古今百物語評判卷之四 第三 野衾の事
第三 野衾(のぶすま)の事
又、問(とふ)ていはく、「野ぶすまとは何ものぞや」。先生いへらく、「のぶすまは、あながち、化生(けしやう)の物にあらず、鼯(むさゝび)の事なり。此もの、上古には『獸(けだもの)なり』とかやいへども、「爾雅」に『鳥』と註し侍れば、「本草綱目」にも李時珍、「禽(とり)の部」に入(いれ)たり。されども、鳥のごとく、羽ありてかける物にあらず、尾をもつて、とべり。ひきく[やぶちゃん注:「低き」の意。]にはくだれども、高きにのぼる事、やすからずとぞ。其狀(かたち)、蝙蝠(かうふり[やぶちゃん注:ママ。])に似て、毛、生ひて、翅(つばさ)も、卽(すなはち)、肉なり。四つの足あれども、みじかく、爪、ながくして、木の實をも喰(くら)ひ、又は、火熖(くはゑん)をも、くへり。もと、山中(さんちう)に住(すめ)る物なれど、里へも來(く)る物なればにや、「萬葉集」にも、『ますらおがたかまと山にせめくれば里におちくるむささびの聲』など詠めり。此(この)鳥羽(とりばね)とおぼしき物をひろぐる時は、ちいさき[やぶちゃん注:ママ。]衾(ふすま)をのべたるやうに、みゆ。かくてぞ『野(の)ぶすま』とは、よばれけるにこそ。とびながら、子に乳(ち)をのませり。その子のなく事、人の聲に似たり。むべなるかな、和漢ともにあやしみおそるゝ事」。
[やぶちゃん注:「野衾」は現在の日本産固有種(「本草綱目」のものはムササビ属 Petauristaの別種)哺乳綱齧歯(ネズミ)目リス亜目リス科リス亜科Pteromyini 族ムササビ属ホオジロムササビ Petaurista leucogenys、及び、同一種と誤解している方も今も多いと思われる(実際、江戸時代まで区別されていなかったし、夜行性で日常的にも馴染みのある動物でもないからしょうがない)、ムササビとは別種で形態は似ているが遙かに小さい、リス亜科モモンガ族モモンガ属ニホンモモンガ Pteromys momonga のことである。詳しくは、ここで注するのが厭で、しゃかりきになってやっと本日公開出来た、私の「和漢三才圖會第四十二 原禽類 䴎鼠(むささび・ももか)(ムササビ・モモンガ)」の本文と私の迂遠な注を参照されたい。
「上古には『獸(けだもの)なり』とかやいへども」「和漢三才圖會第四十二 原禽類 䴎鼠(むささび・ももか)(ムササビ・モモンガ)」の私の注で引用した「日本後記」(原典リンク有り)の前後にある禁猟動物が獣類であり(前が「葦鹿(あしか:アシカであろう)、後が「羆」(ヒグマ))、そこで「野衾」を指すと思われるのが「𤡂」という漢字であるのは、この字が「𤢹」と同じで「モモンガ(鼯鼠)」や「ムササビ(鼺鼠)」などを含むリス科の滑空する哺乳類「飛𤢹(ひるい)」を指すのであり、その漢字が「けものへん」であるのも、弘仁元(八一〇)年当時、人々は、彼らを「鳥」でなく、科学的も正しい「獣」と考えていた証左であろうと私は思う。
「爾雅」中国最古の辞書。著者未詳。全三巻。紀元前二百年頃成立。
『「本草綱目」にも李時珍、「禽(とり)の部」に入(いれ)たり』明の李時珍撰になる本草書のチャンピオン「本草綱目」の巻四十八の「禽之二 原禽類二十三」の一独立項「䴎鼠」(ルイソ)として載る。上記リンク先本文(但し、抜粋)を参照。
「火熖(くはゑん)をも、くへり」これじゃ、ほんまに、かの「火鼠」になってしもうがね! 元隣センセ! 「本草綱目」のそれは「火烟」(ひけむり)でっせ!
「萬葉集」「ますらおがたかまと山にせめくれば里におちくるむささびの聲」「万葉集」巻第六の、「大伴坂上郎女の作れる歌一首」(一〇二八番)であるが、「ますらをの」誤り。
十一年己卯(ききぼう)、
天皇(すめらみこと)の
高圓(たかまど)の野に遊獵(みかり)し
時に、小さき獸(けもの)都里(みやこ)
の中に泄走(せつそう)す。
是に適(たまたま)勇士(ますらを)に
値(あ)ひて、生きながらに獲(え)ら
れぬ。卽ち、此の獸を以ちて御在(おは
しま)す所に獻上(たてまつ)るに、副
へたる歌一首【獸の名は俗(よ)に「牟
射佐妣(むざさび)」と曰ふ。】
ますらをの高圓山に迫(せ)めたれば
里に下(お)りける鼯鼠(むざさび)ぞこれ
「十一年」は天平一一(七三九)年。当時も「獸」であることに注目! 「天皇」は聖武天皇。「高圓野」奈良の東郊。]
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