萩原朔太郎詩集「月に吠える」正規表現版 猫
猫
まつくろけの猫が二疋、
なやましいよるの家根のうへで、
ぴんとたてた尻尾のさきから、
糸のやうなみかづきがかすんでゐる。
『おわあ、 こんばんは』
『おわあ、 こんばんは』
『おぎやあ、 おぎやあ、 おぎやあ』
『おわああ、 ここの家の主人は病氣です』
[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「ヽ」。朔太郎の有名な猫語詩。ここだけ、特異的に底本の奇妙な特性(詩篇本文内の文末でない読点は、有意に打った字の右手に接近し、その後は前後に比して一字分の空白があるように版組されている。これは朔太郎の確信犯なのだろうが、これを再現しようとすると、ブラウザ上では、ひどく奇異な印象を与え、そこで躓いてしまう(少なくとも私は躓く)ので今までは無視してきた)を再現してみた。その理由は、読者がそこで立ち止まり、そこに同時に猫の鳴き声が余韻として長く残るのをこれで示したかったからである。初出は『ARS』大正四(一九一五)年五月号。初出形を以下に示す。
*
猫
――光るものは屍臘の手――
まつくろけの猫が二疋、
ぴんとたてた尻尾のさきから、
いとのやうな三ケ月がかすんで居る。
『おわあ、こんばんは』
『おわあ、こんばんは』
『おぎやあ、おぎやあ、おぎやあ』
『おわああ、ここの家の主人は病氣です』
――一五、四、一〇――
*
太字「いと」は傍点「ヽ」。添辞の「屍臘」は「屍蠟」の誤記か誤植であろう。屍蠟(しろう)は死体が蠟状に変化したもの。死体が長時間、水中又は湿気の多い土中に置かれ、空気との接触が絶たれると、体内の脂肪が蠟化し、長く原形を保つ。そうした遺体現象を指す。
なお、筑摩版「萩原朔太郞全集」第一巻の『草稿詩篇「月に吠える」』には、本篇の草稿として『猫(本篇原稿三種二枚)』とし、三篇(順に標題「春夜」(「猫」「つるむ猫」とも。但し、本文内は全抹消)・「春の夜」・「夜景」)が載る。以下に示す。表記は総てママである。
*
春夜 猫 つるむ猫
そこの
家根の上に黑猫が二疋
さつきから ぴんと尻尾をたてゝた尻尾のさきから
月がかすみ
猫が二疋で鼻をつきあはせ
ぴんと尻尾を
春の夜
家根のてつぺんで
まつくろけの猫が二疋
ぴんとたてた尻尾のさきから月がかすんで
細い糸のやうな三ケ月がかすんで出居る
「おわあ、こんばんは」
「おわあ、こんばんは」
「おぎやあ、おぎやあ、おぎやあ」
「おおわあ、ここの家の主人は病氣人です」
夜景
高い家根の上で猫が寢て居る、
猫の尻尾から月が顏を出し、
月が靑白い眼鏡をかけて居る見て居る、
だが泥棒はそれを知らないから、
近所の家根裏へひつこりとび出し、
まつくろ くろ けの衣裝をきこんで
なにかまつくろの衣裳をきこんで、
煙突の窓からしのびこもうとするところ。
*
最後に編者注があり、『最初の二行は「猫」に關連し、以下の部分は第三卷『詩集三』に收錄する「病氣の探偵」に關連すると思われる。』とあるのであるが、この「第三卷『詩集三』」というのは何かの誤りであろう。そんなものは「第三卷」にはないからである。これは、「第二卷」の「習作集第九卷(愛憐詩篇ノート)」にある「病氣の探偵」のことである。幸いにして、それは『萩原朔太郎詩集 遺珠 小學館刊 遺稿詩篇 病氣の探偵 / 筑摩版全集所収の「病氣の探偵」の草稿原稿と同一と推定』の私の注で既に電子化してある(その草稿の草稿までも、である)ので、参照されたい。]
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