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2018/11/28

宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 松の針

 

       松 の 針

 

  さつきのみぞれをとつてきた

  あのきれいな松のえだだよ

おお おまへはまるでとびつくやうに

そのみどりの葉にあつい頰をあてる

そんな植物性の靑い針のなかに

はげしく頰を刺させることは

むさぼるやうにさへすることは

どんなにわたくしたちをおどろかすことか

そんなにまでもおまへは林へ行きたかつたのだ

おまへがあんなにねつに燃され

あせやいたみでもだえてゐるとき

わたくしは日のてるとこでたのしくはたらいたり

ほかのひとのことをかんがへながら森をあるいてゐた

   ⦅ああいい さつぱりした

    まるで林のながさ來たよだ⦆

鳥のやうに栗鼠(りす)のやうに

おまへは林をしたつてゐた

どんなにわたくしがうらやましかつたらう

ああけふのうちにとほくへさらうとするいもうとよ

ほんたうにおまへはひとりでいかうとするか

わたくしにいつしよに行けとたのんでくれ

泣いてわたくしにさう言つてくれ

  おまへの頰の けれども

  なんといふけふのうつくしさよ

  わたくしは綠のかやのうへのも

  この新鮮な松のえだをおかう

  いまに雫もおちるだらうし

  そら

  さわやかな

  
terpentine(ターペンテイン) の匂もするだらう

 

[やぶちゃん注:本篇も大正一一(一九二二)年十一月二十七日、トシの死の当日のクレジットを持つ(トシはこの日の夜午後八時三十分、満二十四歳(十一月五日が彼女の誕生日であつた)で亡くなつた)。これは「永訣の朝」の冒頭に述べた通り、次の「無聲慟哭」でこのクレジットについては別に考証するものとする。本書以前の発表誌等は存在しない。トシの死の前後に状況は前の「永訣の朝」の私の注を参照されたい。特に全集からの二つ目の引用部に本シークエンスに相当する部分が現われる。この詩篇についても、こんなことはトシは実はしなかったのではないかというような考証を真面目腐ってやっているページを多く見かけるが、それが本当か虚構かを明らかにすることは、本詩篇をしみじみと味わうことから絶望的に遠く離れた行為であることに気づいていない彼らを私は心の底から哀れと思う。それは芥川龍之介が本当に河童の国へ行って「河童」を書いたかそうでないかを延々論議するどこかの国の不毛な国会質疑と同じ、実に馬鹿げたことである。

・「あのきれいな松のえだだよ」は底本では「あのきれいな松のえだよ」であるが、「えだよ」原稿は「えだだよ」で誤植。「正誤表」に載るので、訂した。

「そんなにまでもおまへは林へ行きたかつたのだ」/「おまへがあんなにねつに燃され」/「あせやいたみでもだえてゐるとき」/「わたくしは日のてるとこでたのしくはたらいたり」/「ほかのひとのことをかんがへながら森をあるいてゐた」及び後の「どんなにわたくしがうらやましかつたらう」賢治が自身が自らに望み而もあるべき(ゾレン:ドイツ語:Sollen:当為(とうい))と考えている行動や思想・詩想に対して、それにさえも自分勝手な(トシのことを忘れていた、或いは、忘れることで彼女の死を考えることの絶対の悲哀を拒否しようとしていた(忘れることはしかし実は出来なかった))自分を、どこか、暗に懺悔するというのは、賢治の詩篇はおろか、彼の実人生でも稀有のことだったと私は思っている。私のこの詩篇こそ、賢治の特異点と思うのである。

「ああいい さつぱりした」/「まるで林のながさ來たよだ」賢治によれば、

   *

ああいい さつぱりした

まるではやしのなかにきたやうだ

   *

である。

「ああけふのうちにとほくへさらうとするいもうとよ」/「ほんたうにおまへはひとりでいかうとするか」/「わたくしにいつしよに行けとたのんでくれ」/「泣いてわたくしにさう言つてくれ」これは賢治にして肉親への直截の懇請として特異点である。私は思って呟いても決して言葉に綴ることを憚る部類の言辞である点からも、極私的に、頗る特異点なのである。

「綠のかや」「かや」は蚊帳。「永訣の朝」の全集年譜の引用の後半の冒頭、『トシが病臥したのは、宮澤家が大正八年に買いとった隣りの佐藤友八家で、八畳七畳半の粗末な建物、これに廊下を通じて主家とゆききした。あるときは雨がもって大さわぎをしたし、すきま風になやまされるので八畳の病室は一年を通じて屏風を立て、蚊帳をつるありさま、その上、窓が高く小さく、暗く陰気で病人の気の晴れることはない』とある「蚊帳」である。

terpentine(ターペンテイン)」は一般には「テレピン油」(マツ科の樹木のチップ或いはそれらの樹木から得られた松脂を水蒸気蒸留することによって得られる精油。油絵具の薄め液・画用液として用いられることで知られ、塗料やワニスなどの工業溶剤として広く利用される)で、英語では「turpentine」であるが、これはドイツ語(正しくは頭文字は大文字で「Terpentine」)で発音は「テルペンティーン」「松脂」のこと。]

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