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2018/11/17

宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 小岩井農塲 (パート五)(パート六) パート七

 

       パート五 パート六

 

 

        ート七

 

とびいろのはたけがゆるやかに傾斜して

すきとほる雨のつぶに洗はれてゐる

そのふもとに白い笠の農夫が立ち

つくづくとそらのくもを見あげ

こんどはゆつくりあるきだす

 (まるで行きつかれたたび人だ)

汽車の時間をたづねてみやう

こゝはぐちやぐちやした靑い濕地で

もうせんごけも生えてゐる

 (そのうすあかい毛もちゞれてゐるし

  どこかのがまの生えた沼地を

  ネー將軍麾(き)下の騎兵の馬が

  泥に一尺ぐらゐ踏みこんで

  すぱすぱ涉つて進軍もした)

雲は白いし農夫はわたしをまつてゐる

またあるきだす(縮れてぎらぎらの雲)

トツパースの雨の高みから

けらを着た女の子がふたりくる

シベリヤ風に赤いきれをかぶり

まつすぐにいそでやつてくる

Miss Robin)働きにきてゐるのだ

農夫は富士見の飛脚のやうに

笠をかしげて立つて待ち

白い手甲さへはめてゐる、もう二十米だから

しばらくあるきださないでくれ

じぶんだけせつかく待つてゐても

用がなくてはこまるとおもつて

あんなにぐらぐらゆれるのだ

 (靑い草穗は去年のだ)

あんなにぐらぐらゆれるのだ

さわやかだし顏も見えるから

ここからはなしかけていゝ

シヤツポをとれ(黑い羅沙もぬれ)

このひとはもう五十ぐらゐだ

 (ちよつとお訊(ぎ)ぎ申しあんす

  盛岡行ぎ汽車なん時だべす)

 (三時だたべが)

すゐぶん悲しい顏のひとだ

博物舘の能面にも出てゐるし

どこかに鷹のきもちもある

うしろのつめたく白い空では

ほんたうの鷹がぶうぶう風を截る

雨をおとすその雲母摺(きらず)りの雲の下

はたけに置かれた二臺のくるま

このひとはもう行かうとする

白い種子は燕麥(オート)なのだ

  (燕麥(オート)播(ま)ぎすか)

  (あんいま向(もご)でやつてら)

この爺(ぢい)さんはなにか向ふを畏れてゐる

ひじやうに恐ろしくひどいことが

そつちにあるとおもつてゐる

そこには馬のつかない廐肥車(こやしぐるま)と

けわしく翔ける鼠いろの雲ばかり

こはがつてゐるのは

やつぱりあの蒼鉛(さうえん)の勞働なのか

  (こやし入れだのすか

   堆肥(たいひ)ど過燐酸(くわりんさん)どすか)

  (あんさうす)

  (ずゐぶん氣持のいゝ處(どご)だもな)

  (ふう)

この人はわたくしとはなすのを

なにか大へんはばかつゐる

それはふたつのくるまのよこ

はたけのおはりの天未線(スカイライン)

ぐらぐらの空のこつち側を

すこし猫背(ねこぜ)でせいの高い

くろい外套の男が

雨雲に銃を構へて立つてゐる

あの男がどこか氣がへんで

急に鐵砲をこつちへ向けるのか

あるひは Miss Robin たちのことか

それとも兩方いつしなのか

どつちも心配しないでくれ

わたしはどつちもこわくない

やつてるやつてるそらで鳥が

 (あの鳥何て云ふす 此處らで)

 (ぶどしぎ)

 (ぶどしぎて云ふのか

 (あん 曇るづどよぐ出はら)

から松の芽の綠玉髓(クリソプレース)

かけて行く雲のこつちの射手(しやしゆ)は

またもつたいらしく銃を構へる

 (三時の次あ何時だべす)

 (五時だべが ゆぐ知らない)

過燐酸石灰のヅツク袋

水溶(すゐやう)十九と書いてある

學校のは十五%だ

雨はふるしわたくしの黃いろな仕事着もぬれる

遠くのそらではそのぼとしぎどもが

大きく口をあいてビール瓶のやうに鳴り

灰いろの咽喉の粘膜に風をあて

めざましく雨を飛んでゐる

少しばかり靑いつめくさの交つた

かれくさと雨の雫との上に

菩提樹(まだ)皮の厚いけらをかぶつて

さつきの娘たちがねむつてゐる

爺(ぢい)さんはもう向ふへ行き

射手は肩を怒らして銃を構へる

  (ぼとしぎのつめたい發動機は……)

ぼとしぎはぶうぶう鳴り

いつたいなにを射たうといふのだ

爺さんの行つた方から

わかい農夫がやつてくる

かほが赤くて新鮮にふとり

セシルローズ型の圓い肩をかゞめ

燐酸のあき袋をあつめてくる

二つはちやんと肩に着てゐる

  (降つてげだごとなさ)

  (なあにすぐ霽れらんす)

火をたいてゐる

赤い㷔もちらちらみえる

農夫も戾るしわたくしもついて行かう

これらのからまつの小さな芽をあつめ

わたくしの童話をかざりたい

ひとりのむすめがきれいにわらつて起きあがる

みんなはあかるい雨の中ですうすうねむる

  ⦅うな いいおなごだもな⦆

にはかにそんなに大聲にどなり

まつ赤になつて石臼のやうに笑ふのは

このひとは案外にわかいのだ

すきとほつて火が燃えてるる

靑い炭素のけむりも立つ

わたくしもすこしあたりたい

  ⦅おらも中(あだ)つでもいがべが⦆

  ⦅おいてす さあおあだりやんせ⦆

  ⦅汽車三時すか⦆

  (三時四十分

まだ一時にもならないも)

