宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 岩手山
岩 手 山
そらの散亂反射(さんらんはんしや)のなかに
古ぼけて黑くえぐるもの
ひかりの微塵系列(みじんけいれつ)の底に
きたなくしろく澱(よど)むもの
[やぶちゃん注:本篇は読みを外すと、綺麗に一行字数が揃う。再現しておく。
*
岩 手 山
そらの散亂反射のなかに
古ぼけて黑くえぐるもの
ひかりの微塵系列の底に
きたなくしろく澱むもの
*
大正一一(一九二二)年六月二十七日の作。本書以前の発表誌等は存在しない。「手入れ本」では、
「ひかりの微塵系列の底に」を、
ひしめく微塵の深みの底に
とするが、一字出っ張るので私はよくないと思う。
「岩手山」(いわてさん)は奥羽山脈北部、二つの外輪山からなる標高二千三十八メートルの成層火山。岩手県の最高峰。
「古ぼけて黑くえぐるもの」と「きたなくしろく澱むもの」は、この短唱の中にあって、どきりとさせるものがある。何か私は不吉なものを感ずる。私はどこかで、この作品の創作クレジット、大正一一(一九二二)年六月二十七日が気になっている。実はこの後に続く本文の詩篇「高原」・「印象」・「高級の霧」も同日のクレジットを持つ。ここまでコンスタントに創作し続けてきた賢治なのであるが、その次の「電車」は大正一一(一九二二)年八月十七日の創作で、五十日ものスパンが空いている。既に賢治に詳しい方は知っておられようが、この間の妹トシの病態は思わしくなく、看病をしていた母イチが看病疲れから床に臥すようになったことから、七月六日、遂にトシを下根子桜にあった別宅へ移しているのである。これは偶然なのかも知れず、私の不吉な印象は全くの見当違いだとされる方も多いかも知れぬ。しかし、自然幻像を楽しむ賢治にして、「そらの散亂反射」や「ひかりの微塵系列」は彼の得意とする語感用法でありながら、そこの「なかに」「底に」、「古ぼけて」「黑く」「えぐるもの」、「きたなくしろく」「澱むもの」という感官を纏わせるのは特異的にネガティヴで今までの賢治のマジックのそれとは違う異質なものを私は感じるのである。但し、hamagaki氏は(「宮澤賢治の詩の世界」のサイト主)の「宮澤賢治全詩一覧」の一行コメントでは、『ほんとは愛している岩手山の否定的描写は、父への思いのようです』とある。それも肯んぜられる。]
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