宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 小岩井農塲 パート三
パート三
もう入口だ〔小岩井農塲〕
(いつものとほりだ)
混(こ)んだ野ばらやあけびのやび
〔もの賣りきのことりお斷り申し候〕
(いつものとほりだ ぢき醫院もある)
〔禁獵區〕 ふん いつものとほりだ。
小さな澤と靑い木(こ)だち
澤では水が暗くそして鈍(にぶ)つてゐる
また鐵ゼルの fluorescence
向ふの畑(はたけ)には白樺もある
白樺は好摩(こうま)からむかふですと
いつかおれは羽田縣屈に言つてゐた
ここはよつぽど高いから
柳澤つづきの一帶だ
やつぱり好摩にあたるのだ
どうしたのだこの鳥の聲は
なんといふたくさんの鳥だ
鳥の小學校にきたやうだ
雨のやうだし湧いてるやうだ
居る居る鳥がいつぱいにゐる
なんといふ數だ 鳴く鳴く鳴く
Rondo Capriccioso
ぎゆつくぎゆつくぎゆつくぎゆつく
あの木のしんにも一ぴきゐる
禁獵區のためだ 飛びあがる
(禁獵區のためでない ぎゆつくぎゆつく)
一ぴきでない ひとむれだ
十疋以上だ 弧をつくる
(ぎゆつく ぎゆつく)
三またの槍の穗 弧をつくる
靑びかり靑びかり赤楊(はん)の木立
のぼせるくらゐだこの鳥の聲
(その音がぼつとひくくなる
うしろになつてしまつたのだ
あるひはちゆういのりずむのため
兩方ともだ とりのこゑ)
木立がいつか並樹になつた
この設計は飾繪(かざりゑ)式だ
けれども偶然だからしかたない
荷馬車がたしか三臺とまつてゐる
生(なま)な松の丸太がいつぱいにつまれ
陽(ひ)がいつかこつそりおりてきて
あたらしいテレピン油の蒸氣壓(じやうきあつ)
一臺だけがあるいてゐる。
けれどもこれは樹や枝のかげでなくて
しめつた黑い腐植質と
石竹(せきちく)いろの花のかけら
さくらの並樹になつたのだ
こんなしづかなめまぐるしさ。
この荷馬車にはひとがついてゐない
馬は拂ひ下げの立派なハツクニー
脚のゆれるのは年老つたため
(おい ヘングスト しつかりしろよ
三日月みたいな眼つきをして
おまけになみだがいつぱいで
陰氣にあたまを下げてゐられると
おれはまつたくたまらないのだ
威勢よく桃いろの舌をかみふつと鼻を鳴らせ)
ぜんたい馬の眼のなかには複雜なレンズがあつて
けしきやみんなへんにうるんでいびつにみえる……
……馬車挽きはみんなといつしよに
向ふのどてのかれ草に
腰をおろしてやすんでゐる
三人赤くわらつてこつちをみ
また一人は大股にどてのなかをあるき
なにか忘れものでももつてくるといふ風(ふう)…(蜂凾の白ペンキ)
櫻の木には天狗巢病(てんぐすびやう)がたくさんある
天狗巢ははやくも靑い葉をだし
馬車のラツパがきこえてくれば
ここが一ぺんにスヰツツルになる
遠くでは鷹がそらを截つてゐるし
からまつの芽はネクタイピンにほしいくらゐだし
いま向ふの並樹をくらつと靑く走つて行つたのは
(騎手はわらひ)赤銅(しやくどう)の人馬(じんば)の徽章だ
[やぶちゃん注:〔 〕はママ。指示板の文字をこれで示した。
「「混(こ)んだ野ばらやあけびのやび」「やび」はママ。原稿は「やぶ」。誤植。「正誤表」にはない。
