萩原朔太郎詩集「月に吠える」正規表現版 戀を戀する人
戀を戀する人
わたしはくちびるにべにをぬつて、
あたらしい白樺の幹に接吻した、
よしんば私が美男であろうとも、
わたしの胸にはごむまりのやうな乳房がない、
わたしの皮膚からはきめのこまかい粉おしろいのにほひがしない、
わたしはしなびきつた薄命男だ、
ああ、なんといふいぢらしい男だ、
けふのかぐはしい初夏の野原で、
きらきらする木立の中で、
手には空色の手ぶくろをすつぽりとはめてみた、
腰にはこるせつとのやうなものをはめてみた、
襟には襟おしろひのやうなものをぬりつけた、
かうしてひつそりとしなをつくりながら、
わたしは娘たちのするやうに、
こころもちくびをかしげて、
あたらしい白樺の幹に接吻した、
くちびるにばらいろのべにをぬつて、
まつしろの高い樹木にすがりついた。
[やぶちゃん注:五箇所の太字は底本では傍点「ヽ」。「あろうとも」はママ。前の「愛憐」の注で示した通り、風俗壊乱の一篇として、書店での発売分の初版からは切り取られて、存在しなかった。
初出は『詩歌』大正四(一九一五)年六月号。大きな改変はないが、風俗壊乱とされた一篇の初出形なればこそ、示すこととする(太字は同前)。
*
戀を戀する人
わたしはくちびるにべにをぬつて、
あたらしい白楊の幹に接吻した、
よしんば私が美男であらうとも、
わたしの胸にはごむまりのやうな乳房がない、
わたしの皮膚からはきめのこまかい粉おしろいのにほひがしない、
わたしはしなびきつた薄命男だ、
ああ なんといふいぢらしい男だ。
けふのかぐはしい初夏の野原で、
きらきらする木立の中で、
わたしは空色の手ぶくろをすつぽりとはめてみた、
わたしの腰にこるせつとをはめてみた、
襟には襟おしろひのやうなものをぬりつけた、
かうしてひつそりとしなをつくりながら、
わたしは娘たちのするやうに、
こころもちくびをかしげて、
あたらしい白楊の幹に接吻した。
くちびるにばらいろのべにをぬつて、
まつしろの高い樹木にすがりついた。
*
敢えて指摘するなら、大きな変化は大道具の樹木の違いである。初出は「白楊」で、これが「はくやう(はくよう)」と読まれるなら、
双子葉植物綱キントラノオ目ヤナギ科ヤマナラシ(山鳴らし)属ヨーロッパヤマナラシ変種ヤマナラシ Populus tremula var. sieboldii(木製の小箱の材料にしたことから「箱柳(ハコヤナギ)」の異名を持ち、「白楊」と書いて「はこやなぎ」と読む人も多い)
或いは、同じヤナギ科 Salicaceae の、
ヤマナラシ属ドロノキ(泥の木)Populus suaveolens
の異名となる。しかし、私などはつい、これを「しろやなぎ」と読みたくなり、そう読むなら、やはり同じヤナギ科の、
ヤナギ属シロヤナギ Salix jessoensis
となる。初出形のそれが、この三種の孰れを指すかは判らぬが、改変された、「白樺」ブナ目カバノキ科カバノキ属シラカンバ Betula platyphylla となると、如何にもな高原のロケーションとなって(それが萩原朔太郎の確信犯であろとも)、私にはやらせに過ぎた臭さを覚える。個人的には私が見慣れた、好きなシロヤナギがいい。
なお、筑摩版「萩原朔太郞全集」第一巻の『草稿詩篇「月に吠える」』には、本篇の草稿として『戀を戀する人(本篇原稿三種四枚)』として二種(一篇は無題で、二つ目は「戀を戀する人」)が載る。表記は総てママである。
*
○
わたしが女の子であつたら
いつもからだ中におしろひをぬつてりつけて
いつもひとりぼつちであそんでゐたい
だれもゐない野原草むらの中で
ひとりで日光 兎のやうにあそんでゐたい
さびしい冬の日光をあびながら
すきな乾草のにほひを
兎のやうにころがつてみゐたい、
きれいな月 のいい晚方には 夜の晚方には
高い樹木の幹にだきつきたい
そうしてずつと遠くの どこかの人の知らないところ 墓場の
いちにちすきな乾ぐさのにほひをかきながら
すきな乾草のにほひをかいでゐたい
そしてかなしい月夜の晚には
ふしぎに白いまつ白な手足をして
あほむけにつめたい死骸★になつてみたい//の眞似★[やぶちゃん注:「★」「//」の記号は私が附した。二候補が並置残存していることを示す。次の詩篇中のものは三種並存。]
さうして
わたしがきれいな女の子であつたら
わたしはほんとに幸福であるのに、
戀を戀する人
おれはわたしはくちびるにべにぬつて
若々しい樹のあたらしい白楊の幹に切吻した、
よしんばわたしが美男であろうとも
わたしには五月 まるい林檎のやうな乳房がない
わたしの肌からはあの→もう★草花のにほひがしない//あらせいとうの花のにほひがしない//あやめおしろいのにほひがしない、★
わたしはしなびきつた不幸ものだ薄命男だ→ものだ男だ、
ああなんといふ不幸の男奴だ、
けふのかぐはしいはつ初夏の野原で
わたしはきらきらする日光木立の中で
わたしは水色の手ぶくろをすつぽりとはめて見た
わたしの腰にコルセツトをはめてみた
かうしてそつとしなをつくりながら
わたしはれいのれでいあのお孃さんのするやうに
すこしこゝろもちくびをかしげながら
(くちびるにまつかのべにをぬつて)[やぶちゃん注:丸括弧は朔太郎のもの。以下同じ。]
あたらしい白楊の木幹に切吻した、
くちびるにまつかの(ばらいろの)べにをぬつて
舌もちぎれるまでに吸ひこんだ
光るまつしろの光る高い樹木にすがりついた。
*
]
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