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2018/11/08

宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 谷

 

      

 

ひかりの澱

三角ばたけのうしろ

かれ草層の上で

わたくしの見ましたのは

顏いつぱいに赤いうち

硝子樣(やう)鋼靑のことばをつかつて

しきりに歪み合ひながら

何か相談をやつてゐた

三人の妖女たちです

 

[やぶちゃん注:大正一一(一九二二)年四月二十日の作。本書以前の発表誌等は存在しない。末尾二行を削除した跡が残る本書用原稿があるので、以下に示す(促音は全集のママ)。

   *

 

      谷

 

ひかりの澱

三角ばたけのうしろ

かれ草層の上で

わたくしの見ましたのは

顏いつぱいに赤いうち

硝子樣(やう)鋼靑のことばをつかつて

しきりに歪(ゆが)み合ひながら[やぶちゃん注:ルビは本書では生かされていない。]

何か相談をやってゐた

三人の妖女たちです

ちらちら南の紺沃度(こんようど)の地平線を見てゐましたよ

わるいでせうか

 

   *

「紺沃度(こんようど)」ここは空と地平の間合いの色を示している。「沃度」はヨード(ヨウ素)であるが、ヨードは単体の気体では紫色で、御存じの液体(但し、概ね、単体ではなく「ヨウ素液」=ヨウ素ヨウ化カリウム溶液)では褐色である。篇中の時制がよく判らぬが、谷がロケーションで、「ひかりの澱」(「澱」は「おり」或いは「よどみ」であるが、時制を考証するに際しては、そこに沈んでたまさかに積り残っている残光の「おり」の方が都合がいい。「よどみ」を否定するものではないが、「よどみ」だと、朗読の際の初発の音としてはやや締りに欠く気がする)ときて、以下の描写や幻想性から察するに、夕刻と読めるように思う。紫紺色でも紺色がかった褐色でも孰れもイメージとしては悪くないが、逢魔が時なら、前者の方が少し慄っとする素敵な切れ味がある。

 なお、宮澤家本「手入れ本」では、全面に斜線で削除意向を示し、行方不明の方の藤原嘉藤治所蔵本では、最終行を「三人の老いた妖女たちでした」と修正しつつも、やはり削除を示す全行上方の赤い弧線がある

「三角畑」固有や通称地名ではなく、定型を成さない耕地面積の非常に狭い、谷の奥に作られた貧農のちっぽけな三角形の畑であろう。もう誰も耕してはいないのかも知れない。

「顏いつぱいに赤いうち」気持ちの悪い、赤く爛れた小さな腫れ物・おできの類いであろう。妖婆の馴染みのアイテムである。

「硝子樣(やう)鋼靑」私はこれで賢治の造語した一単語と採り、「ガラスやうこうせい(ガラスようこうせい)」と読みたい(当初、「こうじや(こうじょう)」と読もうと思ったが(群青(ぐんじょう)の例がある)、だったら彼はルビを振るだろうと考え直した)。「鋼靑」とは恐らく、青鋼(あおはがね/あおこう)は別名「青紙」とも呼ばれるそれであろう(白鋼にクロムとタングステンなどを加えて熱処理特性や耐摩耗性を強化した最高級の鋼で、刀や包丁に使われる。下級のものに白鋼・黄鋼があり、これら「青紙(あおがみ)」・「白紙」・「黄紙」と呼ぶこともあるが、これは實光包丁職人ブログ」のこちらの記載を読むと、昔、金属会社で『製造した鋼を区別する時に青い紙、白い紙、黄色い紙を貼って目印にしていたからと言われ』、『色自体に意味は』ないあるから、高級な鋼を叩いた時のような、非常に高く、ガラスのような透明感のある、独特の金属的な響きを指していると考える。

「歪み合ひながら」妖女(原稿からはより効果的に醜い老婆)が如何にも怪しい顔で(老婆ならいつものそれをより皺くちゃにして)話し合っているのを、物理的に「否(ゆが)み合ひながら」(原稿)とするのは感覚的には腑に落ちる。それが素直な「相談」ではなく、喋くりが自己主張となり、相手を罵るようなニュアンスへと転ずるとならば、話し合い自体が「歪み合」うというのも、これまた、腑に落ちる連想である。而して、この妖女(老婆)たちが、逢魔が時の妖しい時刻に、何か、意味あり気に交わしている、その「相談」なるものが「歪」んだ、則ち、「正しくない」性質の謀議である、或いは、不吉なやりとしてであるとすれば、「歪」の字は、ますます、この描かれた画面に感染増殖する漢字として、特異的に機能することが判る。

「三人の妖女たち」「ひかりの澱」んだ谷の、見捨てられた「三角畑」の、そのまた後ろの昏いところの、枯草が谷の湿気に饐えているその上で(「で」だと作者がそこにいるようにも読めるが、ここはそこに彼女たちがいると私は採る)、顔に赤く膿んだ汚いできものを一杯こしらえている、硝子のような、透き通った、突き刺すような、鋼のようにキンキンとする声で話し合っている、「三人の妖女たち」、それは顔の醜さからも原稿にある通り、「老婆」である、鬼婆である、とすれば、これは誰もが、かのシェイクスピアの「マクベス」の冒頭に荒野に出現する、「綺麗は汚い、汚いは綺麗」の三婆の魔女を思い出すし、賢治の目論みも、まず、そこにあると考えてよかろう。

 

 綠蔭に三人の老婆わらへりき   西東三鬼

 

三鬼の俳句を知らぬ方は、どうぞ、やぶちゃん正字化版西東三鬼句集或いはブログ・カテゴリ「西東三鬼」へ参られよ。]

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