火は雨でかへつて燃える

自由射手(フライシユツツ)は銀のそら

ぼとしぎどもは鳴らす鳴らす

すつかりぬれた 寒い がたがたする

 

[やぶちゃん注:「パート七」の「パ」が明朝体で見る限り、太字でもない(ゴシックは太字にしなくても明朝と混ざると、太字に見えるが、本書のゴシックは明らかに太字である)のはママ。単なる誤植ではあるが、「正誤表」にはないので再現した。

・「またあるきだす(縮れてぎらぎらの雲)」の丸括弧半角はママ校本全集は問題にすらしていないが、見た目、明らかに眼が止まるので、再現した

・「まつすぐにいそでやつてくる」「いそで」はママ。原稿は「いそいで」で誤植であるが、「正誤表」にはない。「手入れ本」は補正して「て」を補っている。

・「シヤツポをとれ(黑い羅沙もぬれ)」「羅沙」の「沙」はママ。原稿も「羅沙」。「手入れ本」も修正せず。全集校訂本文は誤字と断じて「羅紗」とする。

・「すゐぶん悲しい顏のひとだ」「す」はママ。原稿は「ずゐぶん」であるから誤植であるが、「正誤表」になく、「手入れ本」にも修正はない(気づかなかったらしい)。全集校訂本文は無論、「ずゐぶん」。

・「なにか大へんはばかつゐる」ママ。原稿は「なにか大へんはばかつてゐる」であるから脱字であるが、「正誤表」にはない。宮澤家「手入れ本」で「て」を挿入している。

・「天未線(スカイライン)」は原稿もママで、「手入れ本」にも何もないが、全集では誤字と断じて「天末線」としている。私は何かこの仕儀には疑問がある。

・「あるひは Miss Robin たちのことか」「あるひは」はママ。歴史的仮名遣は「あるいは」が正しいが、古典でも頻繁に見られるもので問題はない。

・「それとも兩方いつしなのか」「いつし」はママ。原稿は「それとも兩方ともなのか」。「手入れ本」に修正無し。しかし全集編者は脱字とし、校訂本文を「いつしよ」と訂している。

・「(ぶどしぎて云ふのか」丸括弧閉じる無しはママ。「手入れ本」にも修正はないが、全集本文は「)」を末尾に補填している。

・「菩提樹(まだ)」の「まだ」のルビは「菩提樹」三字へのルビ。

・「すきとほつて火が燃えてるる」「るる」はママ。原稿は「ゐる」であるから誤植であるが、「正誤表」にない。「手入れ本」は修正してある。

 

 ご覧の通り、異様である。「(パート五 パート六)」というタイトルのみが示されているだけで、本文がなく、ート七」が示される。私は実は若き日に読んだ際、これを非常に不快に思って本篇「小岩井農塲」をこれで読み捨てようとしたのを思い出す。他者の公刊された詩集でこうした構成を持つものを私は知らないからであり、詩人が、そこをまるまる削除・省略したのなら、パート標題を変更して示せばよい、何らの痕跡も与えられずに、パート標題のみを示すというのは、如何にも尊大で利己的じゃないか、と強い不快を感じたからである。その感じは、ここまで諸家の解釈を参考に読み進めてきた今は、遙かに薄れた。それでもやはり、こうした仕儀は読者を戸惑わせることは永久不変である。これが、ダダイズム風に詩であるなら、それは見当違いの物言いとなろうが、賢治のこれは凡そダダ詩ではない。読者の中には、ここで私が、残っている「下書稿」や「清書稿」等と呼ばれて活字化されたものをもとに復元したり、推理したりするのを期待しておられる方がいるかもしれないが、そんなことをする気は全くない。私が本『「心象スケツチ 春と修羅」ヴァーチャル正規表現版』をやろうとした際の絶対のコンセプトは、まず本初版本自体を、実際に当時、私がこの本の読者の一人として存在していたならば、どう読み、どう感じ、どう解釈しようとしたか、の一点にあるからである。少しでもヒントが示されてあるならば、それを辿って、そうした原型を参考にしつつ、解析をすることは問題がないが、一行の詩篇をも示されないこれを、復元したり、推理することには、全く以って――私の――食指は動かぬからである。賢治はパート標題を示しだけで、読者にはその間の詩想を一切読者に示したくなかった以上、その「小岩井農塲」の中の二体の死体を墓場から掘り起し、私の切れ味の悪いメスと錆びたピンセットで剖検する趣味は私には全くないのである。悪しからず(なお、どうしてもアナトミーしたい方には、サイト「宮澤賢治の詩の世界」に「〔小岩井農場 第五綴 第六綴〕」(解説に『出版されず削除された部分の草稿』とある)があるので見られたい)。……但し、実は注の最後の最後で、再び、ギトン氏の解釈を示すが……そこではこの不可解な「五」「六」の省略と「七」のパートの提示……に……ある仕掛けが施されているのだという、凡そ、私が何度か生き返って人生を送ったとしても、解析し得ない驚くべき地平に到達しておられるのである……。