・「いつかおれは羽田縣屈に言つてゐた」「屈」はママ。原稿は「羽田縣※」(「※」=(上)「尸」+(下)「虫」)。この「※」は「屬」(属)の異体字であるから、「屈」は誤植である。「正誤表」にはない。「羽田」は人名で「はだ」と読み(後述)、「縣屬」(県属(けんぞく))とは旧県に於ける行政組織に於いて事務を取り扱う役人のことを指した。なお、宮澤家版「手入れ本」ではここが「羽田縣視學」となっている。「視學」は同じく当時の地方教育行政官で市視学・郡視学・府県視学があった。学事の視察及び教育指導に当たった。 現在の県教育委員会の指導主事に相当するので、県属には違いない。
・「あるひはちゆういのりずむのため」「あるひは」はママ。正しい歴史的仮名遣は「あるいは」であるが、古典や明治・大正期の作家でも「あるひは」「或ひは」と表記する作家はすこぶる多いから、違和感は殆んどない。
・「なにか忘れものでももつてくるといふ風(ふう)…(蜂凾の白ペンキ)」の三点リーダ一字分は底本のママである。原稿もママである。思うに、丸括弧を入れて本文二十八字(丸括弧は実際上は半角相当であるから二十七字分となる)というのは、本底本の一行字数では最長で、ページ組版から視認しても、ここまでが、通常の組版の下限限界ではある。原稿もそうなっているというのは、或いは印刷所とのやり取りによって事前に、最大一行字数が通知されていたからかも知れない。
「あけび」キンポウゲ目アケビ科 Lardizabaloideae 亜科 Lardizabaleae 連アケビ属アケビ Akebia quinata。小さな頃は、家の周囲の山で近所のお兄さんたちが高木に登って採ってきては食わして呉れたものだった。今、ラップに包んでスーパーに売られているのを見ると、私は何故か哀しくなるのを常としている。
「鐵ゼルの fluorescence」「鐵ゼル」は「鐡ゲル」であろう(原稿が「ゲル」を「ゼル」に書き換えてある)。「ゲル」(Gel)は賢治の好んだ多数既出の「ゾリ」=コロイド溶液が流動性を失ってゼリー状となったもの。例えば通常は、固まった寒天・豆腐・蒟蒻(こんにゃく)などのゼリー状に固まった様態を示すもの。高分子物質又はコロイド粒子が、その相互作用により、全体として網目構造を形成し、溶媒又は分散溶媒である液相部分を多量に含んだまま、それまであった流動性を失った状態を指す。「鉄ゲル」というのは恐らく、塩化鉄(Ⅲ)(FeCl3。旧塩化第二鉄)等の三価鉄イオンの水溶液にアルカリを加えると生じる水酸化鉄(Ⅱ)(Fe(OH)2)のコロイド水溶液或いはコロイド状沈澱のことと思われる。錆を溶かしたような褐色を呈したり、澱が沈む。前にも引かせて戴いた「ギトンの読書室」内の「ゆらぐ蜉蝣文字」の「□第3章 小岩井農場」の記載を参考にさせて戴いた。それによれば、『この沈澱の化学組成は、より正確には、酸化水酸化鉄(Ⅲ)または酸化鉄(Ⅲ)の水和物(Fe2O3・nH2O)と考えられてい』るとある)。また、同サイトには、そこからリンクしてカテゴリ「宮沢賢治作品の参考画像」の「鉄コロイド」が、いろいろな画像で我々の今一つ判り難いものを掲げて説明して下さっている。必見。「fluorescence」は物理用語で「蛍光(性)」・「蛍光発光」を指す。カタカナ音写は「フルアレスンス」。但し、上記のコロイド溶液や沈殿が蛍光するとは思えないから、これは太陽光を受けた褐色のそれの輝きを言っただけのことか?
