和漢三才圖會第四十三 林禽類 青䳡(やまばと) (アオバト)
やまばと 黃褐侯
青䳡【音錐】
【俗云也
末波止】
ツイン シユイ
本綱青鶴狀如鳩有白鳩綠鳩其聲如小兒吹竽今夏
月出一種糠鳩微帶紅色小而成群掌禹錫所謂青䳡秋
化斑隹恐卽此也好食桑椹及半夏苗
△按青䳡居山林而不移村里故俗呼曰山鳩狀如斑鳩
而項背深綠目前觜後至臆黃色臆有綠斑毛腹白有
綠文羽尾黑啄蒼脛掌紅其聲如言比宇比宇宛然似
小兒吹竽
本朝天子有稱山鳩色御衣綠黃而象此鳩乎
*
やまばと 黃褐侯〔(くわうかつこう)〕
青䳡【音、「錐〔(スイ)〕」。】
【俗に「也末波止」と云ふ。】
ツイン シユイ
「本綱」、青鶴、狀、鳩のごとく、白鳩・綠鳩、有り。其の聲、小兒の吹く竽(ふへ[やぶちゃん注:ママ。])のごとし。今、夏月、一種「糠鳩(こばと)」を出だす。微〔(かすか)〕に紅色を帶ぶ。小にして群れを成す。掌禹錫が所謂、「青䳡」〔は〕、秋、「斑隹〔(はんすい)〕」に化すといふ。恐くは、卽ち、此れなり。好んで桑の椹〔(み)〕及び半夏〔(はんげ)〕の苗を食ふ。
△按ずるに、青䳡〔は〕山林に居りて村里〔には〕移らず。故に、俗に呼んで「山鳩」と曰ふ。狀、斑鳩〔(はと)〕のごとくして項〔うなじ〕・背、深綠。目の前〔と〕觜の後〔ろより〕臆〔むね〕に至る〔まで〕黃色。臆に綠斑〔の〕毛有り。腹、白〔く〕綠文有り。羽・尾、黑。啄〔(くちばし)〕、蒼。脛・掌、紅なり。其の聲、「比宇比宇〔(ひうひう)〕」と言ふがごとし。宛-然(さながら)小兒の吹く竽〔(ふえ)〕に似たり。
本朝の天子、「山鳩色」と稱へる御衣〔(ぎよい)〕有り。綠黃にして此の鳩を象(かたど)るか。
[やぶちゃん注:ハト科アオバト属アオバト Sphenurus sieboldii。平塚市・大磯町をフィールドに持つアマチュア・バードウォッチングのグループ・サイト「こまたん」の「アオバトの形態」によれば、漢字名は「緑鳩」。『中国南東部・台湾・ベトナム北部に分布』し、『日本では留鳥、漂鳥として北海道から九州で繁殖し、北部のものは冬に南へ移動する。北海道では夏鳥、薩摩諸島、南西諸島では冬鳥』。『丘陵地から山地の林に生息し、群で行動することが多い。初夏から秋にかけて海岸に群をなして海水を飲みに来る習性があり、北海道小樽市張碓や神奈川県大磯、静岡県浜名湖などが有名な渡来地』。『記録は大隅諸島・伊豆諸島・小笠原諸島からもある』。『雌雄』、『ほぼ同色。成鳥雄では額と喉から胸は黄色ないし緑黄色。頭頂から背は緑灰色。中・小雨覆は赤紫で、大雨覆は緑褐色。腹からの体下面は淡い黄白色で、下尾筒は長く幅広い黒褐色の軸斑がある。成鳥雌は全体に雄より淡色で』、『中・小雨覆に赤紫色はない。嘴は柔らかく』、『青灰色。足はピンク。虹彩は外側が赤、内側が青』。『幼鳥は大雨覆の先端と次列風切の先端に淡黄色の部分が目立ち』、二『本の白い帯に見える。初期の頃は成鳥に比べて体全体が小さく』、『次列風切羽部分の翼の幅が狭く、嘴は青灰色ではなく、肉色である。飛んでいるとき尾羽は短く見える。雄の幼鳥は雨覆の赤紫の部分が』二~三『本の帯または』、『まだら模様に見える』。巣は『潅木・低木の小枝に薄っぺらい座(platform)を作』り、『白い』二『つの卵を抱く』。『繁殖期に』は『オーアオーアーーオーアオー』『などと鳴』き、『この他、早口でつぶやくように』『ポーポッポッポッポ』……『と鳴く』とある。