 但し、以下読んで行くことで、直ちに、先の「パート四」から、この省略部分によって、有意な時間が経過していることが判る。それは「すきとほる雨のつぶに洗はれてゐる」と雨が降っていることによって明らかであり、しかも農夫と交わされる汽車の発車時刻の会話によって、詩人は歩行の向きを反転して、もと来た駅の方に向かって歩いている、帰途に転じていることが判明する。しかもそのメイン部分は、まだ午後の早い時間である(「盛岡行ぎ汽車なん時だべす」という問いに対して農夫は「三時だたべが」がと答えている以上、このシークエンスの開始時間は正午前後を想定してよいのではないかと思う(但し、当時の時刻表を調べたわけではない。正午から三時までの間に実際に汽車があったとすると、私の推理は崩れる)。ただ、コーダ部分でその三時の汽車の発車時刻を「三時四十分」と出し、「まだ一時にもならないも」とするところから、このパートの全時制は午後十二時前後から同四十五分前後までに絞ってよいように思われる)。果たして彼は当初(「パート一」に「くらかけ山の下あたりで」/「ゆつくり時間もほしいのだ」とある)の予定通り、鞍掛山の麓まで行ったのかどうかは本篇では判らない(違反して先の草稿を覗いてみると、かなり近くまでは行っている)。

 

「とびいろ」鳶色。既出既注。トビ(タカ目タカ科トビ属トビ Milvus migrans)の羽毛の色のような赤みがかった茶色。

「もうせんごけ」言わずと知れた食虫植物の、ナデシコ目モウセンゴケ科モウセンゴケ属モウセンゴケ Drosera rotundifoliaウィキの「モウセンゴケ」によれば、『コケとあるが』、『種子植物である。ミズゴケ類の育つような湿地に生育する、背の低い草で、茎はごく短く、地面から葉を放射状に出す。葉にははっきりした葉柄があり、葉身はほぼ円形で、一面に長い毛があり、その先端から甘い香りのする粘液を出す。これに釣られるなどしてやってきた虫がくっつくと、粘毛と葉がそれを包むように曲がり、虫を消化吸収する。日当たりのよい場所に育つものでは、粘毛は赤く色づき、一面に生育している場所では毛氈を敷いたように見えることから、毛氈苔の名がある。 根はほとんど発達しない』とある。

「がま」「蒲」。単子葉植物綱イネ目ガマ科ガマ属ガマ Typha latifolia。但し、以下の夢想であるから、実際の蒲が生えていて見えるわけではない。

「ネー將軍」一八一五年六月十八日に、ベルギー(当時はネーデルラント連合王国領)のワーテルロー近郊で、イギリス・オランダを始めとする連合軍及びプロイセン軍と、フランス皇帝ナポレオンⅠ世率いるフランス軍との間で行われた「ワーテルローの戦い」(Bataille de Waterloo:フランス軍が敗北してナポレオン戦争最後の戦闘となった)に於いて、フランス軍の北部方面軍総司令官として事実上の総指揮を執った元帥ミシェル・ネイ(Michel Ney 一七六九年~一八一五年:ナポレオン・ボナパルトの側近の一人で、彼をして「le Brave des Braves」(勇者の中の勇者)と言わしめた)。

「麾(き)下」「旗下」とも書く。将軍の旗本にある直属の精鋭の部隊。

「騎兵の馬が」/「泥に一尺ぐらゐ踏みこんで」「すぱすぱ涉つて進軍もした」ウィキの「ワーテルローの戦い」にある、現在の戦場となったワーテルローの場所の画像を見ても、湿地のようには見えないが、ウィキの本文を見ると、開戦『前夜の豪雨によって』、『道路の状態が悪』かったとある。ここのところお世話になっているギトン氏は、これは既に「眞空溶媒」に登場した「テナルデイ軍曹」の出典である、賢治が愛読したらしいヴィクトル・ユーゴーの「レ・ミゼラブル」(Les Misérables)の「ワーテルローの戦い」を描出したシークエンスがネタ元であるとされて、ここここここで緻密に考証されておられる。賢治がわざわざここでこんな史実想像を差し挟んだのは、多くの兵が戦死し、フランスが大敗北を喫した「修羅」を行く馬に自身を擬え、ここに「修羅」を現出させたかったからと判る。

「トツパース」トパーズ(topaz)。ケイ酸塩鉱物(Al2SiO4(F,OH)2)。和名は「黄玉(おうぎょく)」。ウィキの「トパーズ」によれば、『様々な色を呈するが、宝石としては淡褐色のものが上質とされる』とあり、午後の早い時間の雨天の空の色、或いはそこから落ちてくる雨粒の煌めきの感覚的色彩として、腑に落ちる。

「けら」既出既注。「ケラ蓑」(螻蛄蓑)。小学館「日本国語大辞典」に『北陸から東北地方で用いられた蓑の一種。それを着たさまが虫のケラに似ているからという』とある。「玉川大学教育博物館 館蔵資料(デジタルアーカイブ)」の「蓑(みの)」に、『蓑の名称や材料は使用目的や地方によって様々であるが、肩から背中を覆う肩蓑を東北地方では「ケラ」、北陸地方では「バンドリ」と呼ぶことが多い。材料には稲の藁や山地に自生する菅(すげ)や藤等を材料とし』た、とある。

Miss Robin」「Robin」はスズメ目ツグミ科コマドリ属コマドリ Erithacus akahige の英名。彼らは♂の頭部から上胸にかけての羽衣が橙がかった赤褐色で、♀も頭部から上胸・上面が橙褐色を呈するので、このロシアの「Платок」(プラトーク)のような赤いスカーフを結んでいる二人の女の子をそれに喩えて呼称したもの。

「富士見の飛脚」よく判らぬが、これは葛飾北斎の「富嶽三十六景」の「駿州江尻」の、前景左で、紙を飛ばされる男(但し、この人物は明らかに飛脚ではない)を誤認したものか? その絵の中のその男の前の男、及び、その次の次の右手中景の男、さらに遠景の二人の男の笠の感じがこのシーン(「笠をかしげて立つて待ち」)によくマッチするようには思われる。「浮世絵のアダチ版画」のオンライン・ストアのこちらを見られたい。