「白樺」ブナ目カバノキ科カバノキ属シラカンバ日本産変種シラカンバ Betula platyphylla var. japonica。
「好摩(こうま)」岩手県盛岡市好摩。小岩井農場の東北十八キロメートルほど。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「羽田縣屈」岩手県稗貫(ひえぬき)郡(現在の花巻市の一部)担当の視学であった羽田(はだ)正。
「柳澤つづきの一帶だ」「柳澤」は次の「好摩」との位置関係から、現在の岩手県滝沢市(小岩井農場の北端が接する)柳沢附近と比定出来る。ここ(グーグル・マップ・データ)。なお、宮澤家「手入れ本」ではこの一行を縦線で抹消している。
「Rondo Capriccioso」ほぼ一字分の字空きはママ。これは、ドイツ・ロマン派の作曲家フェーリクス・メンデルスゾーン(Jakob Ludwig Felix
Mendelssohn Bartholdy 一八〇九年~一八四七年)が一八二四年に作曲した「ロンド・カプリッチョーソ Op.14 U 67 ホ長調」(Rondo
capriccioso
E-Dur Op.14 U 67)で、原曲はピアノ独奏曲である。スティンガー氏のブログ「東京漂流瓶集配局」の「宮沢賢治と音楽」に、原曲は『鷹揚で典雅な導入と劇的な起伏をもつ豊かな曲』とされて、You Tube の「Murray Perahia plays
Mendelssohn's Rondo Capriccioso (1974)」の音源を引いておられ、さらに、『ところが賢治先生愛聴の吹奏楽バージョンは『Rondo capriccioso Vessella’s
Italian Band 1912-11-05|The Library of Congress >
National Jukebox』で、『すっとんきょうかつキュート! なんだこれなんだこれ』という感じで、『これが「鳥の小学校」「ぎゆつくぎゆつく」ってことなのかー!と、驚愕の理解および納得を得た』と述べられ、『この』二『つのバージョンの差がほんとに面白いから、できれば両方聴いてみてもらえるとうれしい』、『詩の字面から受けるイメージが、ガラガラ音を立てて変わ』る、『たとえタイトルが同一でも、演奏者も編曲も音源もぜんぜんちがうんだから、自分の知ってる曲(と同じようなもの)だと思ってちゃいけないんだ!』という感懐を記されておられる。確かに!!! それをさまざまな鳥のけたたましい自分勝手な囀りの形容に用いたものである。これは確かに度胆の後者であろう。「ぎゆつくぎゆつくぎゆつくぎゆつく」のオノマトペイアの意味が、説明なしで判る!!!
「木のしん」「木の芯」? 一本の木の主幹軸の蔭の謂いか。
「禁獵區のためだ」とあって「(禁獵區のためでない ぎゆつくぎゆつく)」というのは後者が、丸括弧で括られ、「ぎゆつくぎゆつく」と併置されていることから、鳥たちが賢治の言った人間が都合で保護占有し得たと思っている「禁獵區のためだ」という愚かさを、指弾している囀りの訳語だからである。なお、この鳥をムクドリ(スズメ目ムクドリ科ムクドリ属ムクドリ Sturnus cineraceus)一種に限定している記載を見かけたが、確かに、彼らは鳴き声の音写は「ギャーギャー」「ギュルギュル」「ミチミチ」などであるから、この「ぎゆつく ぎゆつく」という独特のオノマトペイアとの親和性はあり、夜には一ヶ所に集まって塒(ねぐら)を形成し、冬場などには数万羽の大群となったり、河原の広葉樹や人家の竹藪に蝟集しはする。けれども、この詩篇の時制は昼間であるし、私はどうも、これらの鳥をムクドリ一種とする考えはどうか? という気もしないではない。但し、「一ぴきでない ひとむれだ」「十疋以上だ 弧をつくる」と言うあたりからは、主体はムクドリの群れで構わぬとは思う。
「三またの槍の穗」「三叉(みつまた)の槍(やり)の穗(ほ)」で、飛翔する鳥の形を、所謂、ポセイドンの持つ「トライデント(trident)」(三叉戟(さんさげき))の穂先に形象化したしたもの。