「其の聲、小兒の吹く竽(ふへ)のごとし」「竽」(ふえ)は「竿」ではない(たけかんむり)の下は「干」ではなく「于」である)ので注意。「笛」ではあるが、厳密には「竽(ウ)」と称する中国古代の管楽器を指す。形状は大きな「笙(しょう)」の笛といった感じで、音が低い。竹管全二十二本・十一本ずつの二列配置。戦国時代から宋まで使われたが、その後は使われなくなり、日本にも奈良時代に伝来したものの、平安時代には既に使われなくなった(ここはウィキの「う(楽器)」に拠った)。さて、先に引用した「こまたん」の終りにも鳴き声が音写されてあるが、You Tube のcaabj209氏の「アオバトの鳴き声…」を聴いてみると、う~ん、投稿者の『近所のお年寄りの方は不吉な鳴き声と考えています』という言い添えが、残念ながら、腑に落ちる感じがした。
「糠鳩(こばと)」固有の種名ではない。先の本第四十二の巻頭の「林禽類 斑鳩(はと) (シラコバト・ジュズカケバト)」の標題部の下部にある割注に『其子曰䳕鳩役鳩糠鳩』(其の子、「䳕鳩〔(ふきゆう)〕」「役鳩」「糠鳩〔(こうきゆう)〕」「卽皐〔(そくこう)〕」「辟皐〔(へきこう)〕」と曰ふ)とあったのを思い出されたい。なんのことはない、「子鳩」、アオバトの子の意である。
「掌禹錫」(しょううしゃく 九九二年~一〇六八年)宋代の官人で本草学者。官は尚書工部侍郞。「嘉祐補註本草」(別称「補註神農本草」)二十卷を撰した。ここに見るように、彼の諸記載はこの「本草綱目」にもしばしば引かれている。
「斑隹〔(はんすい)〕」時珍はこれが「糠鳩(こばと)」、アオバトの子を指しているというのである。因みに、実は良安は引いていないが、先の「斑鳩」の「本草綱目」の「集解」の冒頭にも、時珍の引用で『禹錫曰、斑鳩、是處有之春分化爲黃褐侯、秋分化爲斑䳡黃褐侯靑䳡也』と同類のことを言っている。これはしかし、親が産んだ子の出現のニュアンスでは最早なく、事実は変化(メタモルフォーゼ)するの謂いとしか読めない点は注意しておく必要がある。
「椹〔(み)〕」この単漢字で「桑の実」の意がある。
「半夏〔(はんげ)〕」既出既注であるが、再掲しておく。ここでは、コルク層を除いた塊茎を生薬で「半夏」と呼ぶ、単子葉植物綱オモダカ目サトイモ科ハンゲ属カラスビシャク(烏柄杓)Pinellia
ternata ととっておく。ウィキの「カラスビシャク」によれば、『鎮吐作用のあるアラバンを主体とする多糖体を多く含んでおり、半夏湯(はんげとう)、半夏瀉心湯(はんげしゃしんとう)などの漢方方剤に配合される。他にホモゲンチジン酸を含む。またサポニンを多量に含んでいるため、痰きりやコレステロールの吸収抑制効果がある。またかつては、つわりの生薬としても用られていた』。但し、『乾燥させず生の状態では』有毒劇物である『シュウ酸カルシウムを含んでおり』、『食用は不可能』とある。なお、真正和名が「半夏生」の双子葉植物綱コショウ目ドクダミ科ハンゲショウ属ハンゲショウ Saururus chinensis があるが、この記載は「本草綱目」なのでこれではない。
『俗に呼んで「山鳩」と曰ふ』現行では「山鳩」(ヤマバト)はキジバト属キジバト Streptopelia orientalis の異名であるので注意。