「二十米」二十メートル。詩人と農夫の距離。

「靑い草穗は去年のだ」去年の緑の草で、枯れることなく、冬の間も雪の下に冷凍保存されるような状態で生き長らえていたというのである。

「シヤツポをとれ(黑い羅沙もぬれ)」農夫が詩人の都会染みた羅紗張りの帽子に気後れし、話しかける前に、その場を立ち去ってしまうと困るから、自身が自身に命じたのである。

「博物舘の能面にも出てゐるし」薄暗い博物館に展示された「能面に」で「も」醸し「出」され「て」くるような、「すゐぶん悲しい」表情に見えてしまう「顏」を持って「ゐる」のひとだ「し」、という意味であろう。

「どこかに鷹のきもちもある」何となく、彼は詩人を警戒しており、その悲しい感じのする眼光の中にも、どこか、鷹が獲物を狙うような鋭い感じがあるというのである。

「雲母摺(きらず)り」浮世絵用語。錦絵の下地の摺りに用いる一技法で、「雲母板」(「きらいた」であろう)と呼ぶ同一の版を二つ作り、第一の版で下地の色を摺り、次に第二の版に糊をつけて摺り、その上に、雲母粉(「きらこ」と読んでおくが、ようは雲母を粉砕して粉状にしたものであろう)を振りかける。また、雲母粉に糊、乃至っは明礬水(みょうばんすい)を混ぜて普通に摺ったり、簡略に雲母粉と膠(にかわ)とを混ぜ、刷毛(はけ)で塗ることもある。下地に墨を用いたものを「黒雲母」(「くろきら」或いは「くろきらら」と読むか)、紅のときは「紅雲母」(「べに~」であろう)、下地が無地だと「白雲母」と呼ぶ。雲母摺りの作品は「雲母絵」(「きらえ」と読んでおく)とも称され、東洲斎写楽や喜多川歌麿の版画にその傑作が見られる(以上は「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。さらに調べてみると、雲母の粉以外に貝殻の粉も用い、それで背景を一色で塗り潰すものを指し、絵を持って動かすと、その配合されたものがキラキラと光るのが特徴であることが判った。太陽を背後にする雲の塊りの描写としては、この賢治の謂い自体が手が込んでいる。前にも述べたが、賢治は浮世絵が好きで、あぶな絵も所持していた。

「はたけに置かれた二臺のくるま」「馬のつかない廐肥車(こやしぐるま)」のこと。ギトン氏のこちらの解説によれば、『「馬のつかない廐肥車(こやしぐるま)」の置いてある風景から、播種作業が始まっていることは推測でき』、この『廐肥車というのはスプレッダーとよぶ二頭曳の肥料撒布車のことで』、『つまり、スプレッダーの馬が外されているのは、すでに肥料を撒布し終って、播種作業に入っているから』であると述べておられる。二頭の馬で牽く「二臺」の車とあるからには、かなり大型のものらしいが、その頃の当該農機具の画像を探してみたが、見当たらなった。ご存じの方は是非お教え願いたい。このシークエンスはそれがないと映像をイメージし難いからである。

このひとはもう行かうとする

「燕麥(オート)」既出既注。単子葉植物綱イネ目イネ科カラスムギ属エンバク Avena sativa で、同属の野生種で私たちにお馴染みの、カラスムギ Avena fatua の栽培種。粗挽き或いは圧扁した「オートミール」(oatmeal)で知られる。

「あんいま向(もご)でやつてら」「ああ、燕麦の種播きは、今、向こうでやってるわい」。

「この爺(ぢい)さんはなにか向ふを畏れてゐる」/「ひじやうに恐ろしくひどいことが」/「そつちにあるとおもつてゐる」/「そこには馬のつかない廐肥車(こやしぐるま)と」/「けわしく翔ける鼠いろの雲ばかり」/「こはがつてゐるのは」/「やつぱりあの蒼鉛(さうえん)の勞働なのか」「蒼鉛」はビスマス(bismuth:元素記号Bi)の和名。ビスマスそのものは淡く赤みがかった銀白色の金属で、柔らかく脆い。そうした蒼白と脆さを苛酷な農作業の辛さや挫折の比喩としたものか。しかしどうも、この老人が「畏れてゐる」ように見えるのは、実は強迫神経症的な宮澤賢治の側の、ある種、病的な強迫観念の投影なのではなかろうか? それを詩人は『やっぱり、昔から農民たちが抱き続けてきている「蒼鉛(さうえん)の勞働」の悲惨な予感なのだろうか?』と叙事的歴史的なものに無理矢理、言い変えて誤魔化しているように思われてならない。寧ろ、そうした鏡像と考えた時、この部分は私には、すとん、と腑に落ちるのである。

「堆肥(たいひ)」「堆積腐熟」或いは「積肥」とも呼ぶ。藁・落葉・野草・藻類などを積んで腐らせた自給肥料。材料に窒素を僅かしか含まないので、石灰窒素・石灰・硫安などを加えて分解を早めるのが普通で、これを「速成堆肥」と呼び、化学肥料を加えないものは「自然堆肥」という。堆肥の肥料成分の内、リン酸とカリウムは速効性であるが、窒素成分の大部分は有機窒素であるため、長期的持続的に肥料としての効果を現わす。肥料効果以外にも、土壌の肥沃度を保ち、土壌の物理化学的微生物学的な性質を改善する土壌改良剤としても有効である(「ブリタニカ国際大百科事典」に拠る)。