「靑びかり」これは鳥たちの翅と青空の煌めきを謂うか。
「赤楊(はん)」榛(はん)の木の別名。ブナ目カバノキ科ハンノキ属ハンノキ Alnus japonica。「赤」は、冬に楕円形を呈する雌花穂が咲くが、それが紅紫色を帯びるからか(因みに、材色は伐採直後は鮮やかなオレンジ色であるが、片材は淡黄褐色、心材はくすんだ褐色を呈するようなる)。
「その音がぼつとひくくなる」/「うしろになつてしまつたのだ」ここはドップラー効果(Doppler effect/Doppler shift)のことを言っているようである。
「あるひはちゆういのりずむのため」同時に、何らかの外敵・変異を感得して、囀りが警告音に変わったからと添える。
「木立がいつか並樹になつた」宮澤家「手入れ本」ではここから最後まで全三十八行に斜線を附して全カットしている。
「生(なま)な松の丸太がいつぱいにつまれ」/「陽(ひ)がいつかこつそりおりてきて」/「あたらしいテレピン油の蒸氣壓(じやうきあつ)」前二行の実景及びその伐採された松材(恐らくは間伐材)の丸太に当たる陽の光りに蒸されて匂い立つ様子から、詩人はテレピン油(テレビンゆ:turpentine:テレビン油・ターペンタイン:マツ科Pinaceaeの樹木のチップ或いはそれらの樹木から採取された松脂を水蒸気蒸留することによって得られる精油)のそれを嗅ぎ分けようとする。
「けれどもこれは樹や枝のかげでなくて」/「しめつた黑い腐植質と」/「石竹(せきちく)いろの花のかけら」/「さくらの並樹になつたのだ」「石竹いろ」はセキチク(ナデシコ目ナデシコ科ナデシコ属セキチク Dianthus chinensis)の花のような淡紅色・ピンク色を指す。しかし、ここはすんなりと読ませて呉れない。それは逆接の接続詞「けれども」で論理的な意味で対応する前景(ここまでのプロムナード)と、それに逆接する「これ」の指示語が示す対象景(以下の軟らかく湿った腐植土質に植えられた桜並木のプロムナード)を即座に読者が想起出来にくいからである。それはとりもなおさずこの「けれでも」「これは」という論理指示の硬い語句による弊害である。寧ろ、直後の「こんなしづかなめまぐるしさ。」によって、それが腑に落ちるという形をとるが、どうもリズムが鈍ってよくない気が私はする。
「拂ひ下げ」小岩井農場が、この民間の材木屋或いは荷馬車屋に、老齢故に売り渡した「ハツクニー」(「パート一」で既出既注)。
「ヘングスト」Hengst。ドイツ語で、「繁殖用の牡馬・種馬」のこと。『盛岡タイムス』の「Web
News」(二〇一一年 八月六日号)の元小岩井農場展示資料館館長岡澤敏男氏の「〈賢治の置土産~七つ森から溶岩流まで〉」(二百二十三回)の「ヘングスト」に、『この馬車を引くハクニー(ハツクニー)の老挽馬も、昔はさぞかし』、『名のある種馬だったのだろうと』、『〈貴種流離譚〉もどきにヘングストと呼びかけたので』あろう、『だから自負心を忘れないように「しつかりしろよ」と励まし、「威勢よく桃いろの舌をかみふつと鼻を鳴らせ」と叱咤しているの』だと記されてさらに、『賢治がハクニーの老挽馬にヘングストと名付けたのは、小岩井農場で活躍した名種馬ブラック・パフォーマー号を比喩してのことだったのではなかろうか』と述べられ、『ブラック・パーフォーマー号は小岩井農場が明治』三五(一九〇二)『年にイギリスから導入したハクニー種牡馬、大正』一〇(一九二一)『年まで』、『種付用に供されており、その産駒は農場産』百四十一『頭、場外産』八十二『頭という功績を残した名馬で』あった。『賢治が「小岩井農場」を書いたのは大正』一一(一九二二)年五月の『ことなので、ブラック・パーフォーマー号もすでに引退して払下げられ』、『松丸太の挽馬になったものと見立てたので』あろうと思われ、『それだから』、『尊称を秘め』、『ドイツ語で〈ヘングスト〉と呼び掛けたの』だとされる。