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2018/10/17

和漢三才圖會第四十二 原禽類 雀 (スズメ・ニュウナイスズメ)

 

Suzume

すゝめ   瓦雀 賓雀

      嘉賓

【音】

      【和名須須女】

ツヨッ

本綱雀小鳥羽毛斑褐頷觜皆黑頭如顆蒜目如擘椒尾

短而長二寸許故字從小隹隹【音錐短尾】爪距黃白色躍而不

步栖宿簷瓦之間馴近階除之際如賓客然故曰瓦雀賓

雀其視驚瞿其目夜盲其卵有斑其性最淫八九月群飛

田間體肥背有脂如披綿性味皆同可以炙食老而斑

者呼爲麻雀【末太良雀】小而黃口者爲黃雀【安久知雀】九月雀入大

水爲蛤雀不入水國多淫泆【若家雀則未常變化也】南海有黃雀魚

常以六月化爲黃雀十月入海爲魚則所謂雀化蛤者蓋

此類

肉【甘溫】正月以前十月以後宜食之【服白朮人忌之不可合李食之】

白丁香【苦溫微毒】雀屎也其屎底坐尖在上是雄兩頭圓者

 是雌屎臘月來得修治以可入藥【男子用雌屎女人用雄屎

 今試白丁香以屎形辨雌雄者未精

 凡雀起而屎則上尖居而屎則平圓】

  夫木ねやの上に雀の聲そすたくなる出立ちかたに夜やなりぬらん

按三才圖會云雀目昏盲故有人至昏不見物者謂之

 雀瞀凡雀貪食易捕老者狡黠難取性不能巢穿屋居

 之故謂之瓦雀

饒奈雀【正字名義未詳】 形小於雀也二分其頭背赤柹色腹白

 觜脚灰色其雌者頭背黄灰色腹嘴脚皆雄與同

すゞめ   瓦雀〔(ぐわじやく)〕

      賓雀〔(ひんじやく)〕

      嘉賓〔(かひん)〕

【音、[やぶちゃん注:欠字。]】

      【和名、「須須女」。】

ツヨッ

「本綱」、雀は小鳥にして、羽毛、斑〔(まだら)〕にして褐。頷〔(あご)〕・觜、皆、黑し。頭は顆蒜〔(くわさん)〕のごとく、目〔は〕擘椒〔(はくしやう)〕のごとく、尾、短くして、長さ二寸許り。故に、字、「小隹」に從ふ。「隹」【音、「錐〔(スイ)〕」。短き尾なり。】。爪距〔(けづめ)〕、黃白色。躍りて步せず。宿の簷(のき)の瓦の間に栖み、階除〔(かいじよ)〕の際に馴れ近づき、賓客のごとく、然る故に「瓦雀」「賓雀」と曰ふ。其れ、視〔るに〕、驚瞿〔(きやうく)〕し、其の目、夜〔(よ)〕る、盲(みへ[やぶちゃん注:ママ。])ず。其の卵、斑、有り。其の性、最も淫なり。八、九月、田間に群飛す。體、して肥へ[やぶちゃん注:ママ。]、背に、脂〔(あぶら)〕有ること、綿を披〔(ひろ)ぐる〕がごとし。性・味、皆、同じ。以つて炙り食ふべし。老いて斑の者を呼んで「麻雀(まだら〔すずめ〕)」と爲す【「末太良雀」。】小にして黃なる口の者、「黃雀(あくち〔すずめ〕)」と爲す【「安久知雀」。】。九月、雀、大水に入りて蛤〔(はまぐり)〕と爲〔(な)〕る。雀、水に入らざれば、國に、淫泆〔(いんいつ)〕、多し【家雀のごときは、則ち、未だ常に變化せざるなり。】。南海に「黃雀魚」有りて、常に六月を以つて化して「黃雀」と爲る。十月、海に入りて、魚を爲るときは、則と、所謂〔(いはゆ)〕る、雀、蛤に化する者、蓋し、此の類なり。