「過燐酸(くわりんさん)」過リン酸石灰(calcium superphosphate)。第一リン酸カルシウCa(H2PO4)2·H2O と硫酸カルシウム(石膏) CaSO4 の混合物。リン鉱石に硫酸を反応させて得られる灰白色ないし灰黒色の粉末。遊離リン酸のため、酸性を呈する。「過リン酸」「過石」などと略称される。世界で最も古くから製造された化学肥料で、市販品の品位は可溶性リン酸を十五から二十六%(平均十八%前後)を含む。日本では明治一九(一八八六)年に高峰譲吉が試製し、四国のアイ(藍:タデ目タデ科イヌタデ属アイ Persicaria tinctoria)の栽培に初めて使用した。現在では、複合肥料の原料用が総生産の七割を超えている。化学的には酸性肥料であるが、生理的には中性肥料であって、連用しても、土壌を酸性化しない。肥効は速効性であるが、土壌中の鉄・アルミニウムと結合し、作物に吸収されにくくなるので、作物による利用率は、通常、他の化学肥料に比べて、低い。過リン酸石灰のこのような性質は、逆に、アルミニウムが活性化しやすい火山灰土壌などの礬土(ばんど)質土壌の改良に有効であり、大量に施用されていた。しかし、蓄積リンと将来のリン資源の枯渇問題から、消費量は横這いとなっている(以上は、主に小学館「日本大百科全書」に拠った)。なお、ギトン氏はこちらで、『賢治が、農夫に肥料の種類を聞いているのは、小岩井農場が』、このロケーションでの土質を「黒ボク土」(黒色火山性土)だと推定され、『どのように対処しているのか、非常に関心があったからで』あるとされる。黒ボク土は『日本の火山灰土に多い土壌ですが、黒くて軽く、乾くとさらさらぽくぽくしていて、しかもそういう‘くろつち’の層が非常に厚いのが特徴です』。『一見すると』、『畑の黒土(腐植土)に似ていますが、粘り気がありません。地味も非常に痩せていて、そのままではどんな作物も、全く育たないのです』。『というのは、“黒ボク土”は、強い酸性土なので、土壌の酸性によって、火山灰に含まれているアルミニウムが溶け出し、アルミニウムの毒性が、植物の生育を阻害するのだそうです』。『しかも、アルミニウムは、腐植(植物の死骸)と結合して、腐植が分解できないようにしてしまうために、植物に必要な養分(窒素、リン酸、カリ)が、腐植から溶け出て来ないのです』。『とくにリン酸は、アルミニウムに吸着されてしまうので、よほど多量にリン酸肥料をやらない限り、植物はリン酸欠乏症になります』。『また、土壌の酸性自体も、作物の生育を阻害します』。『そこで、“黒ボク土”は、①石灰で酸性を中和し、②リン酸肥料を入れて、作物が育つように改良しなければならないのです』と述べておられる。さて、ここで賢治は、自分のことを、都会の何かお偉い方とでも誤認しているかも知れない(だから身分の低い農夫として賢治を畏れているとも言える)彼に、農作業での地質改良をよく知っている自分をここで示すことで、農夫の身構えた心を解(ほぐ)そうとしているのであろうが、化学剤の模範解答をすらすら口にする彼を、農夫は逆に『やっぱり都会のお偉い先生だ』と思い込んだに違いなく、彼をしてさらに気持ちを尻込みさせることになったものと私は読む。私は実は賢治には、天才にあり勝ちな見当違いの思いやりを示すところの、サバン症候群的側面が性格の中にあったように感じている。それが結果的に、彼をして他者との円滑な関係を持続的に持つことを困難させた一因であったのではないかとも考えている。

「あんさうす」「ああ、そうです」。

「ふう」ただ、会話の間に農夫が溜息をついたものと採る。賢治の言葉に肯んじた応答とは私は思わない。何故なら、賢治の言うように、この農夫が「蒼鉛(さうえん)の勞働」の悲惨さに脅かされている者であるとするなら、「随分と気持ちのいいところだもんなあ」などという、とぼけた甘い(としか農夫は受け取らないであろう)言葉に共感などしないからである。その証拠に「この人はわたくしとはなすのを」/「なにか大へんはばかつゐる」ではないか。先に私が推定した誤解から、身構えてしまって、つい、ついた溜息に他ならない。

「天未線(スカイライン)」skyline。地平線。確かに全集校訂本文の「天末線」は「地平線」の言い換えらしくは見える。しかし、実は、後に出る「瀧澤野」の最終行でも賢治は「天未線」と原稿に書き、本書のそこも「天未線」となっているのである。そうして、実際には「地平線」とは実際には見かけの上の幻しの「線」であり、それはまさに「天と地の未だはっきりせぬ線」、架空の線であるわけで、私はこれを賢治の詩語として「天末線」で後代に伝えることに強い疑義を持つことをここに表明しておきたい。但し、「瀧澤野」の前に出る「原體劍舞連」では「天末線」で原稿もそうなってはいる。

