萩原朔太郎詩集「月に吠える」正規表現版 酒精中毒者の死
酒精中毒者の死
あふむきに死んでゐる酒精中毒者(よつぱらひ)の、
まつしろい腹のへんから、
えたいのわからぬものが流れてゐる、
透明な靑い血醬と、
ゆがんだ多角形の心臟と、
腐つたはらわたと、
らうまちすの爛れた手くびと、
ぐにやぐにやした臟物と、
そこらいちめん、
地べたはぴかぴか光つてゐる、
草はするどくとがつてゐる、
すべてがらぢうむのやうに光つてゐる。
こんなさびしい風景の中にうきあがつて、
白つぽけた殺人者の顏が、
草のやうにびらびら笑つてゐる。
[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「ヽ」。「血醬」はママ。「血漿」が正しい。私の偏愛する一篇。初出は『詩歌』大正四(一九一五)年六月号であるが、標題は「酒精中害者の死體」である。細かな部分の表記上の複数の異同以外は変わらないが、初出形全体と、その後の「月の吠える」再版(大正一一(一九二二)年三月アルス刊)以降の変遷について、「酒精中害者の死體 萩原朔太郎(「酒精中毒者の死」初出形 附同詩形全変遷復元)」で少しマニアックに電子化しているので参照されたい。
なお、筑摩版「萩原朔太郞全集」第一巻の『草稿詩篇「月に吠える」』には、本篇の草稿として『酒精中毒者の死(本篇原稿二種二枚)』としつつ、一篇(標題は「酒精中害者の屍體」)がチョイスされて載る。以下に示す。表記は総てママである。
*
醉漢
ある酒精中害者の屍體
あほむけに倒れた→ざんこくに殺された醉つぱらひの屍體がある
血だらけの屍體
生ぐさい醉つぱらひの屍體
その屍體の
醉つぱらひがあほむけに倒れてゐるたよつぱらひ
それそのまつ白の腹からのへんから
えたいのわからぬものがながれて居る
靑 蟲の い液體 夜目にも光る透明な靑い體血奬と[やぶちゃん注:「血奬」は「血漿」の誤字であろう。]
ゆがんだ三多角形の心臟と
くさつたわたはたと
らうまちすのただれた手くびと
ごたごたしたぐにやくした臟物と
そして草の→あたりの 草は 地べたはラジウムのやうに光つてゐた
そこらいちめん
地べたはべたべたぬれてぴかぴか光つて居たる
草はすべて→いつしんにするどくとがつて居たる
日はかんかんとてつて居るすべてがいたいやうにとがいたしく病的に光つてゐる
わたし→おれは天をあほいで
かなしくもざんこくにも殺されたのだ
しかしそしてみろ、
けれども、よつぱらひの眼ばかり
靑白い風景の中でにうきあがつて
ラジウムのやうに光つて居た、
さびしい殺人者の顏が草のやうに白く笑つてゐる、
*
この草稿を見ると、実はこの「殺された」「酒精中毒者」が、実は「わたし」「おれ」、則ち、萩原朔太郎自身であることが判る。而してこれは、直ちに、シュールレアリスムの先駆者とされるギヨーム・アポリネール(Guillaume Apollinaire 一八八〇年~一九一八年)の一九一六年発表の小説「虐殺された詩人」( Le Poète assassiné )を想起させるのだが、ご覧の通り、本詩篇の初出は――それよりも――一年早い――のである。]
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