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2018/10/22

ブログ1150000アクセス突破記念第二弾 《芥川龍之介未電子化掌品抄》 梅花

 

[やぶちゃん注:芥川龍之介が第一高等学校時代(明治四三(一九一〇)年九月十三日入学~大正二(一九一三)年七月一日卒業)に書いたものという以外の書誌的情報はない。

 底本は一九六七年岩波書店刊葛巻義敏編「芥川龍之介未定稿集」の「初期の文章」に載るものに拠った。一部の句読点なしの字空けはママ。擬古文の美文的創作のであるので、流れを絶たぬよう、若い読者が躓くであろう一部の語句の読みのみを文中で注した。終りの方の「嵯岈」は見かけない熟語であるが、「さが」と読んでおき、「高く突き出た」の意で採ってよかろうと思う。

 なお、本電子テクストは、2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが1150000アクセスを突破した記念の第二弾として公開した。【2018年10月22日 藪野直史】]

 

    梅 花

 

 都をば霞と共に出でしより、志賀寺の鐘の音、忘れ難く、小夜千鳥聲こそ近く鳴海がた、三保の浦曲[やぶちゃん注:「うらわ」。]、田子の入江、淸見ケ關、不二の煙の春の色、空もひとつのむさし野の原、あやめ咲く淺香の沼、末の松山朝ぼらけ、合歡の花ちる象潟の雨の夕、碓氷のもみぢ、木曾のはゝ木、そゞろ杖をとゞめむ方ぞなきに、猶片枝さす麻生(をふ)の浦。梨ふく風を身にしめむとて、伊勢の海淸き渚の浪の音に、麻績[やぶちゃん注:「をみ(おみ)」。]の大君の昔を偲びつゝも、行く行く「にしふく山」と云ふに、梅の老木ありときゝて、深山の春こそゆかしかんめれと、きさらぎのはじめつ方、ひとりこの山にのぼる。若草の綠 路もせに萌え出でたるに、淡雪のあとほのかにのこりて 氷やとけし、谷川の水さらさらと岩間を下れば、鶯の聲のをちこちに、きこゆるもゆうなりや。西行もとより風流の法師なれば、山のかたち、水のながれのおもしろさに、松、柏の茂れる林をよぎり、靑蘿[やぶちゃん注:「せいら」。]のまつろへる巖を攣ぢ、谷をめぐり、峯を越え、梅やあるとたづぬれども、香をしめし春風の、そよと面をふくだにもあらず。しづ山がつのゆききさへえたるに、途、問はむよすがもなくて、なほ、日ねもす、おぼつかなき山のかひをたどりありく。道のゆくての、さがしきになづみて思はず日入りぬ。

 宵闇の夜のいと暗きに、伏木、岩角のこゞしければ、里に出でむたよりすら失ひて、如何にせむとゆきなやむを、谷ひとつへだてたる山ふところにともしびの光唯一つかすかに見ゆ。幸ありけりとよろこびて、落葉松葉のうづたかくつみたる木下かげを辿り辿り、やうやう至りつきて柴の扉[やぶちゃん注:「とぼそ」。]をほとほととおとなへば、「誰ぞ」となまめきたる聲にて答ふ。「遍參の僧、今宵ばかりの宿をかし給へ」と請ふに、髮のかゝりにほひやかに遠山ずりの色よき衣きて、花くはし櫻が枝の水にうつろひなせる面したる、はたちに足らぬをみなの紙燭かゝげつゝ、「笑止や、山里の春はなほ塞う候を。夜の衾の足らぬをも厭ひ給はずば、入らせ給へ。」扉をひらきてゐやまひ迎ふ。小さき草の屋の程なき庭さへ荒れたれど、細きともしびの光に黑棚のきらめくも床しく見ゆ。香の煙の淡く立ちのぼる傍には、琴、琵琶、各一張を立てたり。主は齡六旬(むそぢ)にや餘れる績麻(うみそ)に似たる髮をつかねたるに、ひはだの衣の淸げなるをまとひし翁なり。されば、さきのたをやめはこの翁がむすめにやありなむ。

