大和本草卷之十三 魚之上 ヒビ (ボラ)
【和品】
ヒヾ 琵琶湖ニアリ長六七寸形色似鯔魚只鱗細キ
ノミ
○やぶちゃんの書き下し文
【和品】
ヒビ 琵琶湖にあり。長さ、六、七寸。形・色、鯔魚〔(ボラ)〕に似る。只〔(ただ)〕、鱗、細きのみ。
[やぶちゃん注:これは困った。琵琶湖産の魚類で「ヒビ」という名を持つ或いは持っていた魚で、体長十八~二十一センチメートルほどで、形も色もボラに似ているが、鱗がボラよりも細い(ボラは鱗の一枚がずんぐりとして大きい)というのだ。幾ら調べても、出てこない。全くの『不詳』として掲げるしかないと思ったが、ここで最後の切り札として――実はこれはなかなかに丈夫で、河川の中流域にまで遡上することもある、ボラそのものなのではないか?――という過激なことを考えて検索をかけてみた。すると! サイト「雑魚の水辺」の「ボラ」に驚くべきことが記されてあったのだ! 『河口や汽水域ではごくごく普通に見られ個体数はかなり多い。若魚はたまに河川の中流域でも見られる。汚染の進んだ都市河川にも多い』とか、『春や夏になると』、『ボラの若魚ハクやオボコが河口浅瀬に群れたり、集団で河川を遡上して河川支流に進入したり』するとあるのは納得として、『海でよく見られる魚であるが、幼魚や若魚は川を数十』キロメートル『も遡り、完全な淡水でも暮らすことができる。ダムや堰堤がなかったころは、淀川、宇治川を遡り』、『琵琶湖まで遡上した記録があるというから驚きだ』(下線太字やぶちゃん。以下も同じ)という文字通り、驚きの記載に出くわしたのだ! 「あゆの店きむら」のサイト「琵琶湖と鮒寿しのWEBマガジン」の「琵琶湖の話」にも、『本当の意味で琵琶湖は海と繋がっていた時代があった。江戸時代、チヌ』(スズキ目タイ科ヘダイ亜科クロダイ属クロダイ Acanthopagrus schlegelii の異名。ウィキの「クロダイ」によれば、『河口の汽水域にもよく進入』し、『さらに河川の淡水域まで遡上することもあるため、能登地方では川鯛とも呼ばれる』とある)『やボラなど海水魚が琵琶湖で捕れたという記録が残っている。淀川を遡上してきたのである』とはっきり書いてある。現在、ボラが淀川水系でどれくらい上流まで遡上しているを調べてみると、これがちゃんとあった! 「龍谷大学」公式サイト内の『「ダムの魚道は機能しているのか?」理工学部山中裕樹講師らが生き物に配慮した河川整備に貢献する魚類調査手法を開発』という記事の中にそれがあったのだ! これは『水中を漂う魚類のDNAを回収・分析することで生息する魚種やその生息量を推定する、いわゆる「環境DNA分析」の技術』による調査なのだが、それによれば、『淀川には下流側から、淀川大堰、天ヶ瀬ダム、瀬田川洗堰という3つの大規模な河川横断構造物がありますが、これらのうち、魚道が設置されているのは淀川大堰のみです。淀川河口から琵琶湖に至る15地点で月毎の採水調査(1地点あたり2リットル)を1年間実施した結果、対象としていた海産魚であるスズキとボラは淀川大堰を通過して、河口からおよそ36kmの京都市伏見区付近まで遡上していることが確認されました』とあるのだ!(記事の下方右にある「環境DNA分析」によるボラの地図データを見られよ!) さすれば! これは、正真正銘の、
琵琶湖に遡上してきた条鰭綱ボラ目ボラ科ボラ属ボラ Mugil cephalus の幼魚
なのではあるまいか? であってみれば、形も色も成魚のボラに似ているが、まだ幼年であるが故に、鱗の大きさがデカくないというのも腑に落ちるではないか?! 大方の御叱正を俟つものではある。]
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