肉【甘、溫。】正月以前、十月以後、之れ、食ふべし【白朮〔(びやくじゆつ)〕を服する人、之れを忌む。李〔(すもも)〕を合せて之を食ふべからず。】。

白丁香〔(はくていかう)〕【苦、溫。微毒。】雀の屎〔(くそ)〕なり。其の屎〔の〕底、坐〔(すわ)〕り、尖〔(とがり)〕は上に在り。是れ、雄なり。兩頭、圓き者、是れ、雌の屎なり。臘月に來たり得て、修治して、以つて藥に入るべし。【男子には雌の屎を用ひて、女人には雄の屎を用ふ。今、試みに、白丁香、屎の形を以つて雌雄を辨ずとは、未だ精〔(くは)し〕からず。凡そ、雀、起ちて屎すれば、則ち、上、尖る。居〔(すは)り〕て屎すれば、則ち、平圓〔なれば〕なり。】。

 「夫木」

   ねやの上に雀の聲ぞすだくなる

      出で立ちがたに夜やなりぬらん

ずるに、「三才圖會」に云はく、『雀の目、昏〔(ゆふぐれ)〕には盲(め)しいる。故に、有人、昏に至りて者を見ざる者、有り、之れを「雀瞀(とりめ)」と謂ふ。凡そ、雀、食を貪り、捕へ易し。老(ひね)たる者は、狡-黠(こざか)しくして取り難し。性、巢(すづく)ること、能はず。屋を穿ちて、之れに居〔(を)〕る。故に之れを「瓦雀」と謂ふ。

饒奈雀(にようない〔すずめ〕[やぶちゃん注:ママ。歴史的仮名遣は正しくは「ねうないすずめ」。])【正字・名義、未だ詳かならず。】 形、雀より小さし。二分ばかり。其の頭・背は赤柹色、腹、白く、觜・脚、灰色。其の雌なる者は、頭・背、黄灰色、腹・嘴・脚、皆、雄と同じ。

[やぶちゃん注:スズメ目スズメ科スズメ属スズメ Passer montanus(本邦のそれは亜種スズメPasser montanus saturatus)。余りに身近な鳥なので、引用はウィキの「スズメ」の分布域ににのみ留める。生態等、詳しくはリンク先を。『西はポルトガルから東は日本までユーラシア大陸の広い範囲に分布する』。但し、『北はあまり寒い地方にはおらず、北緯で言えば』六十『数度が北限である。またインドにはほとんどいない。ボルネオ島、スマトラ島、ジャワ島などの熱帯または亜熱帯の地域にも分布域がある』とある。荒俣宏「世界博物大図鑑」の第四巻「鳥類」(一九八七年平凡社刊)の「スズメ」の項によれば(コンマを読点に代えた)、属名 Passer(パスセル)は『小さな鳥一般を示し、ひいてはスズメそのものを指すようになった』とあり、『スズメという和名は、もとススミ(須々美)と』称し、それは、その『習性が〈おどり、すすみ行く〉ので、そうよばれたという(《日本釈名》)』(「日本釈名」江戸中期の語源辞書。貝原益軒著で元禄一二(一六九九)年成立(刊行は翌年)。後漢の劉熙の「釈名」に倣い、和語を二十三項目に分類して五十音順に配列し、語源を解説したもの)。また、『別の説に、スズメとは〈ササ(小さい)〉、またメはカモメやツバクラメ(ツバメ)と同じく鳥を示す古俗のよび方で、小さな鳥このことだという(《東雅》)』とある(「東雅」は江戸中期の語学書。新井白石著で享保二(一七一七)年成立。中国古代の字書「爾雅」に倣って、国語の名詞を十五の部門に分けて語源的解釈を施したもの)。

「顆蒜〔(くわさん)〕」東洋文庫版現代語訳では『つぶにんにく』とある。お馴染みの、単子葉植物綱キジカクシ目ヒガンバナ科ネギ亜科ネギ属ニンニク Allium sativum の根茎である。

