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2018/11/23

宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 銅線

 

      銅  線

 

おい、銅線をつかつたな

とんぼのからだの銅線をつかひ出したな

  はんのき、はんのき

   交錯光亂轉(くわうらんてん)

気圏日本では

たうたう電線に銅をつかひ出した

  (光るものは碍子

   過ぎて行くものは赤い萓の穗)

 

[やぶちゃん注:大正一一(一九二二)年九月十七日の作。本書以前の発表誌等は存在しない。全集年譜の複数の記載によれば、この日(日曜日)の午後、賢治は生徒五、六人を連れて、岩手山(標高二千三十八メートル)登山をしている。夕方に花巻から汽車で瀧沢まで行って(推定。なお、恐らく本篇はその車窓の景の嘱目を素材としたと思われる。後注参照)下車し、六時頃から「馬返し」(ここ(グーグル・マップ・データ))から登る現在の柳沢コース(同僚堀籠氏の回想による推定。「山渓」公式サイト内のこちらのコース行程図を参照)より登り始め、九合目の小屋で泊まっている。『その夜は旧暦八月十五日の満月で、岩手山頂上から拝むとおわんのような格好に見え、その中から仏さんが三体現われると』二年生の生徒であった藤原健太郎は賢治から『聞かされた』とある(但し、ここ(引用は読売編「啄木 賢治 光太郎」一〇五頁とする)には記憶の誤りがある。同日は旧暦八月二十日で、月齢は25.3、細くなり始めた下弦の月である。ページ」を見られたい)。因みにこの藤原健太郎という生徒はこの日、『汽車賃のないことを打ちあ』けていたが、賢治に『つれていってもら』ったもので、賢治は彼のために『おにぎりも持ってきてくれたという』(本「銅線」と次の「瀧澤野」は、その夜、生徒らが寝てから認められものかも知れぬ)。翌九月十八日(月)は、午前三時頃、賢治は『頂上近くで読経』している。『藤原は目ざめて提灯をもって登り』、賢治は『その後ろに立った。読経後スケッチブックに何か書きだす』とある。この最後のそれは、次の次に現われる「東岩手火山」パートの巻頭を飾る長篇詩「東岩手火山」に違いない(なお、既に夏休みは終わっており、この土・日登山というのは不審であるが、それを解明した記載をしているものは、ない。ギトン氏はこちらで、準学校行事として認められたものだったものかという仮定を立てておられるが、六人でそれは少し少な過ぎで無理があるようにも思われる。しかし『当時の畠山栄一郎校長(宮澤賢治に強く勧めて教諭に就職させた人)は、豪放磊落で懐の広い性格だったといいますから、これは十分にありうることです』というギトン氏の謂いもまた一方で頷ける気もする)。

・「はんのき、はんのき」が半角分上っているのはママ。原稿は次の行と同じ位置であり、植字ミスと断じてよい。「手入れ本」は宮澤家版が特異。以下に校本全集の注に書かれた内容の最終形と思しきものを再現して示す(植字ミスの半角は戻した)。

   *

 

          銅  線

 

    おい、銅線をつかつたな

    とんぼのからだの銅線をつかひ出したな

一部┃   はんのき、はんのき

  ┃   まさしく交錯光亂轉(くわうらんてん)

二部┃ 気圏日本では

  ┃ たうたう電線に銅をつかひ出した

三部┃   過ぎて行くのは白磁の碍子

  ┃   ひらめくものは赤い萓の穗

 

   *

「┃」は表記出来ないので、それぞれ一部・二部・三部の各部の間では繋がらず、二本ずつが繋がっている三本の線と見做してほしい。「一部・二部・三部」が校正的指示記号に過ぎないものと見做されるから、これは、『部』というのをソリッドな一組として指示していると考えるならば、一行空けが最も判り易いから、結果して私は、

   *

 

      銅  線

 

   はんのき、はんのき

   まさしく交錯光亂轉(くわうらんてん)

 

気圏日本では

たうたう電線に銅をつかひ出した

 

   過ぎて行くのは白磁の碍子

   ひらめくものは赤い萓の穗

 

   *

が賢治が思った改良形ではないかと考える。

「萓」既出既注。「萓」は「萱」の異体字。茅(かや)。既出既注。イネ科(単子葉植物綱イネ目イネ科 Poaceae)及びカヤツリグサ科(イネ目カヤツリグサ科 Cyperaceae)の草本の総称。細長い葉と茎を地上から立てる一部の有用草本植物のそれで、代表種にチガヤ(イネ科チガヤ属チガヤ Imperata cylindrica)・スゲ(カヤツリグサ科スゲ属 Carex)・ススキ(イネ科ススキ属ススキ Miscanthus sinensis)がある。

