な所を白狀すれば「つれづれ草」の名高いのもわたしには殆ど不可解である。中學程度の敎科書に便利であることは認めるにもしろ。

   *

を読んで、快哉を叫んだものだった。当時の私は既にフロイトの「精神分析学入門」や「夢判断」を耽読しており、こうしたあまりに単純な心理錯誤は、既にして、退屈の極みだったのである。

「猫又」については藤原定家の日記「明月記」の天福元(一二三三)年八月二日の条にも以下のように出る(国立国会図書館デジタルコレクションの「明月記」(版本)の画像のここを視認して起した)。

   *

夜前、自南京方來使者小童云、當時南都云猫跨獸出來、一夜噉七八人、死者多、或又打殺件獸、目如猫、其體如犬長云々。

(夜前、南京の方より、使者の小童、來たりて云ふ、「當時、南都に、猫跨(ねこまた)と云ふ獸(けもの)出で來て、一夜に、七、八人を噉(くら)ひ、死する者、多し、或るは又、件(くだん)の獸を打ち殺すに、目は猫のごとく、其の體は犬の長(たけ)のごとし」と云々。)

   *

「『ねこ』と云へるは、下を略し、『こま』と云へるは、上を略したるなるべし」源順の「和名類聚鈔」には「猫(ネコマ)」「祢古萬」とし、ネコの古名として掲げる。「こま」は小学館「日本国語大辞典」に、猫の『古名「ねこま」の略』とし、さらに、『猫の愛称としても用いられた』とする。また、千葉県の方言として『飼い猫につける』通用『名』ともある。ウィキの「猫又」も引いておこう。『猫又、猫股(ねこまた)は、日本の民間伝承や古典の怪談、随筆などにあるネコの妖怪。大別して山の中にいる獣といわれるものと、人家で飼われているネコが年老いて化けるといわれるものの』二種がある。『中国では』、『日本より古く』、隋代には『「猫鬼(びょうき)」「金花猫」といった怪猫の話が伝えられていたが、日本においては』先に示した定家の「明月記」の記事『が、猫又が文献上に登場した初出とされており、猫又は山中の獣として語られていた』。但し、以上の「明月記」の猫又の形態は、果たして猫の『化け物かどうかを疑問視する声もあり』、『人間が「猫跨病」という病気に苦しんだという』記述も別にあることから、『狂犬病にかかった獣がその実体との解釈もある』という。『江戸時代の怪談集である「宿直草」や「曽呂利物語」でも、『猫又は山奥に潜んでいるものとされ、深山で人間に化けて現れた猫又の話があり』(私の「宿直草卷四 第一 ねこまたといふ事」を参照。後者は、その私の注で先行する類話として指示した「曾呂里物語」の巻三の五「ねこまたの事」である)、『民間伝承においても山間部の猫又の話は多い』。『山中の猫又は後世の文献になるほど大型化する傾向にあり』、貞享二(一六八五)年の「新著聞集」で『紀伊国山中で捕えられた猫又はイノシシほどの大きさとあり』、安永四(一七七五)年の「倭訓栞(わくんのしおり)」では、『猫又の鳴き声が山中に響き渡ったと記述されていることから、ライオンやヒョウほどの大きさだったと見られている』文化六(一八〇九)年の「寓意草」で『犬をくわえていたという猫又は』全長九尺五寸(約二・八メートル)とする。『越中国』『で猫又が人々を食い殺したといわれる猫又山、会津』『で猫又が人間に化けて人をたぶらかしたという猫魔ヶ岳のように、猫又伝説がそのまま山の名となっている場合もある』。『猫又山については民間伝承のみならず、実際に山中に大きなネコが住みついていて人間を襲ったものとも見られている』。『江戸時代以降には、人家で飼われているネコが年老いて猫又に化けるという考えが一般化し、前述のように山にいる猫又は、そうした老いたネコが家から山に移り住んだものとも解釈されるようになった。そのために、ネコを長い年月にわたって飼うものではないという俗信も、日本各地に生まれるようになった』。『江戸中期の有職家・伊勢貞丈による』「安斎随筆」には『「数歳のネコは尾が二股になり、猫またという妖怪となる」という記述が見られる。また』、『江戸中期の学者である新井白石も「老いたネコは『猫股』となって人を惑わす」と述べており、老いたネコが猫又となることは常識的に考えられ、江戸当時の瓦版などでも』、『こうしたネコの怪異が報じられていた』。『一般に、猫又の「又」は尾が二又に分かれていることが語源といわれるが、民俗学的な観点からこれを疑問視し、ネコが年を重ねて化けることから、重複の意味である「また」と見る説や、前述のようにかつて山中の獣と考えられていたことから、サルのように山中の木々の間を自在に行き来するとの意味で、サルを意味する「爰(また)」を語源とする説もある』。『老いたネコの背の皮が剥けて後ろに垂れ下がり、尾が増えたり』、『分かれているように見えることが由来との説もある』。『ネコはその眼光や不思議な習性により、古来から魔性のものと考えられ、葬儀の場で死者をよみがえらせたり、ネコを殺すと』七『代までたたられるなどと恐れられており、そうした俗信が背景となって』、『猫又の伝説が生まれたものと考えられている』。『また、ネコと死者にまつわる俗信は、肉食性のネコが腐臭を嗅ぎわける能力に長け、死体に近づく習性があったためと考えられており、こうした俗信がもとで、死者の亡骸を奪う妖怪・火車と猫又が同一視されることもある』。『また、日本のネコの妖怪として知られているものに化け猫があるが、猫又もネコが化けた妖怪に違いないため、猫又と化け猫はしばしば混同される』。『江戸時代には図鑑様式の妖怪絵巻が多く制作されており、猫又はそれらの絵巻でしばしば妖怪画の題材になっている』。元文二(一七三七)年刊の「百怪図巻」など『では、人間女性の身なりをした猫又が三味線を奏でている姿が描かれているが、江戸時代当時は三味線の素材に雌のネコの皮が多く用いられていたため、猫又は三味線を奏でて同族を哀れむ歌を歌っている』、『もしくは一種の皮肉などと解釈されている』。『芸者の服装をしているのは、かつて芸者がネコと呼ばれたことと関連しているとの見方もある』。また、安永五(一七七六)年刊の鳥山石燕の「画図百鬼夜行」では(リンク先に画像有り)、『向かって左に障子から顔を出したネコ、向かって右には頭に手ぬぐいを乗せて縁側に手をついたネコ、中央には同じく手ぬぐいをかぶって』二『本脚で立ったネコが描かれており、それぞれ、普通のネコ、年季がたりないために』二『本脚で立つことが困難なネコ、さらに年を経て完全に』二『本脚で立つことのできたネコとして、普通のネコが年とともに猫又へ変化していく過程を描いたとものとも見られている』とある。