「擘椒〔(はくしやう)〕」不詳。東洋文庫版現代語訳では『はくしょう』とルビするのみ。「擘」は「裂く」の意であるから、前の「顆蒜」に徴するならば、双子葉植物綱ムクロジ目ミカン科サンショウ属サンショウ Zanthoxylum piperitum の実を裂いて出した山椒の種子のことではあるまいか。

「尾、短くして、長さ二寸許り。故に、字、「小隹」に從ふ。「隹」【音、「錐〔(スイ)〕」。短き尾なり。】」「小」=「少」で、「隹」は割注にある通り、原義は「尾の短い鳥の総称」である。

「階除〔(かいじよ)〕」階段。庭から屋敷に上るそれ。

「驚瞿〔(きやうく)〕」驚いたよう様子を見せること。「瞿」には「驚く」の意の他に「懼れる」の意もあるが、ここは人懐っこい性格を考えて、かく採っておく。

「其の卵、斑、有り」スズメの卵は全体が暗い灰白色で、紫褐色・灰色・黒褐色の斑がある。ウィキの「スズメ」の卵の画像をリンクさせておく。

して肥へ」驚くほどまるまると太って。

「性・味、皆、同じ」東洋文庫版訳では『どこにいるのも』と添えてある。

「麻雀(まだら〔すずめ〕)」原義は「斑点模様のある小鳥」の総称となるが、現代中国語ではまさにスズメを指す。中文ウィキの「麻雀」(種としてのスズメのページ)を見られたい。なお、遊戯としての麻雀は中国語でもそう言いはするが、「麻將」の方が主流のようである(私はマージャンは全く知らないのでこれ以上、脱線する気にはならない。悪しからず)。

「黃雀(あくち〔すずめ〕)」「あくち」とは、雀に限らず、鳥の雛の嘴の付け根の黄色い部分を指す(「日葡辞書」に掲載)。語源説は「粟口」「開口」「赤口」等。開いた口中は赤く見えるから、孰れも腑には落ちる。

「雀、大水に入りて蛤〔(はまぐり)〕と爲〔(な)〕る」最も知られた化生説である。中国の本草書由来かと思うと、どうもさにあらずで、「日本書紀」の齊明天皇四(六五八)年の条に、

   *

出雲國言。於北海濱魚死而積。厚三尺許。其大如鮐。雀喙針鱗。鱗長數寸。俗曰。雀入於海化而爲魚。名曰雀魚。

(出雲國より言へらく、北海の浜に、魚、死して積めり。厚さ、三尺許り。其の大いさ、鮐(ふぐ)のごとくにして、雀の喙(くち)・針の鱗(いろこ)あり。鱗の長さ、数寸。俗の曰へらく、「雀、海に入りて、化して魚と爲る。名づけて『雀魚』と曰ふ」と。)

   *

とあり、以下に「或本云。至庚申年七月。百濟遣使奏言。大唐・新羅幷力伐我。既以義慈王・王后・太子爲虜而去。由是國家以兵士甲卒陣西北畔。繕修城柵斷塞山川之兆也」と続いて、この二年後の夏、唐・新羅の連合軍が新羅(百済)を攻め、百済王義慈や皇后・皇太子を捕虜として拉し去るという(これを以って百済は滅亡した)事件が起き、そのため、斉明天皇は本邦の西北(北九州)に軍兵を布陣して、城柵を築き、城塞を建造したが、この二年前の異魚出現をその凶兆と解釈していることが判る。これは「蛤」ではなく「魚」であるが、当代にあっては海産生物は一緒くたであり、蛤の貝殻の紋様は頗る雀のそれに似るし、蛤は縄文の古えから食物とされたから、これが一種の中国と日本の平行進化的産物であるとしても、不自然ではない。なお、良安の蛤の記載は、私の「和漢三才圖會 卷第四十七 介貝部 寺島良安」の「はまぐり 文蛤」を参照されたい。

「淫泆〔(いんいつ)〕」怠けて遊興にふけること。また、男女関係が猥(みだ)らなこと。

「家雀のごときは、則ち、未だ常に變化せざるなり」これは「本草綱目」の時珍の補説。「私が普通に見かける人家に巣を作るような雀は、未だ嘗て、全く、そのように変化した個体を見たことはない」と見解を述べているのである。いいね! 時珍先生! フィールド・ワークが大事です!