 あはれにも、うれしく住みなしつるよと、そゞろ心にくきに、西行ゐやをなして問ふやう、「庵主の御人がら、あてなるわたりの御方と見奉るが、浦安の國久しく、四海の波しでかなる世を、何とてかくは天さかる都の山ずまひし給ふらむ。」翁ほゝえみて「否とよ、翁は山澤の一樵夫。おち方の高根の霞に、春の立てるを覺り、萩の下葉の露に秋のきたれるを知る。若し興あれば松のびゞきに、秋風の樂をたゝへ、水のせゝらぎに、流泉の曲をあやつるのみ。」とて、「客僧こそ、何とてかくゆき暮したまへる、」と問ふ。西行「さればこの山に年へし梅の名木ありときゝしより、いかにもして一見せばやと、そここゝをたづねありくに、思はず行きくらしてこそ候へ」と答ふれば、翁掌をうちて「やさしき御志に、候ものかな、さては世の常の法師にはおはしまさず、風流三昧の御行脚とこそ見奉れ。御僧のたづね給ふ、梅はこのほとりにぞあなる。今宵は此處にやどり給ひて、つとめて往きて見給ふべし、されば山家の梅を題に一首たまへ。」とて、傍のをみなを見かへれば、うちゑみつ、早く硯に色紙とりそへて、西行が前に推しすゝめつ。

 さすがにもだしがたくて、しばしうちかたむきて、やがてかくこそ書いつけける。

 柴の庵によるよる梅の匂ひ來て やさしき方もあるすまひかな  (山家集)

 翁、「あはれ、かうさくや」とて感ずる事大方ならず。高つき、平つきの淸らなるに、木の實、草果物などもりならべてすゝむる程に、むすめもまた筝の琴とり出でて、十三絃をめでたくうち彈じつゝ梢たちくゝのにほひある聲にて、

「ふゝめりと云ひし梅ケ枝今朝ふりし沫雪にあひて吹きぬらむかも(大伴宿禰村上)」とうたひすませば、西行いよいよ興に入りて、平つきの木の箕のまろやかに琥珀の色したるを、何氣なくとりて食ふに、甘く酸きこと齒牙にしみて、風の伽楠[やぶちゃん注:「きやら(きゃら)」。]を過ぎ、雨の薔薇にそゝぐやうなる香りの骨に徹るよと思へば、路の長手のつかれ、俄にいでて何時しか眠るともなく熟く[やぶちゃん注:「よく」。]寐ぬ。

 程へて、現なき心にも、寒かりければ、ふと目さめて起出づるに、身は若草の上にあり。夜ふけて月の夜にあらたまりつと覺えて、影玲瓏として至らぬ隈なけれど、ありし草の庵はいづち行きけむ、見えず。仰げば三更の空、ほの靑うかすみたるに、春の星夢よりも淡うまたゝけり。翁は如何にしつらむとかへり見れば、人は無くて梅の老樹の、めぐり七圍[やぶちゃん注:「しちまはり(しちまわり)」。]にあまりたるが苔むしたる幹を斜に嵯岈たる枝には雪よりも白き花にほやかに咲きみだして立ちぬ。そが傍には又紅梅の若木のやさしくもさきこぼれたる、大空の雲もにほはむばかりの香りに、西行且驚き且訝り、

「さてはよべの翁もをみなも共にこの梅の精にてありけり」と、しばし幹を撫して佇みけるに、琴の調べのなほ耳にある心地しければ、再一首の歌を高らかに誦し出でける。

 ひとりぬる草の枕のうつり香は 老木の梅のにほひなりけり (山家集)

 梅の精やめでたる、山風やふき出でたる、梢さはさはと動くと見れば、墨染の衣の袖に寒からぬ雪は、雲なき空よりこぼれ落ちぬ。

 

[やぶちゃん注:優れた複式夢幻能ではないか。]

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