『「山鳩色」と稱へる御衣〔(ぎよい)〕』サイト「伝統色のいろは」の「山鳩色」で色を確認されたい。そこによれば、『山鳩の羽のような灰みの強い鈍い黄緑色のことです。山鳩とは青鳩のことで、色名はその羽の色に由来しています。「麹塵」や「青白橡」は同じ色であり、禁色(きんじき)における「青」をあらわす一般の使用が禁じられた色でした』。『ちなみに、天皇が平常着用された袍(ほう)の色で、「山鳩色の袍」または「麹塵の袍」「青白橡の袍」と呼ばれていたようです』とある。そこにも少し引かれているが、「平家物語」巻第十一の「先帝御入水(ごじゆすゐ)」での、安徳天皇の入水時の着衣である。一読、忘れ難いシークエンスであるので引いておく。底本はばらばらになるまで読んだ講談社文庫高橋貞一校注(昭和四七(一九七二)年刊)に拠ったが、漢字を恣意的に正字化し、一部の歴史的仮名遣の誤りを訂した。
*
主上(しゆしやう)、あはれなる御有樣にて、
「抑(そもそも)尼前(あまぜ)、われをばいづちへ具して行かんとはするぞ。」
と仰せければ、二位殿、幼(いとけな)き君に向ひ參らせ、淚をはらはらと流いて、
「君は未だ知(しろ)し召され候(さぶら)はずや。先世(せんぜ)の十善戒行(かいぎやう)の御力(おんちから)によつて、今(いま)萬乘(ばんじよう)の主(あるじ)とは生れさせ給へども、惡緣に引かれて、御運、既に盡きさせ候ひ給ひぬ。先づ、東(ひんがし)に向はせ給ひて、伊勢大神宮に御暇(おんいとま)申させおはしまし、その後(のち)、西に向かはせ給ひて、西方淨土の來迎(らいかう)に預(あづか)らんと誓(ちか)はせおはしまして、御(おん)念佛候べし。この國は粟散邊土(ぞくさんへんど)[やぶちゃん注:小さな辺鄙な国。]と申して、ものうき境(さかひ)にて候。あの波の下にこそ、極樂淨土とて目出度き都の候。それへ具し參らせ候ふぞ。」
と、樣々に慰め參らせしかば、山鳩色の御衣(ぎよい)に、鬢(びんづら)結(ゆ)はせ給ひて、御淚(おんなみだ)におぼれ、小(ちひ)さう美しき御手(おんて)を合(あは)せ、先づ、東(ひんがし)に向はせ給ひて、伊勢大神宮・正八幡宮(しやうはちまんぐう)に、御暇申させおはしまし、その後(のち)、西に向はせ給ひて、御念佛ありしかば、二位殿、やがて抱き參らせて、
「波の底にも、都の候(さぶらふ)ぞ。」
と慰め參らせて、千尋(ちひろ)の底にぞ沈み給ふ。
悲しき哉かな 、無常の春の風、忽ちに花の御姿をちらし、いたましきかな、分段(ぶんだん)の荒き波、玉體(ぎよくたい)を沈め奉る。殿(てん)をば「長生(ちやうせい)」と名づけて、長き住家(すみか)と定め、門をば「不老」と號して老いせぬ關(とざし)とは書きたれども、未だ十歳(じつさい)の内にして、底の水屑(みくづ)とならせ給ふ。十善(じふぜん)帝位の御果報、申すもなかなか愚かなり。雲上(うんしやう)の龍(りよう)降(くだ)つて海底(かいてい)の魚(うを)となり給ふ。大梵高臺(だいぼんかうだい)の閣の上、釋提喜見(しやくだいきけん)の宮(みや)の内(うち)[やぶちゃん注:大梵天王の居ます宮殿と帝釈天の居ます喜見城。宮城の比喩。]、古(いにしへ)は槐門棘路(くわいもんきよくろ)[やぶちゃん注:大臣・公卿。]の間(あひだ)に九族(きうぞく)[やぶちゃん注:一家一門。]を靡(なび)かし、今は船の中(うち)、浪の下に、御身を一時(いつし)に亡(ほろ)ぼし給ふこそ悲しけれ。
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