「黃雀魚」林昇漢氏の中文サイト「世界魚類圖鑑」の同種のページによって、現在、中国名「黃雀鯛」の俗名として現存し、当該種は条鰭綱棘鰭上目スズキ目ベラ亜目スズメダイ科スズメダイ亜科ソラスズメダイ属ネッタイスズメダイ Pomacentrus moluccensis であることが判明した。無論、時珍が指しているそれが、本種である可能性はかなり低い気はするが、一応、掲げておく(それでも正直、これって文字通り、黄色系のスズメダイ科 Pomacentridae の仲間のような気は確かにするわ)。WEB魚図鑑」の当該種のページによれば、『体色は一様に黄色で鮮やか。幼魚も成魚とほぼ同じ色彩だが、黄色みはさらに強い。体長』五センチメートルほどの『小型種』で、琉球列島及び西部太平洋の水深一~十四メートルの『珊瑚礁にすむ』。『珊瑚礁域のごく浅所に見られる普通種』で、『枝状サンゴをすみかとし、その周辺に小さな群れで、もしくは他のスズメダイの群れに混ざ』って棲息する。『鮮やかな黄色が美しく観賞魚として知られるが』、『性格が強く注意が必要』とある。まあ、単色ながら、派手で一目見れば忘れないスズメダイではある。以下の部分、「本草綱目」の「雀」の「集解」では、こうなっている。

   *

「臨海異物志」云、『南海有黃雀魚、常以六月化爲黄雀、十月入海爲魚則所謂雀化蛤』者、蓋此類。若家雀則未常變化也。[やぶちゃん注:最後の一文が先の注の部分。]

   *

「臨海異物志」は「臨海水土異物志」で、三国時代の呉の武将沈瑩(しんえい ?~二八〇年)の撰になる博物学的地誌。

「白朮」(びゃくじゅつ)はキク目キク科オケラ属オケラ Atractylodes japonica の根茎。健胃・利尿効果がある。

「白丁香」しっかり、漢方薬として現在も使われている。

「其の屎〔の〕底、坐〔(すわ)〕り、尖〔(とがり)〕は上に在り」これは糞の底の部分が地面に対してべったりと軟化して附着しており、上部が尖った形になっている雀の糞で、それがの糞だというのである。反対に孰れの末端もころんとして丸く、タブレット状になた糞は雌だというのである。

「臘月」陰暦十二月の異称。

「來たり得て」なってから採取し。

「修治」漢方医学に於いて、動植物・鉱物の天然薬材料に対し、医薬品としての価値を高め、臨床応用に合致するよう行なう加工作業過程のこと。

「今、試みに、白丁香、屎の形を以つて雌雄を辨ずとは、未だ精〔(くは)し〕からず。凡そ、雀、起ちて屎すれば、則ち、上、尖る。居〔(すは)り〕て屎すれば、則ち、平圓〔なれば〕なり」この部分は「本草綱目」にはない。或いは良安が補填したものか。すこぶる穏当な見解で、「以上は、今、仮に、「白丁香」の糞の形状を以ってそのひり出した個体が雀の雌であるのか、雌であるのかを弁別する、というのであるが、どうもそれに就いては、私は明確に区別することは出来ないのである。そもそもが、雌雄に限らず、雀が後肢で立って糞をすれば、それは、上が尖った形になる。しかし、雀が後肢を立てずにしゃがんで糞をすれば、そのくそは地面に則して平たく、丸い円筒状のものとなるからである」というのである。

「夫木」「ねやの上に雀の聲ぞすだくなる出で立ちがたに夜やなりぬらん」これは平安中期の歌人曽禰好忠(そねのよしただ 生没年不詳)の一首で、幸いにして妻の所持する明治書院の「私家集大成 第一巻 中古」で調べることが出来たのだが、表記に大きな誤りがある。これは「好忠集」の天理図書館蔵本では、

