宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 芝生
芝 生
風とひのきのひるすぎに
小田中はのびあがり
あらんかぎり手をのばし
灰いろのゴムのまり、光の標本を
受けかねてぽろつとおとす
[やぶちゃん注:大正一一(一九二二)年六月七日の作。本書以前の発表誌等は存在しない。原稿との相違なし、「手入れ本」に手入れなしで、本書の中では初めてのまっさらな特異点。キャッチ・ボールをしている少年たち……その光と影と……「光」と〈少年〉の、美しいハレーションの――「標本」――のワン・ショットである……
「小田中」人名。稗貫農学校の生徒。松井潤氏のブログ「HarutoShura」の「芝生」によれば、『小田中光三。賢治の教え子で、稗貫農学校の』二回生(大正一二(一九二三)年卒)。『岩手日報』昭和八(一九三三)年九月二十四日附の『「故宮澤賢治氏葬儀」の記事に「故宮澤賢治氏葬儀は二十三日午後二時花巻町豊沢町自宅出棺同町安浄寺に於て執行されたが生前故人の徳を偲び会葬者二千を数へ盛儀を極めた弔辞は、盛岡高農上村勝爾氏、岩手県歯科医師会長今野英三氏、詩人藤原草郎、母木光、森惣一、梅野健三、花巻秋香会、花巻農学校同窓会代表小田中光三氏で弔電二十八通に及び同三時葬儀を終はった尚故人の遺言によって法華経一千部を刊行生前の知己に贈る筈である」とあるように、小田中はこのとき花巻農学校同窓会代表を務めている』とある(『岩手日報』の記事(朝刊)は筑摩版全集年譜と校合して確認した。実は記事では、見出しが「故宮澤賢河氏葬儀」、冒頭が「故宮澤賢冶氏葬儀は」と誤植している。死してまで、つくづく〈誤植の難〉に賢治は縁があったのであった)。]
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