萩原朔太郎詩集「月に吠える」正規表現版 竹
竹
ますぐなるもの地面に生え、
するどき靑きもの地面に生え、
凍れる冬をつらぬきて、
そのみどり葉光る朝の空路に、
なみだたれ、
なみだをたれ、
いまはや懺悔をはれる肩の上より、
けぶれる竹の根はひろごり、
するどき靑きもの地面に生え。
[やぶちゃん注:初出は『詩歌』大正四(一九一五)年二月号。二箇所の「なみだ」が「なんだ」(「なみだ」(「淚」)の「なむだ」→「なんだ」の音変化で、古くからある)、「懺悔をはれる」が「懺悔を終れる」となっている以外は詩篇自体の異同はないが、詩の最後で改行して下方に『――淨罪詩篇――』と記すのは注目する必要があろう。私の「竹 萩原朔太郎(「月に吠える」の「竹」別ヴァージョン+「竹」二篇初出形)」で電子化してあるので参照されたい。
なお、筑摩版「萩原朔太郞全集」第一巻の『草稿詩篇「月に吠える」』には、本篇の草稿として『「竹」(本篇原稿八種十枚)』として、以下の五篇がチョイスされて載る(一篇は無題(「○」がそれ))。三篇目の最終連一行目冒頭の「×」は朔太郎が附したもの。
*
竹
凍れる冬を
蒼天磨きをかけ
すぐなるものを 竹地に立ち
するどきものを 竹地に立ち
竹のいつしん
そのみどりば靑き葉うらに今日の空ぢに
いのりをくみ
いのりをあげ
いのりあげ
なんだたれ
なんだたれ
懺悔ををはりて一念に
怒れるいのれるひとの額肩のうへより
靑竹光る、
みよ
靑竹の根ははえ
靑竹の幹光る、
ときたる幹は[やぶちゃん注:編者は「とき」を「とぎ」の誤字とする。]
○
すぐなる長きもの地面に生え生ひ立ち
するどきもの靑きも地面に生ひ立ち[やぶちゃん注:「靑きも」はママ。]
凍れる
ま白き遠夜の冬をつらぬきて
そのみどりば光る今日朝の空ぢに
いのりあげ
いのりあげ
なんだたれ
なんだたれ
いのれるひとのむきむきに
いのれるひとの
いまはやひとの
懺悔を終れる肩の上より
みよ靑竹の根は生えひろごり
いのれるひとのむきむきに
するどき竹は ましぐらに、 天に立つ。靑きものは地面に立ち。
竹
ますぐなるもの地面に生ひ立ち
するどきもの地面に生ひ立ち
凍れる冬をつらぬきて
そのみどりば光る朝の空路に
なんだをたれ
なんだをたれ
いのれるひとのむきむきになんだをたれ、
いまはや懺悔を終れる肩のうへよりも、
靑竹の根は生えひろごり
いちめんに生え
靑きも
するどき 地面に立ち
かたきもの
×けぶれる竹の根は生え、ひろごり
するどき靑きもの地面に立ち、
竹
ますぐなるもの地面に立ち生え
するどき靑きもの地面に生ひ→立ち生え
凍れる冬をつらぬきて
そのみどりば光る朝の空路に
なんだをたれ
なんだををたれ
いまはや懺悔を終れる肩のうへより
けぶれる竹の根はひろごり
するどき靑きもの地面に立ち、生え
いのれるひとのむきむきに
懺悔を終れる肩のうへより、
[やぶちゃん注:ここに編者注があり、『最後の二行は、やや離して書かれている。』とある。]
竹
ますぐなるもの地面に生え
するどき靑きもの地面に生え
凍れる冬をつらぬきて
そのみどりば光る朝の空路に
なんだたれ
なんだたれ
このひとなんだをたれ
いまはや懺悔を終れる肩の上より
けぶれる竹の根はひろごり
するどき靑きもの地面に生え
――淨罪詩扁
*]
]
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