「銅線」松井潤氏のブログ「HarutoShuraの本詩篇の解説では、『秋、汽車の車窓から移り行く風景をながめていると、細長い「とんぼ」のからだが線状に流れるように思えたのを「銅線」としたのだろう。細長いからだも羽の模様も、とんぼには金属細工がよくはまるようにも思えてくる』と述べておられる。一方、ギトン氏はこちらから数回に亙って、この「銅線」はまずは、実際のそれを指示しているととって、以下のように述べておられる。『この作品「銅線」は、6行目の「電線に銅をつかひ出した」という驚きの表明が、詩句の中心となっていて、これは、私たちには不可解な感じを与えます。なぜなら、私たちの常識では、電線はすべて銅を使うもので、銅線でない電線などは考えられないからです』。『しかし、昔からそうではなかったのです。これを解明されたのは、加島篤氏の『童話「月夜のでんしんばしら」の工学的考察』で』、『加島氏によりますと、電信が日本で始まった1869』(明治元年~明治二年)『年以来、電信線には、鉄線(はりがね)が使われていました』。『硬銅線が初めて通信用に使用されたのは1890年』(明治二十三年)『で、その後、銅の電信線が増えましたが、1916年』(大正五年)『末時点でも、日本の電信線総延長(約172000km)の92.4%が鉄線だったのです』とある。『そして、加島氏によれば、ちょうどこの 1921年』(大正十年)『ころ、東北では、通信線を鉄線から銅線に付け換える工事が進行していたと推測されます』(以下はこちら)。『さて、賢治自身は、電灯線や送電線は銅線でできていることを知っていたでしょうけれども、同行の生徒たちは知らなかったかもしれませんね』。『岩手山麓へ向かう汽車の中で、ホトケさまの仏像を造るのと同じ銅でできているのだ!』『ほら、付け替えたばかりの新しい電線は、赤っぽく光ってるだろう!』『と賢治から聞いて、そんな高価なものを使っているのか!!、と言って、生徒たちは驚いたかもしれません』。『そのことと』、『ちょうど秋の野原では、赤銅色の赤とんぼ(アキアカネ)』(秋茜。トンボ目トンボ科アカネ亜科アカネ属アキアカネ Sympetrum frequens。日本特産種)『がたくさん飛びまわり、「赤い萓』『の穗」がゆれているのを見て、作者は、このおどけたスケッチを考えついたのではないでしょうか?』(ギトン氏はこの「萓」をススキに限定されている。赤蜻蛉なら確かにそれが相応しい)『走る列車から見はるかす広々とした気圏の中で、銅線のように細いたくさんの赤トンボや、ススキの赤い穂の波が、真新しい銅のようにきらきらと輝いています』。『そして、線路に沿って、どこまでも続いて行く電信線もまた、いまや綺麗な銅に取り換えられて光っているのです』と極めて映像的に美しく示され、さらにここは『「気圏」を飛び回る赤トンボを指して「銅線」と言っているのか、線路沿いの電信線を指して「とんぼのからだの銅線」でできていると言っているのか、よくわからないところがあります。そればかりか、「赤い萓の穗」も、赤銅色の細い線で、「銅線」でできているようです。そして、「碍子」が親しげに、きらっと光ります。ここには、きれいな銅の電信線に彩られながら、北上の田園風景の中を力強く疾駆する機関車、果てしなく延びて行く鉄道線路──当時の近代科学技術と工業化への憧れと期待が感じられないでしょうか?』『賢治の「イーハトーヴ」は、単なる自然一辺倒ではなくて、そうした科学技術と近代化によって支えられていこうとする世界なのだと思います』。『それが、「気圏日本」と』、『やや、はにかみまじりに』、『賢治が愛称する故郷だったのだと思います』と本篇の鑑賞を締め括っておられる。美事な解釈である。

「はんのき」「榛の木」。既出既注。ブナ目カバノキ科ハンノキ属ハンノキ Alnus japonica

「交錯光亂轉(くわうらんてん)」松井潤氏の解説では、これを「交錯し」、「光」が「乱転す」るの意とされ、これは、『古代インドの仏教僧、天親が、弥陀の浄土のさまを描いた中に出てくる句のようだ』。『車窓からの景色の賢治らしい表現だ。電柱の碍子は光りを浴び、赤い萱の穂も後ろへ去っていく。「気圏日本」は、段階的に拡大する宇宙の部分としての日本。銅線も、賢治の宇宙観のなかにある』と結ばれおられる。ギトンで、これは、大乗仏教僧の世親(ヴァスバンドゥ)』(彼は尊称を「天親菩薩」とも言う)『が「無量寿経」を解説した「往生論」の一節であると指摘されている。調べて見ると、

   *

寶華千萬種 彌覆池流泉 微風動華葉 交錯光亂

   *

とある。ギトン氏は続けて、『これは、世親が、阿弥陀浄土のありさまを想像して描いている中の一部で、阿弥陀浄土には、美しいハスの花が一千万種あって、池や川や泉をあまねく覆っている。そよ風が吹いて、水辺のハスの葉を動かすと、光が入り乱れてきらきらと輝く』という意味だとされた上で、「往生論」は『日本では、浄土宗や浄土真宗で重く用いられている聖典でして、日蓮宗には関係ないのですが』(私が原典を見たのも浄土真宗のデータベース内である)、『賢治は、世親の著作には関心を持っていたようで、「青森挽歌」で、世親の『倶舎論』に基いて死後の世界を考えたりしています』。『ともかく、ここではハンノキの葉が風に吹かれて光るようすを「交錯光乱転」(光が入り乱れて、極楽浄土のように、きらきら輝く)と言っているわけです』とされる。]

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