「ぐらぐらの空のこつち側を」/「すこし猫背(ねこぜ)でせいの高い」/「くろい外套の男が」/「雨雲に銃を構へて立つてゐる」/「あの男がどこか氣がへんで」/「急に鐵砲をこつちへ向けるのか」/「あるひは Miss Robin たちのことか」/「それとも兩方いつしなのか」猟銃を構えたメン・イン・ブラック、それは狂人であって、我々に銃をぶっ放すかも知れない! いや! 或いは、あのいたいけな少女たちに銃口を向けるというのか?! それとも農夫と私、少女たちの両方を狙撃するというのか?! と、それこそ統合失調症の症状にしばしば出る、関係妄想から発展した追跡妄想・被害妄想であり、この黒ずくめの猟銃狂人男が、賢治がこの農夫に向かって歩き始めた時の視野に、実は既に捉えられていたとしたならば、先の農夫の「畏れ」もそうした異常心理から説明が可能となると私は思う。なお、ギトン氏はこちらで、『この「銃を構へて立つてゐる」男は、農場の雇ったハンター(猟師)で、播種作業に立ち会って、空砲を射ち、鳥が種子を啄ばんでしまわないように追い払う仕事をしてい』た農場関係者で、『この役目は「威銃」と呼ばれていた』とし、従って、『ライフルを構えた男がいるからといって、農夫がそれを恐れる理由はない』けれど、『しかし、賢治は、「威銃」を知っていたでしょうか?』と疑問を投げかけ』、いや、『「わたしはどつちもこわくない」と言っていますから、知っているのかもしれ』ないが、万一、『賢治は知らなくて、なぜ銃の男がいるのか分からなくて──あるいは、農場が農夫たちの作業を監視するために雇っている』、『とでも思い込んで──不気味に感じているのかもしれ』ないとされる。これはなかなか面白い観点と言え、その「威銃」を賢治が全く知らなかったとするなら、ここは病的でもなんでもなくなると言える。或いは、それを知っていながら、わざとこうしたサスペンスかホラー紛いのシークエンスを挿入して、詩篇に一種の緊張を齎そうとしたものかも知れない。変なところで茶目っ気がある賢治なら、その可能性も捨てきれぬという気もするのである。

「ぶどしぎ」「全国愛鳥教育研究会」公式サイト内の赤田秀子・杉浦嘉雄・中谷俊雄共著「賢治鳥類学」(平成一〇(一九九八)年新曜社刊)の広告の目次によれば、これはチドリ目チドリ亜目シギ科タシギ属オオジシギ Gallinago hardwickii のことであるとする。matsu_chan3氏のブログ「自然大好き」の「オオジシギ・キセキレイ」2010-05-07 09:06のコメントに、『わあ、オオジシギ来ましたか!!』『宮沢賢治は小岩井農場を歩いていて、この鳥に出会って、ビックリした様子が描かれています』。『農夫に訊くと、「ぶどしぎ」って応えるのね』。『当時は鳥の名前はみな方言だったでしょ』。『最近では小岩井ではオオジシギはもちろん見られません』。『オオジシギ、ブドシギ!! いいなあ』。『トップの写真、ズビャーク、ズビャークって声が聞こえてきそうです』とあって、この「ぶどしぎ」がオオジシギの方言名であることが判明する。ウィキの「オオジシギ」によれば、漢字表記は「大地鴫」「大地鷸」で、『インドネシア、オーストラリア東部、日本、パプアニューギニア、ロシア南東部』に分布し、『夏季に日本(主に本州中部以北、熊本県でも繁殖例あり)、ロシア(ウスリー、サハリン南部)で繁殖し、冬季になると』、『オーストラリアへ南下し』、『越冬する』。全長二十七・五~三十一・五センチメートルで体重は百~二百グラム。『日本に飛来するタシギ属の構成種では最大種で、和名の由来になっている。尾羽の枚数は』十六か十八枚。『眼上部から後頭にかけて眉状に淡黄色の筋模様(眉斑)が入る。上面や胸部を被う羽毛には』、『羽軸に沿って』、『暗褐色と赤褐色の斑紋(軸斑)が入り、羽毛の外縁(羽縁)は淡褐色。胸部を除く下面は白い羽毛で被われる。嘴基部から眼を通』って『後頭部にかけて』、『黒い筋模様(過眼線)が入り、過眼線が眉斑よりも細い個体が多い』。『嘴は長い。嘴の色彩は淡褐色で、先端が黒い。後肢の色彩は黄緑色』。『草原、湿原などに生息する。単独で生活するが、渡りの途中には小規模な群れを形成する事もある』。『食性は動物食傾向の強い雑食で、主にミミズを食べるが、昆虫、種子なども食べる』(ミミズ食というのが、このロケーションとマッチする)。『繁殖形態は卵生。繁殖期には縄張りを形成する。オスは縄張り内を鳴きながら飛翔した後に尾羽を広げて羽音を立てながら急降下、という行為を繰り返して求愛する。地表に枯草などを組み合わせた皿状の巣を作り』、四~六月に一回に四個(稀れに三個)の『卵を産む。メスのみが抱卵すると考えられている』とある。鳴き声は……こりゃ!……うへえ! ひでえもんだ! 後で賢治は「ビール瓶のやうに鳴り」と言っているが、壊れたゼンマイ仕掛けのおもちゃか、ラジオの局探しの途中の雑音みたようだわい!(リンク先はYou Tube の片山昇一氏の「野鳥 オオジシギの鳴き声」)