「『ねこまた』とは其(その)經(へ)あがりたる名なり」猫が年経て、妖獣となったとするものの名。

「唐土(もろこし)にても、猫のばけて、其主人を殺せし事、多くしるせり」確かにあると思うし、読んだ記憶あるが、即座にこれと示せない。思い出したら、追記する。まんず、私の「柴田宵曲 妖異博物館 ものいふ猫」でもお茶濁しにリンクさせておこう。やや不満ながら、清初の文人褚人穫(ちょじんかく)の随筆「堅瓠集(けんこしゅう)」に載る、それぞれ男に雌のそれが、女に雄のそれが憑いた場合は助からぬとある、浙江省金華(ハムで有名なあそこ)地方の妖猫怪「金華貓(きんかびょう)」は一つ、候補か。

   *

 金華貓精

聽、金華貓、畜之三年後、每於中宵、蹲踞屋土、伸口對月、吸其精華。久而成怪、入深山幽谷、朝伏匿、暮出魅人、逢婦則變美男、逢男則變美女。每至人家、先溺於水中[やぶちゃん注:小便をし。]、人飮之、則莫見其形。凡遇怪者、來時如人、日久成疾。夜以靑衣覆被土、遲明視之、若有毛、必潛約獵徒。牽數大至家捕貓、剝皮炙肉。以食病者方愈。若男病而獲雄、女病而獲雌、則不治矣。府庠張廣文有女、年十八、殊色也。爲怪所侵、發盡落、後捕雄貓始瘳。

   *

Masahiro Aibaraサイト「幻想世界神話辞典に最後の部分を除いて、訳が載る。

「其肉の能(のう)は狸(たぬき)と通用せり」薬餌としての漢方の公的なそれはよく判らぬが、ウィキの「猫食文化」によれば、『中国の両広(広東省および広西チワン族自治区)とベトナム北部では、冬にネコの肉を食べると身体が温まると考える人々がおり、特に高齢者の間で』猫食は『多い』。『中国では年に』四百『万匹の猫が食べられており、猫の消費は増加傾向にある』。『食べられる部位は胃腸とモモ肉で、後者は肉団子にして汁物に入れる。頭部と残りの身は捨てる。広東料理にはヘビを竜、ネコを虎、鶏を鳳凰に見立てた龍虎鳳(中国語版)という料理があり、強壮効果があると信じられている』。『現地の動物保護に詳しい弁護士によると、中国国内の猫肉取引は禁じられており』、二〇〇七『年の法律でも「国内で通常食されない食物」の取引には特別な許可が必要としている』が、『華南の飯店で出される猫肉は主に、許可を得たブローカーが安徽省や江蘇省から仕入れたものである』とある。但し、『中国ではペットとしてのネコの飼育が増えるにつれ、猫食文化への風当たりが強まり、抗議行動も起こるようになって』おり、『犬食や猫食に対する抗議運動』も増えているという。『日本では幕末までネコが食されることもあった』。『沖縄県では肋膜炎、気管支炎、肺病、痔に効果があるとされ、汁物仕立てにしたマヤーのウシルなどが食べられていた』。『朝鮮では、茹で肉から』、『神経痛や関節炎に効く強壮剤がつくられた』。『ベトナムではネコ肉を「幸運を呼ぶ」として提供する食堂があり、中国などからの密輸が増えている』とある。