   三月中

 ねやのうへにすゝめのこゑそすたくなる

    出たちかたに子やなりるらん

で、整序すると、

 閨の上に雀の聲ぞすだくなる出で立ちがたに子やなりぬらむ

で、「寝所の上で、雀らの囀りが、いや盛(さか)になってきたぞ。そうか、子雀らが巣立ちする時期になったのだろうなあ」といった意味であろう。

「雀瞀(とりめ)」鳥目。夜盲症(「瞀」には「目が眩(くら)む」の意がある)。遺伝性の先天性夜盲症と、後天性のビタミンAの欠乏による夜盲症(暗部の視覚を担当する成分はロドプシンであるが、ロドプシンはビタミンAと補体から成る)、及び、難病指定されている網膜色素変性症の初期症状としてある。

「狡-黠(こざか)しく」この「狡黠」は「ずるく悪賢いこと」の意の「狡猾」と同じい(但し、歴史的仮名遣では「狡黠」は「かうかつ」であるのに対し、「狡猾」は「かうくかつ」となる)。「小賢しく」。

「饒奈雀(にようない〔すずめ〕)」通常のスズメが市街地で見かけることが多いのに対して、林や森を主な棲息地とし、頬に黒い斑点を持たない、スズメ目スズメ科スズメ属ニュウナイスズメ Passer rutilans。この種の存在を知らない方もいると思われるので、ウィキのニュウナイスズメから引いておく。『民家近くに生息するスズメとは対照的に、林や森などを好む。黄雀(こうじゃく、おうじゃく、きすずめ)ともいう』。全長約十四センチメートルでスズメと有意な差はない。『雄はスズメに似ているが』、『頬に黒点がなく、頭部と背面はスズメよりもあざやかな栗色をしている。雌は薄茶色で、太い黄土色の眉斑が目立つ。『北はロシア、東は日本、南はインド、西はアフガニスタンまで、東アジア、東南アジア、南アジア、中央アジアに広く分布する』。『日本では主に北海道の平地の林や本州中部以北の山地で』五月から七月に『かけて繁殖し、関東地方以南の暖地で越冬する』。『繁殖期以外はニュウナイスズメ単独種で群れをつくるが、少数の場合はスズメの群れに混じる』。『台湾やヒマラヤの山奥にあるスズメが進出していない村落では、スズメに代わって人家に営巣していることがある』。『本種の和名の由来については以下の三説が有名である』。『スズメに見られる頬の黒斑を欠くことから、ほくろの古名であるにふ(斑)が無い雀、ということで斑無雀』とするもの。『新嘗雀(にいなめすずめ)がなまったものであるとする柳田國男の説』。『平安時代に陸奥守として東北地方に左遷され、現地で恨みを抱いたまま死去した貴族、藤原実方が本種に転生して宮中に入り込み、納税された米を食い荒らしたという伝説があ』り、『宮中(内廷)に入る雀、ということで入内雀』というものである。『後ろの二説にも関連するが、長い間』、『本種は晩夏から初秋にかけて田に大群で押し寄せ、イネの未熟果を食い荒らす大害鳥と信じられていた。目にする機会が少ないにもかかわらず、鳥獣保護法でスズメと共に狩猟鳥に指定されているのはそれゆえである』とある。なお、ウィキの「スズメには、『夏から秋にかけては稲に対する食害も起こす。しかし、農村地帯で繁殖するスズメは、稲にとっての害虫も食べるため、コメ農家にとっては総合的に益鳥の面が大きいともされる』。『一方』、『ニュウナイスズメ』『は、繁殖期には森林または北方で繁殖し、夏の終わりから秋にかけて農村地帯に現れる。益鳥としての働きをしないので』、『害鳥としての面が強いといわれている。この稲を食害するニュウナイスズメとスズメが、スズメとして一緒にくくられることで、スズメが必要以上に害鳥扱いされた可能性もある(ただし、理由はわかっていないが、ニュウナイスズメが大規模に農村地帯に出現することは現在ではほとんどなくなった)』とあるから、現時点ではもう、スズメもニュウナイスズメも、稲を啄む害鳥というのは冤罪ということになることは言い添えておこう。]

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