反古のうらがき 卷之四 不慮の死を遂し事
○不慮の死を遂し事
いつの頃にや、飯田町(いひだまち)といふ所に、手おどりの師匠ありて、夜る夜る稽古するに、かどに立(たち)て見る人もおゝかりけり。こゝに、御家人の隱居ありて、此所を通りけるに、此夜は殊ににぎわいて[やぶちゃん注:ママ。]、はやしなどの音、聞ゆるにぞ、ふと立よりて見るに、人立(ひとだち)おふくて[やぶちゃん注:ママ。]よくも見へず。のび上り、のび上りする程に、後(うしろ)よりおしかゝりて見る人あり。しばしはこらへつれども、餘りにおしかゝるにぞ、少しおしかへすよふ[やぶちゃん注:ママ。]にしたれば、後なる人、大にいかりて、いたく、のゝしりけり。こなたも、一つ、二つ、ものいふ程に、後より、三、四人斗り取かゝりて、「物ないわせそ」といふまゝに、大小の刀のつかを左右の手にとりたり。「こはかなわじ」と、もろ手をかけて引留(ひきとめ)んとて、刀の鍔のあたりをとらへければ、刀は拔(ぬけ)て、左右の手、ともに、指、一つ、二つ、落てけり。これに驚きて手を引たれば、大小の刀とも奪はれてけり。「口惜し」とて追ひ行(ゆく)に、中坂といふ所をさして逃げ行にぞ、「いづく迄も」と追ひかけて、あわひ[やぶちゃん注:ママ。]一間斗りに成りたるとき、左右の手に引(ひつ)さげたる大小の刀をもて、立(たち)かへり樣(ざま)にさしたれば、鍔もと迄、さし入(いり)てけり。此手にたまりあへず、しり居(ゐ)にふしければ、其ひまに、いづち、行けん、さし捨(すて)にして、影だに見へずなりぬ。されども未だ死にもやらず、よふよふに[やぶちゃん注:ママ。]あたりの辻番所に行て、我家にしらせて引とらせけり。たへて手かゞりなければ、何物といふことをしらず。日を經て死(しに)たれども、おしかくして、やみけりとぞ。餘りに不覺なる死(しに)をせしと、人々申(まうし)あへりける。
[やぶちゃん注:「飯田町」底本の朝倉治彦氏の補註によれば、『田安門外の北から爼板橋の間。町屋。いま千代田区の九段と富士見町とに渡る』とある。現在の靖国神社附近(グーグル・マップ・データ)。]