「瞳の、十二時にかはりて、大小ある」サイト「子猫の部屋」の「猫の文化」の「猫の都市伝説」にある「猫の目を見れば時間がわかる」が、出典確認から検証まで完璧に行っておられ、必見要保存! 原拠は唐の段成式(八〇三年~八六三年)の撰になる「酉陽雜爼」(八六〇年頃成立)の「續集」の第八卷「支動」の以下。

   *

貓、目睛旦暮圓、及午豎斂如糸延。其鼻端常冷、唯夏至一日暖。其毛不容蚤虱。黑者暗中逆循其毛、卽若火星。俗言貓洗面過耳則客至。楚州謝陽出貓有褐花者。靈武有紅叱撥及靑驄色者。貓一名蒙貴、一名烏員。平陵城、古譚國也、城中有一貓、常帶金鎖、有錢飛若蛺蝶、士人往往見之。

(貓(ねこ)、目晴(もくせい)、旦(あさあ)けと暮れは圓(まろ)く、午(ひる)に及びて、堅く斂(おさ)まりて、糸を延ばすがごとし。其の鼻の端は常に冷え、唯だ夏至一日のみ暖かし。其の毛、蚤・虱(しらみ)を容(い)れず。黑きは、暗中、其の毛を逆さに循(な)づれば、卽ち、火の星のごとし。俗に言ふ、「貓、面(かほ)を洗ひて耳を過ぐれば、則ち、客、至る」と。楚州謝陽、褐花(かくわ)の有る猫、出づ。靈武に紅叱撥(こうしつはつ)、及び、靑驄(せいそう)の色の者、有り。貓、一名、「蒙貴(まうき)」、一名、「烏員(ういん)」。平陵城は古への譚國(たんこく)たり。城中、一貓(びやう)有り、常に金の鎖を帶び、錢(ぜに)有りて、蛺蝶(きようてふ)のごとく飛ぶ。士人、往往、之れを見たり。)

   *

・「目晴」眼晴。眸。

・「黑きは」黑き貓は。

・「火の星のごとし」火花のようなものを発する。静電気か?

・「楚州謝陽」現在の江蘇省淮安(わいあん)。

・「褐花」「紅叱撥」「靑驄」よく判らぬが、毛の色と、そこに現れた模様、或いは、特異な形態を含んだ一種の異種総称名のように思われる。

・「靈武」現在の寧夏回族自治区霊武県の西北に相当。

・「平陵城」は春秋時代の斉(せい)の邑(ゆう)。古城は現在の山東省歴城県の東にある。

・「譚」周代の国名。春秋時代に斉に滅ぼされた。

・「蛺蝶」立羽蝶(現行分類では鱗翅(チョウ)目アゲハチョウ上科タテハチョウ科Nymphalidae)。この猫、背に羽を持っていて飛ぶように見えたのであろう。先の引用にも、背の皮が剥けて後ろに垂れ下がるケースが出たが、私も、背部に奇形があり、まさペガサスの翼のようになった個体の動画を見たことはある。

・「皮(かは)の聲(こゑ)」言わずもがな、三味線の皮となって、あの俗なる音を出すこと。

『「著聞集」に、觀敎法印、嵯峨の山庄(さんしやう)にて、から猫を飼ひしに……」「老媼茶話巻之弐 猫魔怪」の私の注で電子化しているので、そちらを見られたい。なお、私の電子化したものの中の妖猫譚は枚挙に暇がない。他にも比較的長い話柄では「想山著聞奇集 卷の五 猫俣、老婆に化居たる事」等がある。しかし、猫の報恩譚もあり、私はそちらの方が好きだ。特にお薦めは、「耳囊 卷之九 猫忠死の事」の私の真正現代語大阪弁訳版である。未読の方は、是非、どうぞ! 関西弁ネイティヴの教え子の校閲も経たものである。]

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