同感できる。以下、『賢治はハクニーに特別の価値観をもっていたことを「小岩井農場」パート一に表明してい』るとして、「パート一」の当該箇所を引かれた上で、『その価値観に存在するのは小岩井農場がつくりあげた「小岩井ハクニー」と称されるハクニー改良種だったとみられ』、『「小岩井ハクニー」はサラブレッド種とハクニー種の交雑で、サラブレッド種の血液25%を保持するように配合されたハクニー改良種で』、『軽挽馬として理想に近い体型といわれ』、当時の『時勢に合っていて、種牡馬あるいは中間種の繁殖用として好評で』、『その需要が急速に高まった』こと『から、馬好きの賢治は四肢端正な「小岩井ハクニー」のコップ型体型にすっかりほれ込んだものと思われ』ると記しておられる。賢治と「ハツクニー」の「ヘングスト」の心の交感を評されていて、美事である。机上で独楽(いや、この場合「駒」か)回ししている文学研究者にはこうは書けない。
「ぜんたい馬の眼のなかには複雜なレンズがあつて」/「けしきやみんなへんにうるんでいびつにみえる……」個人ブログ「藍よりも青し」の「小岩井農場 パート3~」に、『馬の眼は焦点の合わせ方が人間とは違い、また』、『目の筋肉があまり発達していないため』、『焦点のゆがみを利用しながら、顔を動かしピントを合わせてい』るとあり、『それ以外の部分は歪んで見えるところを賢治は述べているので』あろうとある。文字通り、眼から鱗!
「なにか忘れものでももつてくるといふ風(ふう)…(蜂凾の白ペンキ)」現存する「下書稿」(完品(全原稿揃い)ではない)では、同原稿現存二枚目は「何か忘れ物でも持つて來るといふ風だ。」と書いて(十九行目)、残りの原稿用紙三分の二を空白のままに終わっている。これを見るに、少なくとも下書きの想案では賢治は、ここにさらに長いシークエンスを持ち込むつもりだったのではないかと推察することが可能である。さればこの暗号のような点景「蜂凾の白ペンキ」はその原シークエンスの中の一種のランドマークと考えてよかろう。「蜂凾」は「ほうくわん(ほうかん)」と音読みしたい。「凾」は「函」と同じいから、れは蜂養用の巣箱のことである。それに塗られた白いペンキが、陽を照り返して光っているというのである。これは何か、ひどく、そそる表象ではある。私の中にもそれは、ある秘密めいたものとして、ある。しかし、賢治のそれが何を象徴しているかは、永遠の謎である。「下書き稿」のそれは「宮澤賢治の詩の世界」のこちらを参照されたい。
「天狗巢病(てんぐすびやう)」「日本花の会」公式サイト内の「サクラてんぐ巣病」によれば、これは『カビの一種が原因で発生する伝染病で、病気にかかった枝についた葉の裏面に形成された病原菌の胞子が、空気中に飛んで感染していきます。感染すると枝が異常に発生して、花が咲かなくなる病気です。放置しておくと』、『感染した枝はやがて衰弱し、枯死してしまいます』。『染井吉野の場合、病気にかかった枝は、開花時に葉が出るのでよく目立ちます』。『現時点では薬剤での防除方法が確立されていないため、病巣部を切除するしか有効な対策はありません。作業は落葉期間中に行います』。一『度の除去作業では取り残しなどがあるため、最低』三『年間は継続して除去作業を行うことが重要です。桜の中でも染井吉野は感染しやすい品種なので、周辺にこの病気にかかった桜がある場合にはこの品種を避けることや、病巣部の切除作業が出来ない場所には植えないことも一つの方法です』とある。ウィキの「てんぐ巣病」には、『植物病害の一種で、植物(多くは樹木)の茎・枝が異常に密生する奇形症状を示すものの総称である。高い木の上に巣のような形ができるため』、『この名がある。英語ではwitch's broom もしくはwitches' broom(魔女のほうき)という』。『直接の原因としては、植物ホルモンの異常が考えられる。通常は、頂芽から出るオーキシンがその下の腋芽の生長を抑えている(頂芽優勢)。