「曇るづど」曇りの日に。

「綠玉髓(クリソプレース)」クリソプレーズ(chrysoprasechrysophrase)は宝石の名称。和名で「緑玉髄(りょくぎょくずい)」とも称し、玉髄(chalcedony:カルセドニー:繊維状の石英。既出既注)の一種。ウィキの「クリソプレーズ」によれば、『ニッケルを含んだ蛇紋岩や他の超塩基性岩が、激しく風化したりラテライト化したりするところから生じる。オーストラリアの鉱床では、クリソプレーズは、菱苦土鉱(マグネサイト)の豊富な腐食岩石が、鉄と二酸化ケイ素の下になったところで、茶色の針鉄鉱や他の酸化鉄と共に、鉱脈や小塊となって生じる』。『非常に微細な結晶からなるため、通常の倍率では、はっきりした微分子として観察し得ない。この点において、クリソプレーズは、紫水晶(アメジスト)や黄水晶(シトリン)など、その他の水晶類と性格を異にする。これらの水晶類は基本的に透明であるが、六角の水晶の結晶からなることが容易に観察できる』からである。これを「隠微晶質」(Cryptocrystalline)と呼び、『他に隠微晶質を持つ玉髄には、瑪瑙、カーネリアン、オニキスがある』。『多くの不透明な水晶類とは異なり、クリソプレーズを価値あるものとするのは、模様の出かたよりむしろその色である。その色は、通常は黄緑色だが、深緑色のものもある。エメラルドの美しい緑色はクロムを含有するためであるが、クリソプレーズの色はエメラルドとは異なり、その構造に含まれる微量のニッケルによるものである』。『流通量の不足とその美しい緑色から、クリソプレーズは最も高価な水晶類の1つに数えられる。より品質の高いものは、しばしば硬玉と間違われる』。『カボション・カット』(cabochon cut)『(ジュエリーに使用するため、滑らかな丸いドーム状に磨く宝石のカットの一種)にすると、良質の紫水晶と同じくらいの価値を持つ』。『chrysoprase は、ギリシア語の chrysos(金)と prason(西洋ねぎ)という単語からきている』とある。

「こつちの射手(しやしゆ)」先の猟銃男のこと。

「過燐酸石灰のヅツク袋」「ヅツク」は「ズック」(「粗い麻布」を意味する「doek」というオランダ語)で、麻の繊維を太撚りにして平織りにした布。先に注した薬剤過リン酸石灰を封入したズック製の袋。

「水溶(すゐやう)十九」先の注の引用にあった市販品の品位の可溶性リン酸の平均十八%前後というのと一致する。これは定量水溶でその濃度になるという表示であろう。「學校のは十五%」というのは品質が悪いということである。

「わたくしの黃いろな仕事着もぬれる」こで初めて詩人が黄色い作業着を着ていたことが明らかにされる。誰も、そんなものを着せて、この主人公に詩人をここまで動かしてきてはいないであろう。なかなか、吃驚である。

「つめくさ」既出既注。マメ目マメ科シャジクソウ属 Trifolium 亜属 Trifoliastrum 節シロツメクサ Trifolium repens のこと。ヨーロッパ原産の帰化植物。本邦に夥しく繁殖したのは、明治以降に家畜の飼料用として導入されたものが野生化して以降のこと。

「菩提樹(まだ)皮」「菩提樹(まだ)」とは本邦特産種である落葉高木アオイ目アオイ科 Tilioideae 亜科シナノキ属シナノキ Tilia japonica(シナノキ属ボダイジュ Tilia miqueliana は同属の別種なので注意)。漢字表記は「科の木」「級の木」「榀の木」等。ウィキの「シナノキ」によれば、『九州から北海道までの山地に分布する。幹の直径は』一メートル、『樹高は』二十メートル『以上になる。樹皮は暗褐色で』、『表面は薄い鱗片状で縦に浅く裂けやすい』。『樹皮は「シナ皮」とよばれ、繊維が強く主にロープの材料とされてきた』。『古くは木の皮の繊維で布を織り』、『衣服なども作られた。アイヌは衣類など織物を作るためにシナノキの繊維を使った。現在でもインテリア小物などの材料に使われる事もある』とある。また、小学館「日本国語大辞典」の「しなのき【科木】」によれば、『和名は』「結ぶ」『意味のアイヌ語に基づく』とし、用例に幕末の本草家小野蘭山述・井岡冽(れつ)筆記の「大和本草批正(ひせい)」(貝原益軒の「大和本草」の誤謬を各個的に指摘し正した本草書)の「十二」から、『へらの木 しなのきなり。南都にてまだのまと云。大木なり』とある(太字下線やぶちゃん)。この「シナノキ」の樹「皮」を張り付けて出来た、「厚いけらをかぶつて」/「さつきの娘たちが」雨の中で「ねむつてゐる」というのは、ああ! アンドレイ・タルコフスキイ(Андрей Тарковский)の映画のワン・シーンのようではないか!!! 但し、これは実景ではないのかも知れない。後に出る「童話」の幻視が、フライングしてインサートされたとも思われる。

「ぼとしぎのつめたい發動機は」先のYou Tube の片山昇一氏の「野鳥 オオジシギの鳴き声」お聴きになれば、この隠喩が痛いほど、判る。

「ぼとしぎはぶうぶう鳴り」/「いつたいなにを射たうといふのだ」後者は先ほどの猟銃男への言いかけのようにも見えるが、この連なりでは、「ボトシギ」(オオジシギ)の長い嘴が鉄砲のように感じられ、奇体な機械仕掛けのその鳴き声と相俟って、「ぼとしぎよ! お前は何を撃とうとするのか?」と詩人が「ぼとしぎ」に問い掛けているような奇妙な錯読を起させる。

「セシルローズ」イギリス帝国の植民地政治家セシル・ジョン・ローズ(Cecil John Rhodes 一八五三年~一九〇二年)。南アフリカの鉱物採掘で巨富を得、一八九〇年にケープ植民地の首相となり、占領地に自分の名「ローデシア」(Rhodesia:現在のザンビア・ジンバブエを合わせた地域の旧称)を冠した。南アフリカの政治・経済の実権を一手に握り、その威風は帝王を思わせ、「アフリカのナポレオン」と呼ばれた(以上はウィキの「セシル・ローズ」に拠る)。ギトン氏のこちらによると、四十九歳で死去したが、『生涯を独身で通し』たとあり、『この段階の賢治は、植民地主義に疑問を持っていなかったと思われ』、『生涯独身ということで、セシル・ローズには親しみを持っていたのではない』かと添えられ、『写真を見ると、たしかに太っていて肩が丸い』とある。ギトン氏の別ページのセシル・ローズの画像はこちら(先のウィキのものと思われる)。