しかしオーキシンに拮抗するサイトカイニンの量が多くなると、多くの芽が一度に生長することとなり、天狗巣症状が現れる』。『これを起こす原因は様々で、菌類、昆虫、線虫、ファイトプラズマ、ウイルスなどがある。特に子嚢菌類タフリナ科に属するサクラのてんぐ巣病菌』(菌界タフリナ菌亜門タフリナ菌綱タフリナ目タフリナ科タフリナ属サクラノテングスビョウキン Taphrina wiesneri)『がよく知られる。日本では、他にバッカクキン科の糸状菌・タケのてんぐ巣病菌』(菌界子嚢菌門チャワンタケ亜門フンタマカビ綱ボタンタケ目バッカクキン科 Aciculosporium 属タケノテングスビョウキン Aciculosporium take)『もタケノコの生産に支障をきたすために問題化している』とある。
「馬車のラツパがきこえてくれば」何度か引かさせて戴いている、ギトン氏の「ゆらぐ蜉蝣文字の「□第3章 小岩井農場」のこちらによれば、この「馬車のラツパ」は先にも注で指摘した、『小岩井農場の場内を走っている軌道式の《馬トロ》が、停車場に近づいた時に鳴らす笛を指して』おり、実際には『トランペットやホルンではなく、豆腐屋の笛(チャルメラ)だった』とある(ギトン氏は優れた宮澤賢治研究をなさっておられる。但し、リンク先には男性の同性愛が苦手な方は注意されたい。上記リンク先にも美少年の美しいヌード写真が冒頭にどんと添えられているから。私は全く平気であるが)。
「スヰツツル」はスイス(Switzerland)のこと。英語のそれの「land」を外せば、音写は「スゥィトゥサァル」となる。ドイツ語やスイスドイツ語の「Schweiz」でもよいが、これは音写は前者が「シュバイツ」、後者が「シュウィーツ」であるから、英語の音写と考えた方がよかろう。
「截つて」「たつて(たって)」。
「(騎手はわらひ)赤銅(しやくどう)の人馬(じんば)の徽章だ」ギトン氏の「ゆらぐ蜉蝣文字」の「□第3章 小岩井農場」のこちら(先のページとは異なる)では、『「人馬の徽章」は、馬と騎手、あるいは人馬ケンタウロスをデザインした徽章か商品マークが、当時あったのかもしれませんが、いまのところ見つけられません。ネット検索では、現・陸上自衛隊第1師団第1戦車大隊(静岡県御殿場市)が、ケンタウロスをあしらったシンボルマークを持っていることしか分かりませんでした』とあり、以下、本最終行について、『疾駆する馬と若い騎手の汗が混じり合った濃厚な匂いが、吹きつけて来そうです』。『ところで、この“疾駆する馬と騎手”ですが、実景をスケッチしたとすれば、単なる乗馬ではなく、競走馬を訓練している風景であるはずです。じっさい、当時、小岩井農場はサラブレッドなどの競走馬の育成に力を入れており、競走馬は、農場財政を支える最大の収入源でした』。『当時、《農場本部》の東側には《育馬部》があり』(先に引いたsuzukikeimori氏のブログ「宮澤賢治の里より」の「155
小岩井農場(その1)」の旧地図で地図中央位置に「育馬部」の表示を確認出来る)、『周辺に4ヶ所の馬場が設けられていました』(以下にあるギトン氏の別ページへのリンクを附す。写真ページがこちら、地図ページがこちらである。前者には先に出た鉄道馬車のラッパの現物画像もある)。但し、その後、『育馬部は、戦後GHQの政策で廃止され、大清水の』二『つの馬場があった部分は、農地解放により』、『農場外に払い下げられました(農場展示資料館の展示解説による)。そして、農場全体も、現在の乳製品生産を中心とする経営に推移していきます』。『作者が、どの馬場の訓練風景を見たのかは分かりませんが、いずれにしろ、この「パート』三『」の末尾の場所にそのスケッチを挿入しているのは、“見たまま”の順序ではなく、スケッチの“編集”があると思わなければならないでしょう』とある。ギトン氏の痒いところに手が届く解説に頭が下がる。]
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