「二つはちやんと肩に着てゐる」降っている雨を凌ぐために、さっきの「燐酸のあき袋を」裂いて、両肩に装着していることを言っているのであろう。

「降つてげだごとなさ」不詳。「生憎、雨が降ってきたなあ」の意か。これが、賢治の若い農夫への声掛けで、「なあにすぐ霽れらんす」(なあに、すぐ晴れますて)と農夫がごく気さくに応じたのであろう。農夫は描写されなかったが、既に焚かれていた焚火のところへと移動する(向うからやって来た若い農夫であったが、後で「農夫も戾るし」「わたくしもついて行かう」と続くので、賢治のいる位置より少し前方(先或いは左右の直近)であることが判る)。或いはこの農夫は肥料撒きに使って、放り出してあったズック袋を集めて、それを焚き代として、雨の寒さ凌ぎに焚火をしていたものかも知れぬ。

「㷔」(ほのほ)。「焰」の異体字。

「これらのからまつの小さな芽をあつめ」/「わたくしの童話をかざりたい」以下、落葉松「の小さな芽」、「パート三」の終りで「ネクタイピンにほしいくらゐだ」と言ったそれを集めて、幻想した童話の映像が立ち現れるのである。しかし、宮澤家「手入れ本」ではこの二行を斜線で消している。こうされていたら、以下の読解は非常に困難となっていたろう。

「ひとりのむすめがきれいにわらつて起きあがる」即ち、私はこの一人の娘の存在は現実ではないと採るのである。その焚火のそばで、娘(前の二人の少女の一人でもよいし、彼女たちが既に年上になっているという私の偏愛する(私はそれを何十回読んだか判らぬ)ロバート・ネイサン(Robert Nathan 一八九四年~一九八五年)の「ジェニーの肖像」(Portrait of Jennie:一九三九年刊のようであったとしても全然構わぬ。ただ以下では「みんな」とあるから、そこに寝ているのは恐らく三人以上でなくてはならない)たちが、焚火のそばで眠っていたのが、一人、ぱっ! と眼を開いて起き上がるシーンのアップである。

「うな いいおなごだもな」「にはかに」「そんなに」も「大聲」で「どな」るのは、娘の起き上がった時のその美しさに、思わず、恥ずかしがって顔を赤らめ(「まつ赤になつて」)「石臼のやうに笑ふのは」幻想の中に登場させた男の台詞で、それはさっきの現実の「若い農夫」ではないのである。だからこそ「このひとは案外にわかいのだ」という一行は、先の「わかい農夫」と矛盾しないのである。

「すきとほつて火が燃えてるる」/「靑い炭素のけむりも立つ」/「わたくしもすこしあたりたい」ここで総天然色の幻想が、「火」のクロース・アップを経て、現実へと帰還するのである。これも殆んど、タルコフスキイ! 「アンドレイ・ルブリョフ」(Андрей Рублёв)のエンディングのではないか!

「火は雨でかへつて燃える」これは一見、矛盾のようにも見えるが、或いは、賢治の心の内なる「火」の心象、「修羅」の投影なのかも知れない。

「自由射手(フライシユツツ)は銀のそら」「自由射手(フライシユツツ)」とは「フライシュッツ」(Freischuetz)で、カール・マリア・フォン・ウェーバーが作曲した全三幕のオペラ「魔弾の射手」(Der Freischütz:一八二一年ベルリン王立劇場初演)。のシノプシスと解説はサイト『クラシック音楽「名曲」の解説と名盤(Musica Classica)』のこちらを。私はオペラが嫌いで、全く分らぬので、最後にまた、ギトン氏の解釈に全面的に枝垂れかかることとする(そのため、下書き稿や清書稿が例外的に出る)。氏は、この行については、ここで、『さきほどから、けわしく輝いては、激しい動きを見せていた大空は、「自由射手(フライシユツツ)」──どこに弾を撃ってくるか分からない悪魔の狩人を産み落としたのでした』。『この行は、【下書稿】では』、

射手は銀空 黑外套

『でした。ウェーバーの『魔弾の射手』が導入されたのは、散逸した【清書稿】以後なのです』。『賢治は、「黒外套」などという生やさしいものでは足りず、《狼ノ森》⇒《狼谷》から思いついた『魔弾の射手』で、最後の仕上げをしたのだと思います』。『最後の仕上げ──“7発目の魔弾”を仕込んだのです』。『そうです』……『「パート7」こそは、“7発目の魔弾”』『なのです』……『だから』こそ『作者は、「パート5」「パート6」になる部分を削った後も、「パート7」という章の番号をそのままにしたのです』。『このパートには、毒針が隠されています………』『しかし、今回の“解読”は、このへんで止めておきましょう』。『最後まで読み解いてしまったら、皆さんが推理する楽しみを奪うことになってしまいますから』……とある。このギトン氏の考証の開始箇所はで、そこを含めて、五回分で解読しておられる。下部の「次へ→」で読まれたい。ただ、私はそれらを読んでも、ギトン氏の言われる『毒針』の『解読』は出来なかった。あなたにはそれが判るかも知れない。試みられよ……

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